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たまには哲学してみようか。

本を書くという行為は、自分のルーツをたどる行為だ。

そもそも人にはそれぞれルーツがあり、それが萌芽し、育ち、実を結び花を咲かせる。

ルーツのまますくすと育てばよいのだけれど、でも、育つ途中で出会う色んな誘惑とか外圧で、歪んだり、傷ついたり、ねじれたりもする。

自分の裡にある「欲」とか「執着」とか「見栄」とか「虚栄」とか・・・。

そんなモノでズレて行ったりもする。

つまり、ルーツ通りの育ち方をしないんだ。

本を書くという行為は、その「ちょっと違ってしまった自分」の”本来あるべき姿=ルーツ”を見定めに行くことであり、触れる行為だ。

捻じれ方がひどかったり、知らず、ついてしまった傷が大きかったり深かったりすると、ルーツに触れる行為の痛みはかなりのものかもしれない。

でも、ルーツは確かにあり、あなたにとって当たり前の姿でそこにあったのだ。

諸行無常の力で歪み傷ついた自分を、隠さず、さらけ出し、痛みに耐え、傷を手当てしながらあるべき姿に戻そうとすること。

それが本を書くということなのだと思う。

と、たまには哲学してみた。

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