LGBTQ当事者同士のすれ違い、など

先日、バーで興味深い話を聞いた。話す当人はFtM。

彼の元にこんな問い合わせが来たそうだ。「自分はFtMなのですが戸籍は女性のままです。それでも男性として雇っていただけますか?」というもの。彼は内心「そんなのシレ〜っと面接に来て、最後に言えばいいのに」と思いながら返信を書いた。すると隣に座る女性の先輩がチェックしたとき「ちょっとこれは辛辣すぎない? もっと当事者のことを考えて共感してあげないと。そりゃあ私の周りには(当事者は)いないけど、私ならもっと当事者の気持ちを考えて書くよ。」と。彼はもうその場で笑いを堪えるのに必死で「へ、はぇえ、はいい」と、おかしな返事をして書き直したそうだ。

知ってるようで知らない。「トランスジェンダー」とは何か|Ringo @maliceringo|note(ノート)


当事者同士なのに理解できない?

ここ!!! に!!!!! あなたの隣の席にトランスセクシャル当事者!!! しかも返事したのも当事者!!!!!!! という大変シュールな絵面が出来上がってしまったことが彼には面白くて仕方がなかったようで、聞いている私も爆笑してしまった。先輩は知らずして恥をかいてしまったのだが、彼女は知る由もない。彼は、先輩にカミングアウトするつもりもないし、する必要もないからだ。

しかし、後になって少し思うところがあった。

彼は「自分はFtMだ」と本人が言ったとしても、にわかには信じられないような見た目だ。だから、もしかしたら見た目や声にコンプレックスを持つ当事者とは、あまり通じ合えないんじゃないか? 「男として扱って欲しいと言う割に、友達にFtMしかいない人とか意味がわからん」と言っていたが、コンプレックスがある同士が共感し合うことはおかしいことではあるまい、と私は思った。それに、背も高くて骨格も大きく、顔つきや声も男性のそれでしかない彼を見て、誰が「もしかして元女性かな?」と疑うことがあろうか。


「パス度」にまつわるコンプレックス

私の知人(FtM)は「今でこそ何も気にならなくなったけど、昔はレズビアンの人たちが集まる場所にいるのが苦痛だった。自分は女じゃないからレズビアンじゃないのに、知識のない人に無理解なことを言われるのが本当に嫌だった。」と言っていた。

「今大丈夫になった」のはおそらく、現在「元女性」として間違えられることがないからかもしれない、と思った。単純に、周囲の無理解にうっすら慣れてしまったのかもしれないが、自分が現在完全な「パス度」を持ったことで自信がついたのかもしれない。

先ほどから言っている「パス度」とは、「埋没」とも呼ばれ、トランスセクシャルの人がどのくらい、自認している性別とその見た目が適合しているかどうかを指す。生まれ持った体が女性であることで背が低かったり、声が高かったり、そういうことにコンプレックスを持ちやすいのは、この「パス度」に深く関係している。体が男性に生まれていれば、第二次性徴期に声変わりしたり、ヒゲが生えたりして自然と体つきが変化するが、トランスセクシャルの人の場合はホルモン治療を始めてから、人によっては半年、遅い人で5、6年経って初めて変化が現れる。そうして肉体的に変化することで当事者は性別違和から解放される。

これはルッキズムに関わることでもあり、他者を見た目で判定することに繋がる考え方なので、私個人としてはそのような考え方には賛同できない。他人を外見で断罪することなど、本来なら誰にも許されることではないからだ。しかし、コンプレックスを持つ人間と、持たざる人間の間に断絶が起こるのはこのルッキズムが深く関わっているのではないか。


ルッキズムとは

ルッキズムとは、他人の外見やジェンダーの「らしさ」について差別することだ。これは「男性らしい、女性らしい見た目」「太っている、痩せている」「かわいい、かっこいい、美しい、醜い」などについて差別的な考えを持ったり、発言をしたりすることを指す。勘違いされやすいのは、褒めていようと貶していようと「ルッキズム」につながるということだ。

例えば職場で、男性の上司が女性の部下に「髪の毛切った? 可愛くなったね」とコメントしたとしよう。これはルッキズムからくるセクハラに当たる。業務と何も関係のない見た目についてコメントすること自体が、NGだということ。これがもし職場でなかったとしても、例えば女性に対して「女なんだから化粧してスカートを履け」とか、男性に対して「男なんだから髪の毛を短くしろ」などと発言することも、ルッキズムだ。

これを、トランスセクシャルの人に当てはめてみると… 言わずもがな、お察しの良い読者のみなさんならなんとなく想像はつくだろう。

セクハラとルッキズムは、密接に関係している。ジェンダーステレオタイプを誰かに押し付けることが、差別につながってしまう。生まれ持った、本人が変えられない外見について揶揄することが、差別に繋がる。そういった押し付けは女性にこそ起こりやすいと思われがちだが、同じように男性にも起こっているにも関わらず「男なんだからそんな小さいことは気にせず」と、これまたジェンダーステレオタイプを押し付けられるわけだ。そして、昔持っていたコンプレックスを克服した人は、そこに迎合してしまいがちなのかもしれない。


廻る廻るよ「押し付け」は廻る

上記のような「押し付け」は、いろんなところで巡り巡って誰しもの首を絞めてしまう。押し付けている本人は過去の自分を抑圧し、押し付けられている人は次の押し付ける先を探してしまったりする。意識的ではないにせよ「自分がこう言われていた、もしくはそういうものだと信じていたのは、それが正しいからだ」と、思いたいのが人間のサガではないだろうか。自分がセクハラやルッキズムの被害者であると認めるのは、想像よりも自分を傷つけてしまうことがある。

これはいわゆる「名誉男性」と呼ばれる現象にも似ている。これはある種の女性を指す言葉だ。職場で散々男性から抑圧され、出世してもなぜかお茶汲みやコピー取りなどの雑務ばかりを押し付けられ、それでもなお「女は男並み、もしくは男以上に働いてはじめて認められる」と自分自身と周囲の女性を抑圧する女性のことだ。

「自分は不当な扱いを受けている」「差別されている」と認めるのはとても苦しい。頑張っても頑張っても努力も能力も認められない理不尽さ。みんなと一緒なら苦しくないさ! と、みんなで手を繋いで赤信号を渡っちゃう人もいると思う。でも今は、そんな同調圧力に強くNOと言える人たちがたくさんいる。「ちょっとセクハラされたくらいで文句言うな」にNOという人たちのハッシュタグ「#MeToo」や、「女はパンプスを履くことが社会通念」にNOという人たちのハッシュタグ「#KuToo」など、インターネット上でも様々な運動が起こっている。人々が次第に「怒ってもいいんだ」と気付きはじめている。

そのような心強い人たちに助けられながら、男性も女性もそうでない人も、押し付けから解放されていったらいいな。私も一緒に助け合おうと、思うのだった。


(豆林檎)

<参考・引用文献>
Lookism | Urban Dictionary
女性の本当の敵は、実は「名誉男性」かもしれない | 現代ビジネス
#METOO | The Japan Times
#KuToo 職場でのヒール・パンプスの強制をなくしたい! | Change.org

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