190529_カギトビ2

ちいさなコペット・びぎにんぐ(前編)

雨上がりの夜の森に、赤ん坊の泣き声が響き渡っていた。
闇が広がる木々の間を男は決死の思いで森の中を走っていた。一刻を争う事態だと思っていたからだ。湿った空気の全身に浴びて、散らばっている枝葉を乱暴に踏み荒らし、肺が体の中で激しく伸縮を繰り返している。苦しくて仕方ないが、それでも脚を進ませる。早く赤ん坊の元へ行かねばならない。雨が止んだ今、飢えた獣がきっと赤ん坊の肉を求め、泣き声に向かって走っているに違いないと考えたからだ。尊い命を助けださねばならぬという使命感に燃えた魂を内に秘めて、男はようやく赤ん坊の元へたどり着いた。
雑草が生い茂る中、汚れた布に包まれて赤ん坊は元気よく泣いていた。おそらく、生後二ヶ月といったところだろうか。
男は安堵して赤ん坊を抱え上げようとした。
その刹那、水溜りが跳ねる音がした。
男は振り向き様に自身の二の腕と同じくらいの長さの杖を構え、その先から閃光を放った。
激しく明滅する杖の先が指す方向にいた獣は、光に驚くと体を捻らせて来た道を戻っていった。
赤ん坊は光に気づくと、感動して泣き声をとめた。
「静かになってくれてありがたい。私も早く戻って君を親御さんの元へ戻してあげよう」男はそう言って辺りを見渡した。
そして奇妙な違和感を覚え、その直後に愕然とした。
この赤ん坊の周りには花が咲いていたのだ。赤黒く、強烈な腐臭を放つラッパのような形の花。雨のおかげで臭いがいくばくかマシになっていたのが不幸中の幸いだろう。
この花はカーンの花と呼ばれている。腐った肉のような臭いを放つことで動物をおびき寄せ、そしてよって来た動物に種や花粉を粘液でくっつけるのである。
そんな花のそばにこの赤ん坊は置かれていたという事は、すなわち捨てた張本人らは飢えた獣らに赤ん坊を見つけて欲しかったのであろう。つまりこの赤ん坊は死を望まれていたのである。
帰りを待つ親など当然いない。
ゴミ同然に廃棄されていた小さき命。これがちいさな魔法使い、コペットのはじまりだった。

「コペットー!こらー!どこにいるー!」
石造りの廊下を背の高い初老の男が、若干疲れつつも大声をあげながら歩いていた。
この男は、この国にしては珍しい種族の男で、顔の骨格はどこか動物の犬に似ている。長い髪を三つ編みにして結い、逆三角形の耳は気だるそうに垂れており、全身を纏う体毛の色は灰色で、その身を細かい刺繍と年季が入った服で包んでいた。
「コペットォー...ここにいるんだろう」
男は自分の部屋にあるこれまた年季の入った仕事机の下を覗き込んだ。
少女がいた。齢6歳程度で、ボサボサの緑の髪で顔を隠した、この国で一番多い人種の特徴である真っ黒な肌をした女の子だ。口元をむっつりとさせて体育座りをしている。進級祝いに買った魔術帽子は頭から外してそばに置いていた。
「また担任の先生から連絡が入っていたぞ。同級生の手を噛んだらしいじゃないか」
コペットは二ヶ月前に学校の小等部に入学したばかり。幼稚園の幼少クラスでは問題なかったが、年長クラスでもこんな事件報告が何回かあった。
コペットは小さな口から、子供特有の高い声でぶつくさと不満を漏らした。
「あいつがいかん。コペットは怒ってるって口で言うてもわからんと言うから、わかりやすく口で噛んでやったの」
男は大きなため息を吐いた。全くもうこの子ときたら。
「そんな真似は汚いから辞めなさい。…一体何があったんだ」
「コペットの事、いきなり指差して言ってきたの。いらん子だって。コペットは学校の席を余分に取ってるから邪魔とか言ってきた」
「そうか...」
またか。年長クラスでもそうだった。
男はコペットの側に座ると、膝の上に彼女を乗せた。易々と持ち上げられるくらいに小さくて軽い子だ。
この小さい体の女の子が捨て子だったということは、既に多数の大人に知られており、そして噂が流れた結果として子供たちの間でも知られてしまった。
迂闊だった。元捨て子というレッテルがここまで劣勢だと認識されるとは。当時の自分の考えのなさを男は今でも悔やんでいた。
ふわふわとした髪の毛に埋もれた頭を優しく撫でて、男はコペットに言い聞かせようとした。
宙に漂うくらい細い髪の毛、柔らかい質感は猫のようだ。
「そいつはイカンやつだ。でも暴力で対抗するのはもっといかん」
コペットはちょっと黙ってから、自分の意思を育ての親に伝えた。
「噛みたくて噛んだわけじゃないもん。コペットも出来たら食べ物以外を口にいれたくない」
コペットの声は、喋れば喋るほどに震えていった。泣くのを我慢しているのだろう。さぞ悔しい思いをしたに違いない。
「コペットもう学校行きとうない」
ついにコペットは宣言した。男は少し驚いた。今回ばかりは本当にコペットは集団生活の場に嫌気がさしたらしい。
男はまた頭を撫でながら、優しい声で言い聞かせようとする。
「学校はな、悪いとこじゃないんだ。本当は色んな事が楽しく学べるんだぞ」
すかさずコペットが早口で言い返した。
「いちいち悪口言われるのを楽しめ言うん?座ってるだけで紙くず投げられる。本もまた落書きされた。これじゃーべんきょーできーん。先生も知らんぷりしてくる。むかむかだけが頭の中に入ってくるんもうイヤん。お家でべんきょーさせて」
コペットは言い切ると、男の胸元に抱き着いてきた。渾身の力で男の体を掴んでいるようだが、男が大した痛みを感じないくらいには彼女は非力だった。
「なるほどな」
全くこの子には感心させられる。コペットが最初に問題を起こした時、それもまた暴力事件だったが、それも同じクラスの子に言われた誹謗中傷が原因だった。集団生活に馴染ませるために無理に学校に連れて行かせても、また同じ事を繰り返すのだ。これで四度目だが、ついにハッキリと「学校に行きたくない意思、その理由と今の自分の現状、対する解決策」を私に伝えてきた。つまり、本当はきちんと会話が出来る良い子のはずなのだ。
男も、このままではいけないと丁度思っていた。
「わかった。ちょっと待ってなさい」
男はコペットを膝から下ろし、オヤツのあるリビングに行くよう伝えた。
コペットが部屋から離れるのを見届けると、机に置かれている筒状の通話用魔法道具「伝話」を手に取ると、受話器の向こうにいる相手に、怒りを抑えた静かな声で、連絡をした。
「コペットの担任2人に私の元へ来るように伝えてください。今すぐ」

「イジメ?あの子はそう言ってるんですか。言う事もやる事も大袈裟ですね」
「子供同士がはしゃいでるだけですよ。学校ではよくある風景です。教頭もよくご存知のはずです。」
教頭とは男のことだ。男から視線をそらしてコペットの担任二人はそんなことを言った。
全くもって、若い連中はあれだから嫌なのだ。言い方だけでなく、言葉に嫌味がある。
なによりもあの二人の目ははっきりと伝えていた。「あの子を気にかけるなんて時間の無駄である」と。
教頭と呼ばれた男は頭を抱えた。コペットを救い出した時の事を思い出す。
湿気を含んだ空気の中、汚れた布に包まれた赤ん坊を救い出し、すぐにしかるべき施設に預けようとした時も「ベッドがない」とか言われて突っ返されたのだ。行方不明児童の届け出がないか検索するも何もヒットせず。途方に暮れつつ面倒を見ながら里親と預かり場所を探そうとしたが、とにかく断られるばかり。
それもこれもあまりに根深いこの国の問題が原因である。
この国は、教育機関「学校」と政治が密に関わっており、地位や役職や仕事が与えられるうえで「学力」と「魔法を操る技術」と「体に蓄えられる魔力量」が重要視される。そして最後の魔力量はそのまま才能とみなされるのだが、とにかく遺伝されにくい。
学力も魔法技術力も鍛えれば良いが、生まれ持った魔力量はどうにもならない。そしてこの魔力量は赤ん坊が生後一ヶ月程度になると測定する事が出来る。
試しにコペットを測ってみたが、なるほどとてもとても持てる魔力量が少なかったのだ。普通の三分の一程度だ。
コペットが捨てられたのは間違いなくそれが原因だ。
親は子を愛するものという認識は、この魔力量の測定が可能になってからあっさり瓦解した。
コペットだけじゃない、捨て子が本当に多いのだ。
富裕層はより良い跡継ぎの為に才能が無い子を育てるくらいならさっさと次の子を産むし、貧困層は将来羽振りのいい職についた子に養ってもらう為にやっぱりさっさと次の子を産んだ。
全ての家庭がそうでは無いがやはり捨て子の数は他国と比べて多い。
捨て子であったという事は、コペットの魔力量が少ないという事だったので、彼女を囲うもの等の視線もまぁ良くなかった。何せわざわざ男に言ってくるやつが多かったのだ。「そんな子を育てて何になるというんですか」と。
あまりに辛辣な世間の目に男は正気を失いかけた。いや、そんなことを言う周りからした既に男は正気ではなかったのかもしれない。だが、男が添えた小指を力強く握ってくる小さい手の赤ん坊を、あの腐臭の満ちた花畑に戻すなど彼には到底出来るはずもなかったのだ。
コペットには悪いと思いつつ、男はこの子に望みを賭ける事にした。魔力量など関係もなく、きっと良質な教育をさせて、純粋にこの子の学力で馬鹿どもを見返させてやると。
だがまさか教育機関がその邪魔をしてくるなど思いもしなかったのだが...。
教師二人をさっさと返し、コペットの教育をどうするべきか男が悩んでいると、コペット自身が提案してきた。
「あそこをコペットのがっこーとする!」
はぁ?と思い彼女が指差す方向を見やると、だだっ広い庭の小さな木々に囲まれぽつんと立つ物置があった。ほとんど使われていない半球体の屋根をした物置だ。中には掃除道具程度しか残ってない。
「自分の部屋じゃダメなのか?」
「コペットがここにおると、ジジも仕事に集中しにくい思う。それに、あそこなら周りに自然一杯だからのびのびできそー」
ジジというのは男の事だ。パパと呼ばせようとしたが見事に失敗した。
「なるほど。じゃあ、掃除しなさい。お前一人で掃除できたら、あそこを勉強部屋として使ってよろしい。勉強道具以外の持ち込みは禁止だ」
「はーい」
コペットは元気よく駆けて行った。
一応、この家もあの庭も男が管理しているが、学校の敷地内だ。この国は、国自体が巨大な学園になっている。まさに学園国家だ。国自体が既に巨大な学校なのだからあの物置小屋を学校と呼んでも、まぁ違和感はなかろう。男は教頭という地位を与えられている。コペットのことはコペットとして、また生徒として学習環境を与える為に見守る義務があった。
コペットが出て行ってから1時間ほど経った。
「やっぴー できたー」
コペットは謎の言葉遣いで掃除の完了を知らせに来た。
そんなに早くにできたのか?疑問に思って男はコペットの新しい学校に向かった。
想像よりも大分綺麗に片付いていた。
土埃の被っていた物置全体からは汚れが取り払われ、蜘蛛の巣が張っていた物置内もチリ一つ落ちていない。
その上、すでに机と椅子、教科書などの勉強に必要なものが一式揃っていたのだ。
す、すごい。
「どうしてこんなにはやくできたんだ?」
「ふふん。おしえてしんぜよー」
コペットは小さなお子様用の杖を振った。すると、物置の影から泥人形のような塊がたどたどしい足取りで現れた。
「ゴーレムか!」
「あたりー ジジの持ってる本にやり方書いてあったん。やってみたらできたー」
驚いた。土人形のゴーレムは上級生用の魔法道具だ。作り出すには地霊文字で長文のスペルコード(要は難しい字で書く命令文)を一字一句間違えずに書く必要がある。スペルコードに書かれた命令通りに動くこの人形は、魔法を操る技術もないと中々できない、ちょっとした鬼門だ。
「すごいぞ、コペット!」
素直に驚いた。コペットは照れ臭そうに頭を掻いた。
「ふふん。もっとほめてー」
「ああ、褒めるとも。お前はすごい子だよ」
コペット専用に学校を作り、勉強に集中させる。もしかしてこれは名案なのでは無いか?
制作されたゴーレムを見せてもらい、その構造を見て関心した。コペットくらい魔力量の少ない子でも作れるようにとても小型で、書かれている命令もとても簡単だ。
この年齢でここまでのことをやってのけるとは、素直に感心した。
男はコペットにいくつか専用の校則と教育機関準拠のカリキュラムと課題を与えて様子を見る事にした。
コペットに必要以上に期待してしまいそうな自分が少し怖い。夕方近い空を眺めて、男はそんな事を考えていた。

コペットが物置学校を設立して一週間が経過した。
男はその日、いつも通りに通信用魔法道具を使って勉強部屋で励むコペットの質問を受けていた。
「まりょくりょう回復させる薬て庭の植物でもつくれる?」
「ごぉれむに手伝って欲しいことある?」
「ごぉれむの本もっと読みたい」
「まりょくをコペットいがいからごぉれむにあげれる?」
「まりょくの本もっと読みたい」
コペットはこれでもかと質問をしてきた。コペットと会話ができるのは、男にとっても喜ばしいことだったが、あまり質問を大量に飛ばされては自分の仕事が疎かになってしまう。それに自宅にある本にも限界があった。
せっかく本人が本を読みたいと言うので、男は図書館を勧めた。コペットは「がっこういやん」と言ったが、夜に貸し出しに行けば良いと伝えた。夜でも少量ではあるが夜勤用の職員がいる。24時間勉学に励める環境体制を作っているのがこの国の良いところだ。
やがてコペットは渋々と図書館に向かうようにしたらしい。
夜遅くに行かせすぎると、体に毒だろうから門限を決めねば。
男は通信用魔法道具から離れると、趣味でやっている園芸用の庭に出た。
庭の通路には白い石がタイルのよう並べられており、その為明るくて清潔感があるような印象を訪れる者に与えた。
陽を浴びて輝く青々とした葉と、色とりどりで形も様々な植物の美しきカオスの世界がそこには広がっていた。
植物の中には魔力を生成するものがあるのだが、それを干して土に混ぜて腐葉土とする事で、他の植物に栄養に魔力を与えることができる。そのため、男の自慢の庭には野生には存在しないような、青い帯をガクの周りに巻いたような花や橙色の毛玉のような花や大きく進化した食虫植物などの沢山の不思議な花が咲いていた。
コペットの面倒を見ることが多くなり、すっかり世話を見ることが少なくなっていたが、今もこうして元気よく植物たちは男を迎えてくれる。疲れた時に来ると癒されるのだ。
今度、ここの植物を一株だけ学園長にお譲りする約束がある。立派な植物だから学校でも育てようと言ってくれたのだ。男はその事を密かに喜んでいたし、自慢のタネになるだろうと思って一人心を躍らせていた。

さらに一週間経ったある日。事件は起こった。
その日、男は仕事を全て午前中に片付けた。
翌日には庭の植物を学園長に送るという一大イベントがあったからだ。学校の公共の庭に、自慢の植物が置かれるというのはとても気分が昂ることだ。だから今日の午後はゆっくりしたい。そう思っての行動だった。現在、日はすでにだいぶ傾いており、空は少しずつ赤みがかってきた。
男は珍しくその日はあまり質問を寄こさなかったコペットの勉強の様子を見ようとした。慣れた手つきで通信用の魔法道具を起動させて連絡を取ろうとする。
無反応。
だいたいこの時間は机に向かっているはずなのだが、と違和感を覚えた男は、とりあえずコペットの名前を呼んでみた。
「おうい、コペット!勉強は捗っているか?」
無反応。いよいよおかしい。
勉強をさぼったら、それなりに罰を与えると約束をしている。余程のことがない限り返事がこないはずはない。
時計を見て時間の余裕を確認すると、男はコペットの所へ向かった。
いよいよ一人での勉強に飽きたのだろうか?ならば学校の少人数のクラスに名前を移してもらって、徐々にまた学校に通わせるいい機会かもしれないな、などと考えていた。
物置学校へ着くと、目を見開くほどの驚きの光景が広がっていた。
物置学校自体は無事なのだが、学校を囲む地面が盛り上がっていた。辺りには小さなゴーレムが砕かれた状態で転がっている。
「何だこれは!」
思わず声をあげてしまったが、男はすぐに状況の確認を急いだ。
学校のドアを慎重に開けて覗いてみたが中は無人で、片づけてない教科書や紙が床に置かれてはいたが、争った形跡などはない。
辺りを見回してもコペットは此処には居ない様子だった。
男は流石に焦り始めた。コペットはいないが、土地は荒れている。部屋は問題ないが、コペットがいない。
必死に周りに向かって、とにかく声を張り上げて、誰がいるかもわからない周りの景色に向かってコペットの名前を呼んだ。
「コペット!コペットォー!」
叫び声が虚しく森の中に響いていく。風に揺れた葉の音は、男を笑うように囁き声を交わしているようだった。
男が返事を求めて耳をすませると、しばらくの沈黙の後に地響きが聴こえてきた。
地面が小刻みに震えている。
「な、なんだ」
男は木々の合間を縫うように駆け、音に向かって足を急がせた。警戒などしない。それよりここで何が起きたのかを知るのが先決だ。
ああ、こんな気持ちで森を走るのは初めてあの子と初めて出会った日の夜以来かもしれない。そう思うと焦りも増えていった。
音の主はすぐに見つかった。
ゴーレムだ。
コペットが以前作って見せてくれた物と形がよく似ている。
しかし、コペットが以前見せてくれた物よりもうんと大きかった。男の背丈とコペットの背丈を足した分よりも大きい。しかも、ゴーレムの頭のてっぺんのあたりには可愛らしい黄色の花が咲いていた。あの花は男が庭で品種改良をして作った花だ。
男はつい驚いて素っ頓狂な叫び声をあげた。
「なんだこれはぁっ!」
ゴーレムは、ゆっくりとだが真っ直ぐにある場所に向かって進んでいた。このまま直進するとどこに向かうか?
男が丹精決めて育ててきた花たちのある庭だ。男はそれに気が付くとやっぱり叫んだ。
「あかん!」
幸い、ゴーレムは一体だけだった。動きはゆっくりだが、一歩が大きい。男は慌てて服の裾から杖を取り出すと、適当に振りまくって魔法をゴーレムの足めがけて放った。
光を纏った風たちが一直線にゴーレムの足に斬りかかる。しかし、2,3発程度の攻撃では表面がぽろぽろと崩れる程度のダメージしか入らなかった。
なかなか手強い。ゴーレムの歩みは止まらない。
土塊の表皮が剥がれたところをよく見ると、植物の根がびっしりと生えていた。どうやらあの根がゴーレムの体内を血管のごとく駆け巡り、結果としてゴーレム自体の強度を上げているようだった。
「とまれ!とまってくれぇ!」
もはや庭はすぐそこだ。一刻の猶予もないが、男のやることはただ一つ。
無我夢中で杖を振りまくり、ゴーレムの足を削りまくる事だった。
杖を振って、光を放って、足を壊して。振って、放って、壊して。腕が吊りそうになったが、それでも男は振るのを止めなかった。
そうして庭まであと数歩の時点で、どうにか片足を粉砕することに成功した。
バランスを崩したゴーレムは、庭のある前方に向かって倒れた。
倒れた拍子にゴーレムは体を大きく壊した。ガラガラと瓦礫の崩れるような音がする。
男は息を飲んで見守ったが、どうにか植物たちは無事だった。
「全く!一体なんなんだこいつは!」
緊張の糸が途切れた瞬間、男は思い出したかのように怒り始めた。そして、まだ腕を使ってじりじりと動くゴーレムをすかさず庭に置いておいた土を整備するためのスコップなどの道具でザクザクと掘って破壊していった。
するととても見覚えのある杖が発掘された。
私がコペットに送った初めての杖だ。
「コ、コペット!?」
男の顔から血の気が一気に失せた。
スコップを捨てて、もう一度ゴーレムをよく見てみる。服が土で汚れることにも構わず、手でゴーレムの色んな所を掘り始めた。スコップだともし土中にコペットがいたら、大怪我させてしまうからだ。
爪の隙間に土が入ってくるのがとても不快だが、そんなことよりもコペットの方が大事だ。
ゴーレムをよく見ると、頭のあたりに男にはとても見覚えのある緑色の靴が見えた。コペットのものだ。良く見ると若干動いている。中でもがいているようだ。
「コペット!」
男はコペットの名前を呼びながら靴の周りを急いで掘った。腰ぐらいまで掘り進めると、体を掴んで急いで引き上げる。
コペットは新鮮な空気を吸うと、いつもどおりの高い声でよくわからない言葉を発した。
「ふやあーん!」
彼女は土中から解放されると、すかさず男に抱き着いてきた。お互い服も顔も髪も土まみれで汚れている。
男は彼女の身体についた土を払い取ってあげながら、彼女に訊いた。
「コペット、一体何があったんだ。」
彼女は自分の杖をふりながら、たどたどしい口調で説明をし始めた。
「ごぉれむ作って、ジジのお庭掃除の手伝いとかしたかったん…。ジジの庭にある、まりょくがたくさーん詰まってる植物を使えば、もっとごぉれむを役立てられると思ったの。植物とゴーレム合体させたらすごいし、できそうだからやってみたかった」
「なるほど、通りで私が品種改良して育てた花がゴーレムに咲いていたわけだ。」
コペットの持ってない量の魔力を、魔力量の多い植物をゴーレムに植えることで補助させた。そして動いたことが確認できたらあとはコペットは魔力を使わず、花だけの魔力で制御させようとしたらしい。しかし発想は豊かでも技術はまだまだだった為、今回のような暴走が起きてしまったと。
コペットの発想は素晴らしいし、何より思いついてすぐ行動できるのも良い事だ。
こんな事態でなければ。
「とにかく、ゴーレムを片付けよう。私も手伝うから。ゴーレムが私たち以外の目に入ったら面倒だ。」
コペットはぶるぶる震えて私に告白をしてきた。
「あーう。ごめんなさい。ゴーレムあと2体いるん」
「このサイズを三体作ったのか!?わかった。どこにいるんだ、そいつらは。」
「としょかんにむかっちょる」
「あかん」
あかんわ。

コペットは一度に多くの本を、巨大なゴーレムを使って運ばせようとしたらしい。
図書館で借りれる本は一度につき二冊だが、コペットは6冊以上借りようとしていたとのこと。こっそりやればバレないとでも思ったのだろうか?
勉強熱心なのはいいことだが、これは流石に倫理を学ばせねばならない。
だがそれよりも先にまずはゴーレムだった。
男は杖を振ると、家の中から移動用の魔法道具を呼び出した。家のドアをくぐり抜けて出てきたのは、四輪のついた屋根のない車だ。魔力を持つ石を動力にして動く。
男はそれに乗り、コペットを乗せてベルトでしっかり固定させると、さっさと出発させた。
図書館まではまぁまぁ距離がある。急いで行けば間に合うだろう。
夕暮れによる朱色の空は控えめに地平線の彼方に色の跡を残し、すでに夜の闇が森を覆っていた。
「夜のどらいぶ ひさしぶりだね」
コペットはちょっとバツが悪そうな空気を緩和させようとした感じでそんな事を言った。
「舌を噛むから口を閉じなさい」
男はぴしゃりと言い切った。心苦しいが、後で叱らねばならぬ。
一応、私有地なので法外速度で走らせても問題はないはず!そう言い聞かせると杖を振り、車に魔法をかけ宙に浮かせると猛スピードで走らせた。
「うぶぶぶ」
コペットが後ろで驚いて声をあげている。男は歯を食いしばっていた。
森の上に広がる無人の空を、一台の車が風を切りながら図書館の方向に向かっている。
ゴーレムに追いつくのにそう時間はかからなかった。
一体は足が遅かったらしく、のたのたと図書館へ一直線に向かっていたが、先を行くゴーレムにだいぶ遅れを取っていた。ならば、狙うは先を行くゴーレムだ。車を先頭のゴーレムに追いつかせると、男は杖を振り、今度は冷静に呪文を唱え、杖の先から大砲の弾のような光の弾を発射させた。
コペットの前だから無様に魔法を使うような真似をしたくないのもあった。
見事命中した魔法により、ゴーレムの足は半分くらい吹っ飛んだ。
もう図書館にだいぶ近い。早くとどめを刺さないと。
もう一発立て続けに打つと、ゴーレムの足は見事に吹き飛び、そして足から崩れていった。
「はわん。すごい」
コペットは後ろでゴーレムの事を観察していた。熱心な子だが、熱心すぎやしないか。
しかし危なかった。ギリギリのところでなんとか破壊できた。もう一体を崩したら、さっさと証拠を消すために片付けもしないと。
気が抜けて男はそんな事を思っていた。
その時だ。
後続のゴーレムがすごい勢い転がってきた。
腕を抱くようにしてうずくまり、短い脚で歩くのをやめて、図書館に重力があるかのようにして、落石のごとく転がっている。
男たちの乗った車の横を弾丸のごとく通り抜けていった。
「なあぁッ!?」
男は素っ頓狂な声をつい上げてしまった。
一体どうしてだ?それを考えるのは後だ。男は車のスピードを上げて走らせゴーレムの後ろをさらに追った。
ゴーレムの側面に周り、回転の勢いを殺すために光の弾を2発撃つ。しかし勢いはなかなか落ちないし、ゴーレムもあまり壊れない。
再度撃とうとしたが、先の攻撃によってだいぶ疲れてしまっていたためか、先ほどと同じ威力のものを撃てなくなっていた。
己の情けなさに、男は呻いてしまった。
「くッ、どうすればいいんだ…!」
頭を抱えていると、後ろのコペットが叫んだ。
「はなーっ!はなを枯らすのー!おはななくなったらゴーレムとまる!」
「そ、そうか!」
男はコペットから杖を預かると、それを強化させてゴーレムの体めがめて飛ばした。杖は深々とゴーレムの土の身体に突き刺さる。そして男はゴーレムもとい花の魔力を、コペットの杖を通じて吸い取っていった。
花の魔力はとても大量だが、図書館までそう距離がない。時間勝負だ。
吸い取った魔力は、男の身体の中に貯めるには多すぎるので、杖を持っていないほうの手から放出をしていった。
片手で強い熱風を受けつつ、もう片方の手から急激に熱を奪われていくような感覚がする。
しかもその熱風はまるで嵐のように強い力で男に当たってくるのだ。
「うううん、辛い!骨に響く…!」
男の放つ魔力を浴びた森の植物たちは、通り雨からご馳走である水をもらったかのようにちょっと喜んで見えた。葉が元気よく青くなっていく。
一方、ゴーレムの回転によって潰されながらも健気に咲いていた花は、徐々に弱っていき、やがて全て枯れた。
ゴーレムの魔力をすべて吸い取ったのだ。
「よし!」
「やっぴー!」
男の急務はこれで終わったのだ。問題は何も起きなかった。めでたしめでたし。
…とはならなかった。
「あ、あれ?」
「うそーん」
ゴーレムは、もはや花の魔力など関係なく地面を転がっていった。
なんてことはない。ゴーレム自身が回転を続けていたから、その回転力がゴーレムだったあの土の塊に残っているのだ。
周りからの抵抗力があるため、しばらくすれば止まるだろうが、勢いが止まるより先にどう見ても、図書館に激突してしまう!
「あかんではないかー!」
「すみませぬー!」
仕方がない!覚悟を決めて、車ごとあの土の塊に突っ込むしかない。大変危険な行為だが、花が枯れた今は土塊の中の根も枯れ、強度はだいぶなくなっている筈だ。…と思う。
男は魔法で車の周りに光の壁を作り、土の塊めがけて突っ込もうとした。
その刹那、図書館から一陣の光が土の塊めがけて発射された。まるで鳥のようであり、矢のような鋭い光だ。
光の矢は土塊に深々と突き刺さると、土の塊を内側から木っ端みじんに爆発させた。
シールドを貼っていたおかげで、男とコペットには実害は出なかったが、べちょべちょと植物の根が絡んだ大量の泥団子が森の中で四方八方に散らばった。
男は車を止めて、膝から崩れ落ちた。
「お、おわった」
色んな意味で。これでこのゴーレムの事は明るみに出てしまう。男はこのゴーレムたちを自分たちで処理したら、人目に付く前に証拠を隠滅するつもりであった。しかし目撃者が出てきてしまった。つまり、ちょっとした問題として記録されてしまう。この事件を起こしたのはコペットだ。ただでさえ学校で浮いてしまっているコペットが、主犯として汚名をかぶってしまう事でさらに浮いた存在になってしまう。するとどうなるかというと、ますますコペットの不登校が続き、最悪の場合孤立してしまうだろう…。あとどうでもいいが男の書類仕事も増える。
男は頭を抱えて、事態の打開策をどうにか脳みそからひねり出そうとしたいた。目撃者が一人なら、どうにか黙っていてもらえないか頼み込むしかないのでは…。
「ジジーどうしたのー。げんきだしてぇ。コペットちゃんとあやまるから」
元気の失った男に寄り添いたいからか、コペットは椅子から降りようとしたが、ベルトのせいで上手く降りられず、腕と足をじたばたと暴れさせていた。車はゆっくりと地に足をつけた。
「コペット、落ち着きなさい。はぁ。」
「やーん。こんなことしたくてごぉれむ作ったんちがうのに」
わかったから、と男がコペットを制していると、図書館から車に向かって声がかけられた。
「大丈夫ですかー!」
男が声の主を確認しようと頭から手をどかせると、暗い景色の中に立つ二人の人影が目に入った。
一人は金髪の少年だ。青い魔術帽子をかぶり、誠実そうでスラっとした佇まいは間違いなく高学年の者だ。男は彼の少年をよく知らずとも、評判だけは耳にしていた。成績優秀にして名門の家の嫡男、ラプゥサ・コーンだ。
そして、その隣に立つ長身の人物を視認した瞬間、男は思わず「ゲゲッ」と悲鳴にも近い声をあげてしまった。
学園長だ。この学校で、かつこの国でもっとも面倒くさい人物だ。

「あーもう。」
男はぶっきらぼうに呟いた。両手でこめかみを抑えて、地面に視線を落とす。あの学園長にどう対応したものか悩む。コペットはベルトを外すのに苦戦していた。
意を決した男は顔を上げ、学園長に素直に謝ろうと思い、立ち上がって振り返った。
目の前に学園長がいた。月の灯を背にして、身の丈もあるマントを身にまとい、静かに笑う顔の仮面に覆われて素顔は見えない。
急に目の前に現れたので男とコペットはとても驚いた。
「良い夜だ。退屈な日だと思ったが、ゴーレムが図書館に向かって転がってくるとはね。」
楽しいものを見せてもらったと言わんばかりに学園長は笑った。対照的に硬い表情をした男の額には嫌な汗が浮かんで流れた。コペットはきょとんとしている。
夜の冷たい風だけがひんやりと気持ちよく、なぐさめるように男の肌を撫でた。
「ジジくん。明日、君から花をもらうつもりだったけど、それはとりやめだ。またの機会にしよう。明日はその子とゆっくり休日を楽しむといい。散歩とか勧めるよ?」
風の慰めも虚しく、男の気持ちは地の底に失墜してしまった。せっかくの名誉ある花の贈呈が持ち越しになってしまった。コペットはやっとの思いでベルトを外すと、暗い表情の男の脚に抱き着いた。男は慰めようとしてくれるコペットから元気をもらうと、弱弱しく返事をした。
「ありがとうございます。そうします」
「じゃあおやすみ。ああ、掃除はきちんとしておくように」
そう言うと学園長は二人に背を向けてきた道を帰っていった。向こう側に居た少年も心配そうにこちらを観ていたが、学園長と共に帰っていった。
手を振る学園長に対して、コペットは小さな手を控えめに振って答えた。
「オヤスミー」

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