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亜米利加レコード買い付け旅日記 9

 こちらも、20数年ほど前にホームページに投稿していた原稿の再掲です。
 年老いた店主が一生をかけて作ってきた店の閉店が始まっていると、もう随分と前から聞いてきました。店主の引退に伴って後継の若い世代が在庫を買い取り、それを整理して自身の店のストックに加える際に、若きオーナーにとって価値がないと思われるレコードを処分するという話も聞きました。
 今回の話のご主人のように、長い時間をかけて集めたレコードのすべてを、まるで図書館のように並べようとする店は、おそらくもう今後は現れないことでしょう。なにが彼をこれほどに惹きつけてきたのか、店のレコード棚の前に座り込んで眺め考えていた自分を、再読しながら思い出しました。



 中古レコード商売には、お客様からの買い取り品をとにかく並べるリサイクル型と、 価値ある(とスタッフが信じている)レコードをセレクトして陳列するブティック型の二通りがある。リサイクル型では、チェーン店、あるいは大型店展開が可能だが、ブティック型となると、どうしても店舗規模は小さくなり、スタッフの個性が色濃く商品のセレクトに現れる。店舗運営全体にも、個性が反映する。こうしたスタイルの違いは、その店を擁する町の成り立ち具合を抜きにしては考えられない。

 個性の強いレコード店が生き延びる術を許している寛容な街には、まず間違いなく個性的な気の利いた、それもチェーン店ではない個人営業のレストランやカフェがある。ジャズ・レコードの豊富さ、フォークやカントリー・ミュージックに対する態度、ブルースやゴスペルの扱いなど、店頭の様子を見ていると、その街の人達の音楽に対する嗜好が、 なんとなく見えてくることもある。まず間違いなく、ボクらとは肌合いが会う。大規模モールが点在し、タウン・ハウスが立ち並ぶ新興住宅地には、ユニークなブティック型のショップは、まずない。むろんインターネットの時代だから、そうした個性はすこしずつ際だちを失うとする意見もあるが、 そうは簡単にいかないのがアメリカでもある。

 その店は町の中心街から、2時間ほどかかる郊外の一角にあった。古本とレコードを併売していて、音楽ソフトは、エジソンが発明し19世紀末近くに製造された再生装置のために作られた円筒状の蝋管レコードから、CDまで並べている。体育館2つほどもある大きな店舗には、奥の階段をくぐると地下室があるのだが、それでも店内に在庫が収まりつかず、付近に数件の倉庫を借りてレコードを保管している。1枚のレコードを探すために、ひとかたまりもある重たい鍵を手に、若いスタッフの後ろをついて複数の倉庫を周り歩くことになる。チェーン店でも、また一介のブティック・ショップなどでもない。まるでどこかの大学の図書館のような規模の古書・中古レコード・ショップなのだ。

 カウンターに座っているのは、にこやかに笑う巨漢の女性だ。年齢は70歳を越えているかも知れない。僕が手にしていたピート・シーガーのアルバムをめざとく見つけ、「ファンだったのよ、私ね」と彼女は言う。「ピート・ シーガー、ウィーバーズ、もう大好きだったのよ。素晴らしかった。フォーク・ソングから、随分と学んだものよ。ニューポートのフォーク・フェスティバルに出かけたこともある。ヒッチハイクをしてね。確か1967年のことだった」。

 店主は彼女のご主人だ。体の具合が悪く、もうほとんど動くことが出来ない。文字を書くことも出来ないが、会話は可能だ。口振りには、張りがある。奥の部屋で一日中、そっと横になって休んでいる。高血圧や睡眠障害のために、12種類の薬を一日4回に分けて服用している。とはいうものの、これという商品の値づけけは、彼が行う。レコードにプライスの記載がない場合は、若いスタッフがご主人の所に持っていくと、値段が口頭で伝えられる。彼は、克明に音楽の詳細を覚えている。

 一体全体、何枚のレコードがここにあることだろうか。アメリカの音楽の歴史そのものがこの店に収まっているのではあるまいか、と錯覚させるほどの厖大な量だ。おそらくこの老夫婦にも全体量はわかるまい。そのレコード、本、なにからなにまで、彼らが買い集めたのだということに思い当たり、改めて彼をしてこれほど大量のコレクションへと導いたレコードの魅力を思い、僕は思わずため息をつく。
 「ご主人は、もう動けなくなってしまって、寂しくはないのでしょうか?」。
 彼女は、微笑みながら言う。
 「とんでもない。彼は音楽の記憶と共に生きているのよ。彼はとても幸せ。彼の中で音楽が生きているのだから」。
 こうしてまた、音楽が生き続けるさまのひとつを、 僕は知る。

イラストレーション ツトム・イサジ

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