「シデレウス」が楽しみなので2. 天動説と地動説:ヨシュア記の記述と天動説(カシオペア稽古動画)

初日カシオペアチームかそろそろ中日で折り返し地点です。
浜松町の天気は曇りとうかがっていますし、しばらく梅雨の続く季節ですが湿気と気温よりも熱いものが見られたことと思います。
私は地方から行く予定をしていますが、明日は土日ですし、公演前などに科学館やプラネタリウムに足を運ぶのもいいかもしれません。

個人的に時間があればいこうと考えている施設は

葛飾区郷土と天文の博物館 

です。浜松町とは決して近くはないのですが、行きたい理由は大きく3つほどあり一つは、プラネタリウムの上映スケジュールに

星の夜間学級 星空をめぐる太陽

今夜の星空解説とともに、星の基礎を学ぶ番組です。
公転する地球から見ると、太陽の位置は星たちを背景にどのように変化して見えるのかを、宇宙と地上の視点から解説します。

とばっちり基本的なことを抑えてくれそうなものが現在上映中だからです。
あと正直やすい!
入館料100円、プラネタリウム350円。
こういう施設の存在はとてもありがたいです。

前置きが長くなりました。
本題です。前回お知らせしたとおり、今回の記事は、

2: 天動説と地動説 ヨシュア記の記述と天動説(カシオペア稽古動画)

をテーマにしたいと思います。
ただし、地動説ではなく、当時、唱えられていた天動説がどのような理論だったかをメインにしようと思います。
というのは下の稽古動画のセリフを理解するのに必要なのは、地動説にいたるまでの理解ではなく、当時の天動説がどのような理論だったかへの理解だからです。

というわけで、まず見てみましょう。32秒くらいのところからです。

ガリレオ「太陽は西から東へ1年をかけ12個の星座にしたがって移動し太陽の動きを止めると日没時間は早まります。つまり、聖書のその一節は天動説の根拠とはなりません!」
マリア「聖書を否定するか」
ガリレオ「目の前に見えている自然現象が断片的に記されている聖書と異なるとき、我々が疑うべきは自然現象ですかそれとも聖書ですか」

おそらく、公開されてる動画の中では一番、難解なセリフです。断片なのもあって文脈自体、理解しづらいと思います。
さらっと流した方もいるかもしれませんが、
「太陽を止めたら、日没時間がはまるんじゃなくて日は沈まないまま止まるんじゃないの? 」
と疑問に思われた方もいると思います。

このセリフを理解するのに必要なのは以下の4つです。

① ガリレオのこのセリフ(手紙)は誰に向けられたものなのか
②(上記と合わせて)どうしてこのセリフをガリレオはいう必要があったのか
③ 聖書のどの記述に対する否定ととらえたのか
④ 当時、唱えられていた天動説がそもそも基本的にどのような理論だったか

とくに、④に関しては中学の理科の天体(私は正直、太陽が1年の運動としては西から東へ動くことはすっかり頭から抜け落ちてましたがこれ義務教育の範囲でした。義務教育おそるべし)を思い起こす必要があり、ちょっとウッとなるかもしれません。
が、ここに理科の動画5時間以上みてそれでもガリレオの言ってる意味がわからずに、資料をあさりまくったて「あー-------そうかー-------------」となるのに4日くらいかけた愚かな女がいますので、皆さん以下気軽に読んでください。
現代のそれと違うとはいえ、歴史の教科書にのってる研究者たちが人生かけて構築した理論を3分インスタントラーメンでわかる人はまずいないので、わからなくても頭がいいとか悪いとかも特に関係ないです。(関係ないですがインスタントラーメンの開発にかかった時間は絶対3分じゃない)

とはいえ、「当時唱えられていた天動説の理論」については完全に中学理科の範囲を超えているので、そこは可能な限り、私の理解の届く範囲でかみ砕いて説明しようと思います。あと、動画もご紹介します。

まず、
ガリレオのこのセリフ(手紙)は誰に向けられたものなのか

(上記と合わせて)どうしてこのセリフをガリレオはいう必要があったのか
について。

劇中での流れで実際どうだったかはまだ観劇できてないのでわかりませんが、史実という意味では相手は主に二人考えられます。

一人はガリレオの弟子のカステリ、もう一人はガリレオのパトロン(つまり支援者兼出資者、後ろだてですね)のトスカナ大公コジモ二世の母、クリスティーナ

 経緯はこうです。
 1613年の12月のことです。(※年齢的には、ガリレオ39歳、ケプラー32歳、カステリ35歳)
 ガリレオの弟子でそのときはピサ大学の数学教授をしていたカステリはトスカナ宮廷の朝食会に招かれます。つまりは、お城の朝ごはんに招かれたわけです。
 トスカナ宮廷というのは要はガリレオのパトロンであるトスカーナ大公コジモ二世のおうちです。
 このコジモ二世の姓はメディチ。
 ガリレオは木星の4つの衛星を発見したとき、自分のパトロンに対してすれるゴマは擦っておくべきなので、メディチ星と名付けました(この辺りは劇中でもあったと聞いています)。
 それもあってか、朝食会後に、木星の衛星についての話題がでたそうです。
 ガリレオの弟子のカステリとしては師の功績を説明するチャンスだったわけですが、一緒に朝食会に参加していたピサ大学の哲学教授のコジモ・ボスカリアが地球の運動は「聖書」の記述に反する、という指摘をします
 これに、敬虔なカトリックであるコジモ二世の母が関心を持ち、カステリに説明を求めました。
 カステリはその場にいないガリレオにかわって説明するのですが、どうにも二人は納得しません。
 「学者の観測に基づいた最新の理論に納得しないなんて! 」、というのは簡単ですが、アインシュタインだって量子力学に生涯納得しきらなかったという話があるくらいです。その時代最高の頭脳でもその時代の別の最高の頭脳の言ってることがわからないとかよくある話です。
 なので、これは個人的な意見ですが、当時のインテリ層とはいえど弟子のカステリにもクリスティーナにもあまり罪はないと思います。
 ともあれ、ガリレオはカステリからその話を聞き、朝食会の約10日後にカステリに自分の考えを説明する手紙を出します。

その手紙の内容は、要約するならば「天動説のほうがむしろ聖書の記述に反している」とうものです。

ここで地動説が
③ 聖書のどの記述に対する否定ととらえたのか
と思われたのかを見ていきます。

それは旧約聖書のヨシュア記の第10章12ー13節です。抜粋します。

ヨシュアはイスラエルの人々の見ている前で主をたたえて言った。
「日よとどまれギブオンの上に、
 月よとどまれアヤロンの谷に。」
日はとどまり
月は動きをやめた。
民が敵を打ち破るまで。

新共同訳聖書

 ヨシュア記自体はヨシュアがイスラエル人を従えて、カナンの諸民族を征服する話だそうです。この記述は、戦いのときにヨシュアが、主(神)に日=太陽と、月を止めるようにお願いして、イスラエルの民が敵を滅ぼすまで夜が来ないようにしたらその通りになった、という内容です。
 元々止まってるものに、止まれ、と命令することは普通ないでしょうから、太陽や月は動いているはずだ。
 なので、太陽が止まっていて地球が動いているというのは聖書に反する。
というわけです。

 聖書に書いてあることもそうですが、我々現代人も普段生活しているうえで地球の自転や公転のスピードを感じることはないですし、目に見える太陽は頭上を東から西へ動いていきます。
 繰り返しになりますが、そのうえで、聖書の記述に反するのでは? という、クリスティーナやボスカリアを説得するのはたとえこの二人自身が当時の知識階級であったとしても難しいものであったと思います。衛星写真でこうです!! と言えない時代で、素朴な実感と、宗教的なそれまでの観念、教えが一致しているときにすぐには飲み込めないでしょう。

では、ガリレオは彼らに対してどういう説明をしたのか。
「ガリレオ裁判——400年後の真実」からガリレオがカステリに宛てた手紙を見てみます。

聖書のなかには、言葉のむき出しの意味にとると、真実からかけ離れていると思われる多くの命題があります。これは庶民の理解力に合わせてそのように書かれているのですから、賢明な注釈者は真の意味を示し、そのような言葉が述べられた特別の理由を指摘すべきです。
(中略)
……次に、ヨシュアの問題の章句を考察することにしましょう。……さしあたり、聖書の言葉が文字通りの意味に受け止められねばならない、つまり、ヨシュアの祈りによって神が太陽を止め、日を長くしたため、彼が勝利を収めたと仮定して、敵対者に譲歩することにしましょう。……この文章はアリストテレスとプトレマイオスの世界体系が間違っており、不可能であることを明らかにしており、他方では、コペルニクスの体系と非常にうまく一致しています。

ガリレオ裁判——400年後の真実

 アリストテレスとプトレマイオスの世界体系というのは天動説のこと、コペルニクス体系とは地動説のことです。
 ガリレオは「天動説のほうがむしろヨシュア記の記述に反している」と主張しているのですが、これだけ読んで「太陽と月を止めたら日没が来なくなるという記述は天動説とどう折り合いが悪いのか」はサッパリわからないと思います。

では、同じく「ガリレオ裁判——400年後の真実」から、著者の田中一郎氏この記述に対する説明を読んでみます。

ガリレオが言おうとしたのは、天動説を採用するとしても、そのばあいには地球は自転していないのだから、太陽を含む日々の天体の運行は天球全体の日周運動に従っており、太陽独自の動きとは関係がない。太陽それ自体は、西から東への運動によって一年をかけて十二の星座の中を移動していく。だから、太陽の動きを止めれば、かえって日没は早まってしまう。しがって、「聖書」は天動説を支持しているわけではないということだった。理屈では確かにそうなのだ(中略)

ガリレオ裁判——400年後の真実

 ……よんでもサッパリわからない人も多いと思います。わかる方はおそらく、元々、天動説が単に太陽や星々が地球の周りをまわるというだけのものではないことを知って理解してらっしゃった方ではないでしょうか。
というわけで、ここから

④ 当時、唱えられていた天動説がそもそも基本的にどのような理論だったか

 というお話をしようと思います。
 ただし、惑星の逆行にたいするプトレマイオスの説明とかは一旦置いて、ここで述べるのは

・太陽の年周運動
・星の日周運動

 のこの二点です。

 まず、小中の理科で習う単語の確認です。

自転:コマのように、星が軸に対してまわること
公転:ある軌道上のようにまわること

 地球は自転と公転、両方をしているんだ、というのを理科で習ったことはそのことを体感できなくても覚えているかと思います。
 私たちが学校でならう地動説(地球中心説)では、「朝、昼、晩」の一日の流れは地球の自転によるものだと学校の授業で説明されたはずです。
 地球の太陽のほうを向いているほうは日が出ているし、向いてないほうは夜。文字だと正直、わかりづらいと思うのですが、動画で説明するとこういう感じ、が国立科学博物館のHPで説明されています。

太陽はなぜ東から出て西へ沈むのですか

 さて、では天動説では日の出、日没といった一日のうつりかわりをどのように説明していたのか。
 これ、「太陽が地球の周りを一周することで一日が朝昼夜が移り変わる」と説明してたと素人は思うじゃないですか。
私は小学生から勝手に今回ちゃんと調べるまで天動説はそうやって太陽の「東から西へ」の動きを説明していると思っていました。
 でも違うんです。
 上にも書きましたけど、地上から見た太陽の動きは二つあり、

  1. 1日をかけて東から西へ動く

  2. 1年をかけて西から東へ動く

 ただ単に一日をかけて太陽が地球の周りをまわるという説明だとこの2を説明することはできません。
 天動説はちゃんとこの1と2の両方を説明できる理論でした。
 がそもそもこの時点で「結局太陽はどっちに動くんだよ!!!」とキレたくなってもおかしくはないで、実際どういうことなのかはそれこそ観察データを見ましょう。
 現代の我々にはなんと「写真」という便利なものがあります。
というわけで、次の動画をご覧ください。
 中学受験(つまり小学生ですね)の理科で出てくる範囲の解説を目的とした動画です。
 12分ほどの7分25秒までひとまず見てみてください。
まさに、セリフにある「太陽は西から東へ1年をかけ12個の星座にしたがって移動」がこれでわかると思います。

(※気になった方はぜひお時間あるときに後編も見てください)

 というわけで、(地球からみると)太陽は西から東へ一年をかけて12星座を動いていくということになります。
 しかし、これ動画を見ればわかりますが、「太陽の一年の動き」を説明することにはなっても、「太陽の一日の動き」の説明にはならないことに気づくはずです。
 一年の動きよりよほど観察しやすい、一日の動きではどうみても太陽は東から西へ動いている。

 では天動説はどのように天体の日周、年周運動を説明していたか。
 それにはそもそもキリスト教、ではなくキリスト教徒からみたら異教であるギリシャのアリストテレスにまでさかのぼる必要があります。
 以下引用します。文章が固いのですが、きつかったらひとまず字面だけ追うでも大丈夫です。

アリストテレスは、地球が宇宙の中心であり、その有限な字宙は、地球から月までの「月下界」と、月より上(外側)の「天上界」とに大きく二分されると考えた。
(中略)天上界は(中略)唯一の完全な運動である円運動をする世界である。この天上界は「惑星」(内側から順に月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星) の 「諸天球」 と最も外側に位置する 「恒星天球」とから構成されていて、これらの諸天球全体が東から西へ一日一回転することで日周運動が説明される。また、諸惑星の天球は恒星天球に対して西から東へそれぞれゆっくりと回転運動しているものとされたが、これは太陽の移動に伴う季節の変化や諸惑星の恒星天球上の位置の変化を説明するためである。

プトレマイオス地球中心体系の今日的意味

 わかりやすくするために一部略しましたが、もうちょっと詳しく話します。 

 まず、天動説において
 太陽が地球を周る運動は一年をかけた年周運動です。これは動画でもみたように西から東へ動きます(上記でいうところの諸天球)。
では一日の日周運動はというと、上に書かれている「恒星天球」が担います。この天球は、地球の周りを東から西へ一日で動きます。
太陽をも含めて日の入り、日没を担う天球の動きと、太陽単体の東から西への動きがあります。連動してる。
 一日で一回転するという、ものすごく速い「恒星天球」の「東から西」への動きのなかを太陽を含む諸惑星の天球はゆっくりと「西から東へ」動いている。

 そこでようやくもとの「太陽を止めると日没が早まる」という話に戻ります。
 太陽と月を単独でとめたとしても、日周をつかさどる恒星天球は動いています。
 となると、「東から西へ」の動きにさからう動きがなくなるわけですから、むしろ日没は早まる。
 なので、天動説の説明する天体の動きを採用するとむしろ聖書の教えに反する。
 つまり、天動説はむしろ聖書の教えに沿うものではなく、自分(ガリレオ)は別に聖書に反してはいない。

というのがガリレオの主張です。

 ……長くなりました。
正直、ここまで書いておいてなんですが、あまり解説に自信がありません。なので、もうすこし納得するものがあれば加筆修正する可能性は大です。
 上で紹介した動画にもありましたが、ギリシャでつくられプトレマイオスでその大筋ができあがった天動説ってかなりよくできた理論です。同時に正直現代人にとっても十分難しんです。実際、この理論は1000年以上、暦をつくるうえでは耐えきったし、それくらい妥当なものだった。
 地球が動いている気がしないという素朴な普段の経験や、宗教的な絶対性と結びついても無理なからぬところだと思います。
 今回の記事の趣旨とは外れるので深くは追いませませんが、ガリレオの地動説の理論って当時から見てもいくつかハッキリと穴はあるので(その点は彼がケプラーの理論を取り入れなかったから悪いんですけど)受け入れがたい学者がいてもおかしくはないです。

 ただ、この聖書の解釈への言及を手紙でしたことはガリレオを異端審問へと導くものではありました。
 これについては、(講演中にかけたら奇跡なきがしますが)次の記事で書きます。

ところで、上記で地球の自転の話をちょっとだしましたが、それを証明した器具の再現は先に紹介した、

 で見られます。 
 地球の自転が証明されたのは、1851年、フランスのレオン・フーコーによるものです。
 つまり、自転の証明って実はかなり最近なんですよ。
「天動説は間違ってるから地動説だろう」で証明ってすまされない。
 ガリレオ裁判からゆうに約200年、コペルニクスからは約300年たってからのことで、それひとつとってもいかに「実証」というのが大変なことかわかります。

 また、こちらの博物館ではケプラーにまつわる代物も展示されています。
デンマークの天文学者で司祭でもあるティコ・ブラーエが観測につかっていた『大アーミラリー』です。
 『大アーミラリー』は、望遠鏡が発明される前の器具でで、ティコはこれをつかって星を観測し、大量のデータを採取します。
 ティコは、天動説を支持しそれを証明するために尽力したひとですが、彼の死後、その膨大なデータは彼の助手であったケプラーに託されます。
そうです、このデータから、ケプラーは惑星の軌道が楕円であることを導き出します。

 最後に、ちょっとそれこそ「世界の見方」が変わりそうなお話をします。
皆さん、ところで21世紀現在、「天動説」と「地動説」、どちらが正しいと思いますか?
 答えは、「どちらかを問うことに意味はない」です
 恥ずかしながら、私は今回調べるまで知りませんでした。
 どういうこと? と気になる方はどうかこちらの記事をお読みください。

それでは、今日が明日とほぼ変わらぬ続きでも、ある日の突然の衝撃も、その蓄積が10年、50年、100年、500年後に世界の色をかえる、日々の観測と仮説検証の延々に敬意を表して、舞台を楽しみにしたいと思います。

参考文献
西村秀雄 プトレマイオス地球中心体系の今日的意味 物理教育, 1989, 37巻
田中一郎 『ガリレオ裁判 400年後の真実』 岩波新書

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