寿司に唾つけるバカの事件は完全にサイバーパンクだ

 タイトルの通りのことを思った。

 

 寿司に唾をつけたバカが話題だ。もうネット見ている人は結構知っているレベルだろうが、バカが回転ずしの回ってくる寿司につぎつぎ唾をつける動画が撮影されネットにアップ→海外にまで大拡散→回転ずしチェーンの株価も暴落という流れだ。謝罪では済まず損害賠償もまあ被害を回収しきるのは無理なレベルだろう。ざっくりそんなニュースだ。

 それを見て自分は思った。

 これこそがサイバーパンクだな、と。


 SFは非常に多くの題材を扱う分野なので、統一されたテーマというのはないわけだが、それでも盛んに取り上げられてきたモチーフというのは指摘できる。その一つが「技術の進歩によって人間の能力が拡張されても、人間性はそのままである」というテーマで、これはサイバネティクスやサイボーグ的な存在を描く際にしばしば焦点が当てられる部分だ。

 自分はサイバーパンクという世界観の根幹はそれだと考えている。

 それはつまりこういうことだ、技術を通して身体能力は拡張可能になり、生まれたままの人間では到底不可能な能力が手に入る。一方で、それらの能力を手に入れた人間の行動は、闘争や快楽追及といった本能に縛られており、基本的にはそれまでの人間と変わらない。結果、社会はテクノロジーと野蛮さが同居した様相を見せる。いくら技術が進歩しても、人間の脳は石器時代からそう変化してないからだ。

 これは古典的な半人半神、あるいは半人半魔というイメージの再解釈でもある。SFに詳しい人にはまた別の意見があるかもしれないが、これは自分がそう思うって話にすぎないんでとりあえずこの文章ではそういう話としてお願いします。


 さて寿司バカを見てみよう。べつにこういう悪ふざけをするバカは昔からいたはずだ。平成にもいたはずだし、昭和にも、大正にもいただろう。つねに人類の一部にだいたい同レベの層がいたはずだ。

 じゃあ昔のバカと今のバカは何が違うのか? スマホだ。現代社会ではそのバカは手のひらサイズのテクノロジーの結晶を持っている。それに尽きる。それにより寿司に唾をつける様子はデジタル動画となり、ネットに流出し、海外にまですぐ伝わり、株価を大暴落させる。

 ひと昔前であれば、デジタル動画の撮影にしろ、それをネットワークに流すことにしろ、それに株価が下がるレベルの拡散力を与えることにしろ、ハードルがあった。はじめはそれは専門技術であったし、普及が進んでも、少なくともパソコン程度の機材が必要だった。つまりバカには単に無理であるか、すくなくとも寿司に唾をつける様子を流すのに使うのにはもったいない程度のコストを持っていた。

 それがどんどん手軽になった結果がこれだよ。

 テクノロジーで拡散力が何倍にも強化されたバカの誕生である。

 おわかりだろうか、これは前述のテーマと完全に同じなのだ。テクノロジーで拡張された能力と、昔のままの粗野な人間性、そのコントラストである。


 誤解を避けたいが、べつに技術を批判しているわけではない。別にテクノロジーが悪いわけではない。バカのほうは普通に悪い。悪いが、その悪さは昭和のバカとそう変わるものではあるまい。最悪だったのはそのバカさがテクノロジーで強化されてしまい、株価を暴落させてしまったことだ。

 本人が「これぐらいのことで」とか言っていたのは多分本当にそう思っていて、まさかこうなるとは思っていなかったのだろう。脳がついていかないのだ。機械の強化ボディが手に入ったから試しにパンチを繰り出してみたら殴ったものがドーナッツになってしまったみたいな話のリアル版だ。


 つまり、サイバーパンクなのだ。これこそ。

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