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「0から1」を笑っていないか

0から1
1から2

前者が圧倒的に難しいのは周知の通りですね。でも、前者の営みは周囲から理解を得にくい。作業中、まだ何もできてない段階がほとんどだから。今日は「0から1」、つまりオリジナルなものを作ることに関する話。

「天才」という奇妙なラベル

まったく新しいものを世に生みだす人は、時に「天才」と言われます。天才と狂人は紙一重とも。

でも、「天才」は外から貼られるラベルにすぎません。当人はただ自分の信じるものを追求しただけ。そうしたオリジナルの追求者のうち、周囲の理解が得られたり、社会的に成果を残したりした人が「天才」のラベルを貼られる。

「成功しなかった人は〇〇だったから」などの指摘もあるかもしれませんが、たとえば○○に「独りよがり」と入れたところで、「天才」と呼ばれる人にも当てはまる人は多いはずです。案外、天才かどうか、を分ける指標は見つからないものです。私は、オリジナルの追求者は、立っている地平自体は同じだと思っています。


変わり続けたピカソ


「0から1」に共感してくれる人は決して多くはありません。たとえすでに名の売れた人であっても。

たとえば、画家のピカソ。彼は長いキャリアの中で作風が幾度も変化した画家として有名です。「12歳の頃にはラファエロのように描けた」と言ったとか言わないとかのエピソードがありますが、少なくとも先人のやり方を反芻するだけの「1から2」を早々とやめ、「0から1」を繰り返してきた人といえます。

作風が変わると周囲の理解を得られないこともしばしばで、痛烈な非難も受けたようですが、彼はおかまいなく邁進し続けました。結果、彼が経てきた作風それぞれが、後世に大きな影響を与えていると言うのだから脱帽するほかありません。

逆風の中でも折れずに、また時にはあえて逆風を作りつつも「1」を生みだし続ける人が、まったく新しいものの価値を知らしめ、「天才」と呼ばれるに至るのでしょう。


「1から2」ばかりの毎日


ここで、「でも自分は天才じゃないよね」、で終わらせてはもったいない。先に述べたように、「天才」はあとから周囲がつけるラベルです。
べつに天才になれというわけではなく、オリジナルを追求すること。自分で「0から1」を生み出す営みが、新しいことをする前提になります。

でも、毎日を振り返って見ると、驚くほど「1から2」の営みが多いはずです。すでにある「1」をいかに大きくするか、とかも含めて。考えれば考えるほど、「そうじゃない」と言い切れないんじゃないでしょうか。

そして気づけば、きれいに整って陳列される「1」に憧れ、求めている。あるいは、外面だけまねた「1’」を作り出すことに夢中になっている。もちろん、模倣から生まれるものもありますが、コピーするだけで満足してしまっては「1から2」でしかありません。

大事なのは、自分のオリジナルをどこに見出せるか。
たとえば絵を描くこと。文章を書くこと。なんでもいいです。こんなに創作によったものでなくてもよいのですが、ちゃんと自分の中に落とし込んでオリジナルを生みだしているか。

これ、結構大変です。やってみないとわからないのですが。
そして、やっとオリジナルらしきものができた、と思っても、周囲にはなかなか理解されない。共通項が少しあれば説明はしやすいですが、オリジナリティが強ければ強いほどそれは困難になります。でもこれは仕方ないですね。


他人の「0から1」を笑っていないか

さて翻って、オリジナリティを「受け取る側」に身を置いてみます。
先述のように理解は非常に難しい。他人のオリジナリティに対するわれわれの反応は時に残酷です。

「なにそれ?そんなことして意味あんの?」
「くだらないことしてんなよ」
自分の理解を超えたものに対しては、こんな風に心の中で思ったりしていないでしょうか。よく見もせずになじっていないでしょうか。

こいつバカか、と思いながら、「0から1」の途上にいる人を笑ってしまう。そして時にはそこに、「そんなことをやってしまえること」に対しての嫉妬が隠されていたりする。自分にはできない、という思いの裏返しが反映されていたりする。

繰り返しますが、他人の「0から1」を評価するのは非常に難しいです。
そもそも「評価」自体が、その人の知見がベースになるものですし。

なじること、笑うことは簡単にいくらでもできるんです。
そしてつい無意識にやってしまう。

そんなとき、
「これはこの人の“0から1”かもしれない」
と考えるようにしたい、と私は思います。

その人のする、「よくわからないこと」を否定せずに受け止めたい。評価するのではなく。
あわよくば、いずれそれを自分の知見に加えられたら素敵ですね。

「社会で求められることかどうか」なんて狭く守ってないで、常に自分にとって新しいことを受け入れる用意をしておく。それが、結果的には自分のオリジナリティの研磨にもつながるんじゃないかなと思います。

興味をもっていただきありがとうございます。