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半村良『戦国自衛隊』~境川のこと~

千葉真一さんの訃報に接し、『戦国自衛隊』の思い出が蘇りました。

映画版の思い出

'79年公開前、渋谷に試写を見に行きました。そのとき上映された版は、編集が公開版と異なっており、斎藤光正監督が「全体的にもう少し編集(カット)する予定。エンドロールもどうせ観客は途中で立ち上がって帰ってしまい本編エンディングの構成上、邪魔になるのでカットするつもり」という主旨のお話をされていたように記憶しています。私は持っていないのですがDVDにはこのエンドロール付本編が入っているようですね。その試写会で配布されたお土産や抽選で当たったポスターなどがまだ実家にあったはず。帰省の折に探してみたいと思います。

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小説版の思い出

伊庭の部隊がタイムスリップしたのは新潟・富山県境の「境川」。小説の最後は、

義明が死んでからだいぶたった或る年の6月のはじめ、越後人の信仰をあつめていた境川川口の「ときの神」をまつった社が、一夜に消えてしまっていた。(略) もし興味があるなら、北陸路を旅した折りに、境川川口を調べてみるのも面白いだろう。その越後側に何があるか・・・。

とむすばれています。境川は、新潟の実家から割と近く、高校の夏休みに北陸本線で市振駅まで行き、そこから境川川口を見に行きました。残念ながら「ときの神」の痕跡を見つ出すことはできませんでした。奇しくもこの夏(つい先週)帰省の折、えちごトキめき鉄道のリゾート列車「雪月花」に乗る機会があり、その列車の折返し地点になっていた市振駅に降り立つことができました。ツアーなので駅ホームから出ることはできず、境川川口には行けませんでしたが、40数年ぶりの市振駅再訪に感慨ひとしおでした。

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境川川口

越中・越後の境界は、古来「神済」と呼ばれていたそうです。

律令 公式令五一 朝集使條 凡朝集使。東海道坂東。東山道山東。北陸道神濟以北。山陰道出雲以北。山陽道安芸以西。南海道土左等國。及西海道。皆乘驛馬自余各乘當國馬

「神済」の所在をどこに比定するか、いくつかの説があるそうですが、いずれにしても「境川」そのものか、その川口近辺だったようです。境川の西にあった新川郡に「神度神社」というお社があるようですが、これは、越中側なので残念ながら「ときの神の社」ではなさそうです。

気になるのが「神済」の読み「かみのわたり(かんのわたり)」です。半村さんが「神済」という古地名をご存知だったかどうかは、今となっては識る由もありませんが、いかにも「ときの神」の社があり、タイムスリップが起こりそうな名前です。また「わたり」といえば『産霊山秘録』ですよね。

日ノ民   古ヘ山山ヘメクリテ神ニ仕フル人アリ。 タタ日トノミ稱フ。 高 皇産靈神ノ裔ニアリ、妣ナクシテ畸人多ク生レ、産靈ノ地ヲ究ム言フ。 (神統 拾遺)

「神済」をキーワードにして『戦国自衛隊』と『産霊山秘録』の世界が結びついているとしたらどうだろうか、と妄想してしまいます。「境川」近辺には、ほかにも「神済」の比定地の一つ「鹿嶋神社」、世阿弥「山姥」の舞台「山姥神社」、金太郎伝説(母親が山姥)などがあります。いつかまたゆっくりと境川川口を訪れて「ときの神の社」の痕跡を探しに行こうと思っています。


参考にさせていただいたサイト

『養 老 律 令』

『現代語訳「養老令」全三十編』

『境川 (富山県・新潟県)』wikipedia

『令制・駅の基礎的研究』丸茂武童

 『古代北越の境界・神済(かみのわたり)について』鈴木景二

『越中国式内社「神度神社」と「神済」の所在について』藤田富士夫

『古代越中国と越後国の国境「神済」の所在について』藤田富士夫

『山姥と遊女 巫女の系譜』朝日新聞デジタル 富山

『境川川口 用例.jp』

『SF小説 「戦国自衛隊」 番外編』ムーミンのミーハー日記

『戦国自衛隊「同族じゃ」』youtube サバオ

付録

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