見出し画像

宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか?』レビュー【ネタバレあり】②ナツコの正体

物語は空襲で母親の病院が火事になり、母親が焼死することから始まる。

いきなり衝撃的なことを言ってしまうが、この焼死は偽装である。

母親のヒサコは、すでに助からない病気だった。空襲は言い訳に過ぎない。

主人公マヒトは、継母としてナツコを紹介される。その時マヒトはこう言う。

「そのひとはお母さんにそっくりだった」

しかも、ナツコの腹は既に膨れていた。

この時、私は大体の事情を悟った。息子に「そっくり」と言わせるのは、ヒサコとナツコがただの兄弟ではないことを意味している。ヒサコとナツコは一卵性双生児である。

父親はヒサコと結婚する時、当然ナツコとも面識があったはずである。ヒサコ、ナツコの感性は遺伝子が同じであるから、当然思うことも同じである。ヒサコがこの父親のことを好きであるなら、ナツコもこの父親のことが好きだったのである。そしてさらに、父親の方もヒサコとナツコはほぼ同じものだったので、どっちでも良かったのである。

普通、ヒサコの代わりにナツコが2人目のお嫁に来るというのであれば、子供が出来る前にマヒトに挨拶し、マヒトの了承を得てから、チョメチョメに及ばなければならない。

ナツコはマヒトを無視した。

できちゃってから、無神経にマヒトに「新しいお母さんよ」と言い、腹に手を当てて見せた。ものすごい攻撃性である。

ヒサコの病死が確定的になった時、ナツコの憤懣は爆発した。ヒサコの旦那に言い寄り、ヒサコが死にそうなのでチョメチョメできない旦那の方も、ナツコに飛びついた。

つまり、ナツコと父親は不倫である。

だからヒサコが死ぬ前にもう、子供は出来ていたのである。

それでたまたま空襲があって、火事によってヒサコは焼死するのであるが、ヒサコが助からなかったのは、救助の優先順位が最も後だったからである。何故、最も後だったかというと、焼死でなくても病死することは確定的だったからである。

これが、マヒトがナツコに敵意を抱いていた理由なのである。ナツコと父親は、ヒサコとマヒトを裏切ったのである。

ただ、ナツコには武器があった。自分はヒサコそっくりの一卵性双生児である。だから、マヒトに「自分はヒサコとほぼ同じ存在だから、お母さんにスゲ替わることは可能、だから細かいことは免罪してね」という説得力である。

それで、苦しい思いをさせてゴメンネだのなんだのと、心にもないことを言って母親の振りをしようとしたのである。

だが、マヒトは許さなかったのである。飯もまずいと言ったし、呼んでも返事をしなかったのである。チョメチョメするとこでは怒りに打ち震えていただろう。私はアンビバレントな気持ちでなかなか興奮させられたが…

ナツコの方は、ヒサコという恋敵の子供など最初から嫌っていたのである。嫌っていたけれども、表面的にはマヒトに母親と認知させなければならないし、一卵性双生児の自分ならば可能と思っていた。

ナツコはマヒトを嫌っていたので、わざと玄関で、マヒトが見ているかもしれないのに、チョメチョメの前振りを始めるのである。それでマヒトの戦意をくじき、自分を真の母親と認めさせる、そういう戦略だったのである。

ナツコの本性が現れるのは死後の世界(パラレルワールド)で、クライマックスにおいてである。死後の世界で嘘をつくことはできない。なぜならテレパシーで通じており、現世の音波による会話はないからである。

ナツコとマヒトの死後の世界における位置関係が最も遠かったのは、ナツコとマヒトの心的距離感を示している。幽界では現世の思いぐせがそのまま実現するため、ナツコとマヒトが心的に遠いと思えば、実際に遠くなり、会うのに障壁が出来てしまうのである。

マヒトは「君たちはどう生きるか」という本を読んで、どういう訳かは知らないが、ナツコと仲直りし、母親として認める決断をし、ナツコに会いに行く冒険の旅、すなわち幽界行脚を始めるのである。

ナツコは自分の正体を知られたくないと、マヒトを拒絶するのであるが、マヒトは無理やり自分の天の岩戸、すなわち心の殻に入り込んでくるので、しまいには本性を表し、「あんたなんか大っ嫌いよ!」と吐露する。しかしマヒトの意向を聞いて、また、姉のヒサコのフォローを経て、二人は和解するのである。

これこそが、本作の本当のあらすじとでもいうべきものである。

よろしければサポートお願いします!