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その選択に理由はあるか?

「変わりたい」けど、変わるのが「怖い」
「普通でいたい」けど、普通が「つらい」

そんな極端すぎる想いにはさまれて、時々、身動きがとれなくなることがある。

「一生、今の職場にいるつもりはない」

そう思っている癖に、これまでやっていた仕事が別の人のものになったり、知らないことが増えたりすると、自分の居場所が少しずつなくなっていくような気がして、心がざわつく。

そして、そんな自分に気が付き「中途半端だな」と思う。最近、そんなことの繰り返しだ。

けど、誰だって、これまで過ごしてきた「今まで」が変わっていくとき、不安に思うだろうし、悲しく思うだろう。慣れ親しんだ「今まで」がなくなって、その先にある「知らない世界」に不安を感じる。そんなの、当たり前のことなんじゃないか。

もし、そんな不安や悲しみに耐えられないのなら「変わらない」という選択をすればいい。ただそれだけのこと。

けど、私は基本的に「今まで通り」ではいられないし、減っていく仕事に対して増えていく不安を解消するために「社員」という道も選べない。組織の1人として、毎日働き続ける強さは私にはないし、そうなりたいとも思わない。

「会社員」「塾講師」といった決められた1つのものになるという生き方を私は選べないし、選びたいとも思わない。

結局、いつもそんな結論にたどり着くのだけれど、またすぐにそこから動けなくなる。それはきっと、まだ私自身がその選択を信じることができていないからなのだと、ようやく最近わかった。

多くの人が当たり前のように選んでいるものを選べないことは、「悪い」こと。

そんな自分を正当化するために今度は、

多くの人が当たり前のように選んでいるものを選ばないことは、「すごい」こと。

誰に説明するわけでもないのに、自分の選択に対して、そうやってちゃんとした理由を持とうと必死になっている。

けど、

選べないことは「悪い」わけでも、
選ばないことが「すごい」わけでもない。

ただそれが「私」の選択であるというだけ。
そこにあるのは「選んだ」という事実だけ。

ほんの少し人と違う生き方を選んだからといって、

自分を卑下する必要もないし、
誰かよりすごくある必要もない。

ただ「私」として、生きていけばいい。

「変わりたい」けど、変わるのが「怖い」
「普通でいたい」けど、普通が「つらい」

そんな矛盾だらけの想いも含めて「私」

そんな「私」のした選択を、尊重して生きていこう。
今、やれることややりたいことをどんどんやっていこう。

その選択に理由なんて必要ないのだから。

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