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宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか?』レビュー【ネタバレあり】①前置き

ネット上の、主にこのnoteとYoutubeを見ていると、ネタバレをバンバンしながらレビューしているのを見かけるので、私もそれらに学びながら、それらの解釈に異論があったりなんだりするので、やっていこう。

ネタバレなしの方で何故私が、この物語を母子関係の事に終始していて、その生い立ちの上で我々にどう生きるか?と問いかけているものであると言ったか、について述べていこう。

というのも、前の投稿では、宮崎駿が何も言わないものだから、言っちゃいけないものなのかな、と思い、詳細を黙っていたのだ。しかし、他を見ていたら詳細をバンバン言ってるので、「じゃあいいや」となったのである。

ちなみに、私はこの映画をただ一度見ただけである。あとは、Youtubeのレビューをいくつか見て、そういえばそうだったな、という程度の記憶である。noteの方では、芸術的な死後の世界のいろいろな描写に、逐一細かい考証を加えてなんだかんだ言っているのも見かけるが、はっきり言ってイリュージョンの部分は単なるアートとして楽しめばよい。

もし、私の主張である宮崎駿の問いかけが正解だったら、宮崎駿は限定された母子関係の定義の中で、我々にどう生きるか?と問うているのであって、そのことに意味がないという結論になる。母子関係はそれぞれ違うものであるから、定義を限定されると個人に該当しなくなるからである。

どうも本作には「君たちはどう生きるか」という名前の原作が存在する様である。しかし、だからと言って宮崎駿が「観客に問いかけてなんかいない、原作の名前をただ借りただけだ」と言い訳することはできない。

なぜなら、問いかけるつもりが無いのであれば、題を変えるべきだからだ。『良い女とは?良い母親とは?そして良い息子とは?』くらいにしておくべきだ。これだけ、母子関係を描いて「どう生きるか?」と言うということは、ある生い立ちがあって、「だとしたら君たちはどう生きるか?」と主張しているのである。そのある生い立ちは主人公、あるいは宮崎駿の問題であって、我々には関係ない。

無理やり、そのシチュエーションでどう?って言われたら、私はナツコ(漢字表記は知らないので以後全部カタカナ)に真実を聞き出して弱みを握り、男女関係を迫ったりするだろう。つまり、その家庭で息子役として、どうポリシーを打ち立てて将来を決めようとするか、という思いには至らない。

本作は宮崎駿が最後に世に訴えかけているメッセージであると思われる。というのも、もはや宮崎駿は余命いくばくもなく、少なくとも今後、次回作を作ることはないはずだからだ。宮崎駿自身がそう思って作っているはずだからだ。だから、観客に「どう生きるか?」と問いかけているわけだ。

その問いかけが、母子関係、家庭環境の定義を限定された、陳腐なものだった、というのが私の主張である。岡田斗司夫によると「そういう説教臭いのではない」みたいなことを言っていたが、最後のメッセージであれば、それは説教でなければならない。というか、題がそう主張している。観客はそういうつもりで見て、そして裏切られる。

説教されたくないから、良い意味で裏切られたな、と思う人もいるだろうが、どういう説教なのかと覚悟して行った人は、単なるエンタメではなかったかとガッカリする。

単なるエンタメであれば、悪いものではない。心揺さぶられるドラマ性はあろうかと思う。死後の世界の表現も、よく形にしてくれたと、スピリチュアリズムを知る者は思うだろう。

しかし、題が「君たちはどう生きるか?」と言ってるのに、中身がただのエンタメだと「で、どうしろと?」ってなる。

ちょっと前置きが長くなったので、具体的な中身については次回に譲る。

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