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Wait for the blue sky

雨続きの日々に多くの鳥たちは何処に姿を隠しているのだろう。
森の中?公園の何処か?橋の下?雲の上?魔法で姿を消しているの?

北から南、南から北へ。
誰に言われたわけでもなく、
鳥たちはユートピアを目指して羽ばたき続ける。

愛ある場所を離れるなんてしたくないけれど、
天が指し示す雲と風を読み、羽ばたかずにはいられない。
なぜなら彼らは翼を持っているから。
羽ばたくことが彼らの使命だから。
明るい方へと向かう。

鳥は不思議。
燕も、鷲も鷹も羽の大きさは違うのに、
パワーは同じというのか、
皆、同じ場所まで遠い距離を羽ばたいていく。

燕みたいなスケールの立ち位置から物語を大きく想像しがちなぼくには励まされる姿だ。
どんなに羽は小さくても鳥たちは皆、やがて、辿り着いた時、同じ距離を羽ばたいたことを知る。
あんなにも小さな身体だというのに。

もしも羽が傷付いたらどうするかって?
空を飛ぶ、あの念力を持つ鳥たちのことだから、きっとパラレルのように癒やされた羽の世界を生きるでしょう。
世界は無数。人間はどうしても悲惨なことをありがちと想像しすぎる。
量子力学のように物語と世界をセレクトできる魔法のような真理はハーフアンドハーフであり得る。

それは現実的ではない?
あの鳥を見て、大空を羽ばたくあの小さな身体を見て、何をもってそれを、
この世界を現実だと言うことができるのか。

漢字を崩してみたなら王が見る家冠の下の夫に横線を足したようなこの言葉を現実だとでも?

小さな雀が見る地球一周のパノラマ。

勇気をくれる。

身の程を越えすぎた広大な世界で慌て間に合わず狼狽えてしまうのか。それともさらに宇宙と一体になって人生を謳歌するのか。多くを求めず足るを知り、静寂を愛し水の清らかさに喜ぶのか。両方を選んだっていい。

人生は儚くも永い。

小さな羽でも、何も持っていなくても、マイナスだらけの現状だろうと、見渡す限りを超えた遥かな世界はどこまででも広がっている。
心次第で世界は色を変えてしまう。

常識なんて、まるで小さな頃、通学路にできた水溜まりのように飛び越えて仕舞えばいい。
濡れてしまっても上等。ラララ♪

生命はBird♪
そして Earth&Sea♪
その姿は Sun&Moon♪

どんな難問も鳥のような抽象度で人生を見ることができたならきっとアインシュタインも微笑む公式をアカシックレコードから映し出すことができる。

小さな頃、夢の中で低空飛行から街中を飛び回るとき、身体の力を抜いて素直に世界を眺めていたね。

なかなか上空へと舞い上がれなくてもスーッと身体は旋回してビルの隙間もひとっ飛び。

上を見上げればUFO。

常識って何?現実って何?
超能力ってどこからどこまでが超能力?

巡り合うご縁と人生。天の恵み。
心に生まれる幾つものメッセージ。
真我、宇宙から導かれる摩訶不思議なストーリー。
自分だと思えば、それは世界であり、世界だと見るそれは我。複雑でありながら流れに乗る時はスノーボードで滑走するゲレンデパノラマのように、羽ばたいて越えるヒマラヤ山脈パノラマのように。

ちょっと力を抜いてみようかなと思うこの頃。走り過ぎれば、時々セーブして、もう少しすれば緑たちももっと輝く。空は青く光出す。

鳥が国境を越える時って、きっとそんなに疲れていない。
悠々とまるで夢のように、または覚醒した全宇宙のようにゼロの世界に美しさを見ている。

たとえそこが嵐だろうと越えることを誇らしいだとか、どうだ!すごいだろう!とかではなくて、自分自身に勝つことを喜びに、流れる川水の清らかさに感謝をしている。

世界はきっと想像を超えて遥かに豊かに♾️。

それがひとりひとり、自分自身だと思えるなら、
なんて素敵な、ありがとう、人生。

がんばりたいのです。力を抜きながら。

いただきましたサポートは活動生活資金として大切に使わせていただきます。創作活動を持続できますよう温かな御心とサポートいただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします。あなたが幸せでありますように。