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深夜3時、一本の電話から生まれたヒット曲

1967年春のとある夜、フォーク・シンガーのジュディ・コリンズは、深夜3時にアル・クーパーからの電話を受けた。アルといえば、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」での共演(印象的なオルガン演奏は彼によるもの)や、ブルース・プロジェクトの一員だったことなどで知られたミュージシャン。二人は、60年代初頭からの友人だった。アルは手短に深夜の電話を詫びた後に、とても素晴らしいシンガー・ソングライターと出会った、彼女の歌を聴いて欲しいと言って、女性に電話を代わった。ジュディは彼女の声に耳を傾けた。歌を聞き終えて電話を置くと、これほどに美しい歌を聴いたことが無いと、ジュディは思わず泣いた。

電話口の女性は、ジョニ・ミッチェル。アルのバンドのライヴの終演後に、自分はソングライターだ、アルが好きな曲があるかもしれないと自らを紹介し、共に向かったアルの家でギターを弾きながら自身の作品を歌った。これを聞いたアルは、真っ先にジュディに電話を入れた。ジュディは、アルの電話先がバフィ・セントメリーでもなく、キャロリン・へスターでもジュディ・ヘンスキでもなく、自分だったことに感謝をしているとジョークまじりに述べている。これがジュディと「青春の光と影」の出会いだった。

この年の秋、ニューヨークで録音が行われた。編曲はジョシュア・リフキンが、担当した。彼はエレクトラ・グループ内においてクラシックや現代音楽を発表するノンサッチ・レーベルのプロデューサー、指揮者、演奏家として働いていた。後年、バッハの音楽解釈において画期的な発表を行い、今日ではヨーロッパ古典音楽、ことにバッハ学者として世界的に著名な人物だ。
ジョシュアはスタジオにハープシコードを持ちみ、そして今なお記憶される印象的なイントロのフレーズを弾いた。事前に何も聞かされていなかったジュディはこれに驚き、クラシカル・ロックなフィーリングを持つアレンジに惹かれ、とても楽しく録音を終えたと述べている。

「青春の光と影」は68年秋に発表され、全米8位を記録するヒットとなった。

こちらはジョニ・ミッチェルの自演版。アル・クーパーとジュディ・コリンズが聞いた演奏の雰囲気を、ととどめているかもしれない。


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