小角コーポレーション 最終話

最終話
 人生も生活もまったく変化もパターンも変わることの方が稀である。
 信じていた人が裏切る、信じていたことが信じられなくなる、裏切るつもりはなかったが弱い心から裏切ることになってしまった。そういうことの言い訳ばかり達者になって、状況のぬるま湯を期待ばかりするのなら、明日を信じて二度と大事な人やものを裏切ることをせぬと毎朝悔いて祈って死に物狂いで毎日を懊悩に食い殺されないように生きていくしか道はない。
 穢れた自分を穢れたと詠じるならば、そういう詩人は昔いた。
 克哉と同じ時に小角コーポレーションの十年研修を受けていた人間が居たのだが、赤石岳で克哉と二人滑落しかけて、その人、戸田美沙子は自分で自分のザイルを切って滑落していった。
 みちるに会うまで克哉は内罰を抱えて、その内罰とともに生きていて、きっとその罰からは一生解き放たれることはないだろうが、大事な人やものを裏切ることを二度としないと決意して努力しつづけることぐらいは自分にも出来るのではないかと克哉は思うようになった。
 そんなときに二回も大きな震災が起きて、不公平で理不尽でも命あるなら精一杯生きていく、生かされるうちは精一杯生きていく、そういう儚さが命であり、悪いやつだろうがいいやつだろうが、そういうことには見事に公平で理路整然としているのが命である。
 克哉はみちると二人地下鉄に乗ってその姿が映る窓の二人を見るのが好きだった。そういうことを思うときに克哉は自分の幸運を噛み締めていた。