上手く怒れなくなったのは、いつからだろう。
いつもより、外が明るい。
普段より2時間ほど遅く目を覚ます。
時間を確認したスマホ越しに見える
テーブルの上の複数のスナック菓子の残骸。
・・・ああ、そうか。
一気に昨日の記憶が蘇る。
ただでさえ、高すぎる湿度にうんざりしていた昨日。暑いし、仕事はバタつくしで、イライラすることがあまりにも多かった。
穏やかに過ごしたいのに、凹んだり、イラついたりと、基本的に私の感情はいつも忙しい。人より少しだけ敏感に生まれたがゆえに、こればっかりは上手く付き合っていくしかないのだろう。
なんてことを自分に言い聞かせながら、散らばったスナック菓子の袋と昨晩の自分への罪悪感を片づけながら、文字通り一晩寝かせた「イライラ」と向き合う準備をする。
ご飯をつくることも、湯船につかることも、化粧水をつけることも、何もしたくないとベッドに突っ伏す前に唯一、今日のために淹れておいた水出しコーヒーをグラスに注ぐ。こんな日はいつもより少し豆乳を多めに。
コーヒーの香りに助けられながら、昨日のイライラたちをノートに少しずつ書いていく。決してここには書けないような言葉も交えながら、少しずつ自分の中からイライラを吐き出していく。
一見、共通点のないように見えるイライラたちを眺めながら、ふと気づく。
「ああ、そうか。私、大切にされたかったんだ」
挨拶どころか、こちらを見ることもない講師。
何度言っても、指示を守ろうとしない生徒。
自分の都合ばかり押し付けてくる生徒。
他にも色々イライラの原因はあった。
けれど、すべてのイライラの陰には「自分が大切にされてないこと」への悲しみや怒りがあった。
こんなことでイライラするなんて、大人げないのかもしれない。そうやって、私は自分を咎めようとした。
けど、自分が大切にされてないことにイライラして何が悪いのだろう?
そもそも、自分が雑に扱われることに何とも思わないなんて、そっちのほうがよっぽどまずい気がする。自分で自分を雑に扱いすぎだ。
理不尽なことがあった。
自分の言うことを聞いてくれない。
自分の気持ちをわかってくれない。
たいていのイライラの陰には「自分を大切にしてほしい」という想いがある。だからこそ、大人になればなるほど、なんだかそれがわがままというか恥ずかしいことのように思えて、それを否定してしまうこともある。
けど、自分で自分を大切にしなかったら
一体、誰が自分を大切にするんだろう?
自分で自分を大切にしていない癖に、他人に大切にしてほしいと求めることのほうよっぽどわがままで、恥ずかしい。
だから、私は「私」を大切にすることにした。
「大切にしてほしかったんだよね」と
昨日の自分のイライラを全て受け止めて、
そのうえで、今度は相手と向き合ってみようと思う。
私は、私を大切にして生きていきたいから。今日もまたこうして、想いを言葉にしていく。
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