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フォトグラファーだけどインスタには少し苦手意識がある。

明けましておめでとうございます。
昨年は、普段の写真撮影のお仕事とは別の色々な活動ができました。(書籍の構成を担当させていただいたり、新しいブランドの立ち上げや運営に携われたり。)それは有難い事でもあり、想定外の課題や悩みとも多々遭遇した李、深手も負った年でもありました。

一方、写真撮影に関しては、昨年はあまり精力的に営業や新規開拓などを試みませんでした。
寧ろ、「こういうの撮れますか」という相談に、「私より向いているカメラマンの知り合いを紹介しますよ」と仲介したりしていました。
既存のお仕事を続けながら、「これからどうしていこう」という気持ちも、ずっとありました。
自分のその心理が顕在化していたのが、インスタアカウントです。

https://www.instagram.com/maliho.photo/

継続的に更新できていたnoteと異なり、インスタの更新は停滞しました。
というよりも、意図的にそうしていました。ざっくりと「色々撮れます」というのがひと目で分かるようには作り込んでおいて、たまにストーリーを上げるくらいに留めていました。
何と言っても、私はインスタの更新が苦手だからです。
もう少しその理由について掘り下げます。

フォトグラファーとしてインスタに写真を投稿するのは、「こういう写真を撮れます」と発信する行為です。
「こういう写真を撮れます」と提示することは、自分の代表作としてその写真のイメージを相手に刷り込ませてしまうことでもありますし、「その写真に似たような写真」を求められることを懸念している自分がいます。
「この写真は確かに自分が撮りましたが、毎回このようなカットを撮りたいとは言っていません」なんて、わざわざ書くわけにもいきません。

また、苦手なものの中に「映えを作る」潮流も含みます。
自分が見た「美しい」という感覚を具現化するために撮影した結果として「映えている」のであれば望ましい事ですが、「演出として映えを作る」行為にとても抵抗があります。
例えば、大人のエゴで赤ちゃんに無理なポージングさせたり、光の反射を撮りたいがために水を撒いたり、野鳥に餌付けして生態系を崩したり、良い構図を撮りたいがために他の人のことを考えずに観光地の良い場所を陣取ったり、こうした撮影者の道徳的な問題が蔓延っているのは迷惑系YouTuberよりも案外インスタのほうではないかと思っています。しかしフォロワーさんにはそういった問題行為は見えず、ただ「映えている写真」だけが見えているわけです。
個人的に「それはどうなんだ」と感じることをしているカメラマンも実際に知っていますが、その人のインスタアカウントはとても「映え」ていて、仕事も絶えないようなので、「今の社会にはそれが求められている」と言えます。
私は、この歪な潮流に我慢しながら合わせることができず、「求められるものを撮る自分」より「撮りたいものを撮る自分」で在りたい、と思うのです。

商品写真についてはアクセス数や売上に直結して来るので、ニーズを意識することは重要ですが、とはいえ、その商品の魅力を伝えることと、必要以上に流行の映えを演出することは、やっぱり私の中では毛色が違います。
記念写真についても、例えば、赤ちゃんの撮影であれば、照明や構造や装飾が撮影者にとって「撮りやすい」環境で、短い時間の中で、お子さんにオモチャで気を逸らしながら無理に目線を集めたりするよりも、こちらが「お邪魔する側」としてお客様の馴染みの神社やご自宅に伺って、リラックスされた表情を撮らせて貰うほうが好きです。お子さんのご機嫌も撮影環境も、いつも「出たとこ勝負」なので、毎回ベストな撮影ができるとは限りませんが、そのライブ感も含めて好きです。

なので、インスタに載せているのは、シンプルに「私が撮っていて楽しかった」写真たちで構成されています。「今この瞬間」を大事にしたいと思って撮っているので、同じようなものを求められて撮っても同じ写真にはなりませんし、これらだけでなくもっと別のシチュエーションの写真も色々撮りたいとも思っています。そこにニーズがあるかは分かりません。

学生時代、進路について悩んでいた時の私は、色々なスタジオに見学や面接に行ったり、撮影のアルバイトをしたりした上で、「撮影で生計を立てようと思うのをやめよう」という結論を出しました。
「写真が好きだからこそ趣味や副業の範囲で継続させながら、別の仕事で生活をしよう」と。
その根底には「色んなものを撮りたい。そして自分が撮り続けたいと思えるものを撮り続けていたい」という気持ちが強くあったからでした。
特定の場所に所属して求められるものを撮り続けると、ウェディングであれベビーフォトであれ、ファッションであれ、その分野の撮影に特化して高いレベルを目指せるのは確かですが、私は何かを上手くなったり認められたり独立できることよりも「その時、自分が撮りたいと感じた色々なものを縛られずに撮り続けたい」という欲を優先させました。
(もちろんその時は、まさか後に「撮らなければ死ぬ」「撮ることが自分の存在意義に繋がる」とまで追い込まれる事になるとは思ってもみませんでした。)

こうして追い込まれて撮影し続けていた時期を抜けて、昨年は、ぽつぽつと、一昨年までに蒔いた種の芽が出たような、頑張っていた事が何かしらの形になっていったような、そういう事が多い年でした。
普段の写真撮影のお仕事とは別の活動ができ始めたことで、この芽を大事に育てていきたいと思えました。文章を書くことももっと仕事として展開させていきたいです。

お陰様で今は、「必ずしも写真を撮らなくても自分は人の力になれたり社会の役に立てる」と実感を持てた事が多く、私の中で「生きるためではない撮影」について、改めて見つめ直すことができています。

だからこそ、昨年は無理に新規開拓を頑張らず、私が撮る写真を好きでいてくれているリピーターさんや、既存の撮影の仕事などを存分に楽しめました。
今年は新規開拓もしたいですが、生活の為の撮影や、インスタでフォロワーを増やすための写真よりも、自分が撮りたいと思えるものを撮っていきたいです。

ブレていてもいいから楽しかった時間を思い出せるような旅先でのスナップが好きです。
部屋が散らかっていてもいいから日常を覗けるような、家族の写真が好きです。
要望に含まれていなかったカットを自ら提案して撮れた商品写真が喜ばれた瞬間が好きです。
撮影者の自分にはストーリーがわかっている、インスタではあんまりイイネを集めなさそうな、そういう写真でも、そこに共感してくれる人が現れた時は、最高に嬉しいです。

撮りたくなくても無理にニーズに答えようとしていた時期や、外出自粛などの以前より、心から撮りたいと思っていた写真を今年は撮りに行きたいと、密かに目論んでいます。自分が生き延びるための撮影ではなく、生きていて楽しいと思える撮影を。

そういう意味で、「フォトグラファーとして頑張らなくてもいい自分」に、ちょっとだけ期待したいです。

撮れたところで、やっぱり「映え」が正義のインスタとの距離感は分からないままかもしれません。でもきっとnoteでは、撮影した時に感じたことも詳細に載せると思います。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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