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宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか』レビュー④本作における肉体、幽体、霊体の扱い

通常は肉体を脱ぎ捨てて幽体となり、幽界へ赴くのだが、本作では肉体のまま幽界に赴く設定になっている。無論、死霊となれば肉体はなく幽体となるのであるが、肉体が生きながらにして幽界に行くことができるのである。

それは幽体離脱のようなものではなくて、肉体がそのまま変化するのである。

宇宙人のテクノロジーだから、地球人の計り知れない仕組みがそこにはあるのであるが、状態がどうなっているかはスピリチュアリズムで説明はつく。

幽体は肉体よりも波動が細かい存在である。肉体の次元の外に幽体の波動はある。だから、通常肉眼で幽体を見られないシステムなのである。肉眼が捉えるのは物質世界の光の波動である。幽界の波動は肉眼で捉えられない異質な次元の波動である。それが本作では宇宙人のテクノロジーによって見えないはずのものが見えたり、肉体がそっくりそのまま波動を幽体に変えたりする。

幽体では、自分の思い通りの年齢にビジュアルをコントロールできる。なので、おばあちゃんは自らの幽界の世界で若い漁師のような姿になっていた。おそらく、若い頃ああいう生活をしていたのだろう。

で、おばあちゃんは生霊であるため、まだ幽界最下層部、つまり地獄と表現される次元にいる。そこでは、これから生まれていこうとする人間の子供の魂が、霊界から天下ってくるところであった。

ペリカンとか動物霊のくだりはよくは分からないが、宮崎駿の妄想であろう。この辺は、作家としてドラマ性を持たせた程度の話である。

それで、ナツコはどういう訳で塔に呼び寄せられたのか?

ナツコは出産のため体力が低下しており、幽体離脱に近いような状態だった。そこへ宇宙人のテクノロジーが作用して、肉体ごと幽界に来てしまった、というようなことではないか、と思われる。

マヒトは敷地の異変に気付いており、異形のものからナツコを助け出すために自ら幽界に来た。それはかつての大叔父やヒサコも、その正体を突き止めるために幽界に来た。そのうち、ヒサコは1年で現世に帰ったが、大叔父は2度と帰らなかった。

ちなみに、マヒトとおばあちゃんが地獄に落ちたように見えるのは単なる精神作用で、死後の世界に上も下もない。地球の重力から解放された世界が死後の世界なのだ。だから落ちたから地中だと考えるのはナンセンスである。そこは次元の違う別の領域なのである。

ヒサコはこの5人の中で特別な存在である。

ヒサコは一度現世に帰っているはずなのに、なぜか塔に居た1年間の姿で存在した。じゃあ、死んだヒサコはどこへ行ったのか?

本作で本当に死んだと言えるのはヒサコだけである。大叔父は生きながらにして塔にとどまっている。もっとも、大叔父は浦島太郎状態なので、現世に戻ったら即死するとか、肉体に異変をきたすのではないかと思われる。

ヒサコが死んだとき、幽界は、あの1年間の経験における幽界だった。つまり、ヒサコのペルソナは幽界に戻って来たのだ。だが、そのペルソナは、マヒトの事をまったく知らない状態だった。つまり、戻って来たというより、あの1年に退行した、といった方が正しい。

じゃあ、死んだヒサコのペルソナはどこへ行ったのか?

幽界の上に霊界という次元がある。それは現世の思い癖をすべて捨てきった魂がたどり着ける境地で、幽体における物質的概念をすべてなくした光の存在である。そして、それが霊の正体なのであって、それは本霊という、自己の悠久の本質なのである。それは幽体、肉体に隔離された魂にとって守護霊なのであり、神なのである。

ヒサコの霊はすでに霊界に融合していたと思われる。

それで、霊界にたどり着いた魂は、幽界の魂よりも、より精妙で霊性が高い。だから、5人の中でもっとも霊性が高いのはヒサコである。他の4人は人間並みである。

ヒサコが出現する時、炎の演出があるが、それを火事のせいにするのは偽装である。

炎は幽界の物質的次元と、霊界の光の次元の、中間的な存在である。流動的なものとしては形があると言えるが、光とも言える。

つまりヒサコの次元は、幽界を超えた守護霊の領域に本体があったのである。

じゃあ、幽界に居たヒミというキャラは何なのか?

それは、ヒサコの脱ぎ捨てた幽体が、塔で過ごした1年の思い癖の状態であり、そこに分霊を分け与え、記憶を当時の状態に据え置いたと思われる。本当のヒサコはすでにその守護霊である。

死後、まだ間もないのにその次元に行けるのは、ヒサコというのが元々霊性の高い存在だったからと思われる。それで生前、自己の病死が確定してすぐ、ナツコと夫の関係を、あっさりと承諾したのかもしれない。

ちなみに、おばあちゃんが現世の記憶をなくしていたのは、ヒミとは事情が異なる。おばあちゃんはまだ生霊である。おばあちゃんは単に夢の中にいたのであろう。

このように、本作をスピリチュアリズムに当てはめて説明することは可能である。

で、細かい物事についてそれ以上考察する必要はないと思う。もう、キリが無いし、視聴者が勝手に解釈すれば良いであろう。なので、大局的な設定としては以上のようなことが言える、というにとどめよう。

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