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I’ll be rooting for you!

昨日、小学生の時の同級生と久々というより遥かな時を超えてランチをしてきました。
パニーニサンドのお店だったのでパニーニとコーヒーを共に。

彼とは中学生の時の塾も一緒。
4人しかいない小さな数学の塾だったから馴染み深くて、こんな年齢になっても普通に会うことができるということ、これはあたりまえなことではないんだと、懐かしい笑顔を前に嬉しい気持ちでいっぱいでした。

当時の同級生の名前も曖昧な部分、僕の場合は多くて、特に女子に関してはほとんど覚えていない。

僕が作詞家としてデビューした時、「俺、アトジンが作詞家になった時、楽園のCD、20枚買って友達に配ったんだよ。カラオケ行ったら歌、難しいから歌えないけど、かけてもらって印税入れてあげてって、いっぱいカラオケで流してもらってた」ということを打ち明けてくれた。
僕は顔が上げられずに感謝の気持ちでいっぱいになった。

あの時、同じようなことをしてくれた親類、仲間たち、沢山、想像がつく。

有頂天で、過信しまくって、自分一人で何もかもを成し遂げた気持ちになっていたけれど、皆、心から応援をしてくれていた。
出会えた生命がスペシャルだったから、僕も特別なことに関わることができた。
あの楽曲に関わる全ての人々に対してそれぞれの親しい生命の応援があって売れたのだと思う。

それなのに僕は25年もかけて、思い上がりだけで生きてきてしまった。

恩を仇で返すというか、今更ではもう、どこまで過去を戻せばいいのかと悔やまれることは次から次へと心に浮かぶ。

音楽業界、極端な枚数が売れるということはとても素晴らしいことでもあり、一面、怖いことでもある。
自分を見失うこと、無知こそが、この人生の最大の罠であり、闇。様々なタイプの人種も近寄ってくる。と言われているにもかかわらず、やはり僕はスペシャルに恵まれていた。
人に救われてきた。

早朝から開店しているパン屋さんのテラス席で一人でこの文章を書いている。
ある意味、僕はかなり寂しいよなと思う。周りは皆、ファミリーばかり。
孤独には慣れているけれど、ファミリーでいる人々の輝きは世界そのものだと思う。

僕はたとえ綺麗ごとと言われようとも目に映るすべての幸せを祈り続けている。
毎日毎日。

この春の日差しよ、木漏れ日よ、多くの人々の思い出として、記憶として、人生を豊かにしてください。
ささやかでも幸せに心身で気づき、エールを贈り合うことのできる世の中でありますように。

20枚のCDを購入して応援してくれた幼馴染。
いつのときも必ず笑顔で迎えてくれる仲間達。
僕が思い上がっている時に、「あなたは思い上がっている」と指摘してくださったぼくにとっては地元での顧問のような方。
本来出会えるはずのないようなレジェンドであるのに気さくに、そして真摯に僕をクリエイターとして認めてくださっている方々。

沢山の応援をいただいてきた。

友達もいないようなこんな僕なのにというのはすべて自分の卑下の極地の妄想で、見るものと、見られるもの。
見るものは常に変わらず、純粋意識として僕のゆく道を敷いてくれている。

出会う全てに声援を送りたい。
行動として僕も応援し続けたい。

応援をする生命。

それがこれから歩む道。
ゴールは内緒。

人の眼差しの温かな世界は、いつのときも自分次第。
世界を思う時、出会うすべての眼差しは仏性と神性を宿している。

ありがとう。人生。

阿閉真琴

いただきましたサポートは活動生活資金として大切に使わせていただきます。創作活動を持続できますよう温かな御心とサポートいただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします。あなたが幸せでありますように。