「道化か毒か錬金術」感想文



 さて今回はご本をいただきました。

 水城正太郎先生の「道化か毒か錬金術」です。おめでとうございます。発売日よりちょっと前にフライングでいただきました。どうです。いいでしょう。じゃなくてありがとうございます。

 ちなみに現在ではふつうにアマゾンとかで買えます。買いましょう。

 以下本のレビューというか感想みたいなものです。


 レビュー:

 「作者がなぜ錬金術のモチーフを選んだか?」

 というのがこの作品の最初の謎なのです。

 タイトルだけ見ると「錬金術って書いてあるからわりとファンタジーよりな世界観なのかな?」という第一印象ですが、実際にはそこにはもっと別の意味があったのです。

 さて、この作品、通常一般に「ライトノベル」と言われて想像されるものを予期して読むと(というかこれを書いているわたしがそう思って読んだ)いきなり想定外になります。


 なぜなら。

 いきなり漫画が始まるからです。


 少女漫画が文章的に説明されたような表現(このへん言語的に説明するのが結構難しいので見て納得してほしい)が自の文に織り込まれはじめ、なんとも言えない異質さが文に出てきます。

 事前告知のキャッチフレーズは「平成最後の愉快犯。」ですが、そのあたりでようやくキャッチコピーの意味が分かるというわけでした。

 この作品はパスティーシュ(文体模写)がテーマになっているわけですが、パスティーシュではレーモン・クノーの「文体練習」が有名ですね。

 文体演習は一時期わたしもかぶれてやっていました。以前のノートアカウントで結構書いていて「まあだいたいやったな」みたいに思っていたので「ウッこういうのがあったのか!」という衝撃を受けました……。

 最近はなろうのランキング文化が話題によくのぼったりして「過剰なテンプレ化」が指摘されがち(実際はそうでもないのですが)ですが、そういう空気とは一線を画します。

 前半ぐらいまでは「ライトノベルという形式のなかでどんどん異質なものが出てくる」という印象ですが、だんだん「異質なものがライトノベルの形態をとっている」という印象に変化していきます。

 その体験を通過したとき、錬金術のモチーフがなぜ選ばれたかという答えに行きつくのでありました。


 


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