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わたしが蝶だった話。

25の頃、恵比寿と渋谷の間、俗に言う代官山というところ、すごく素敵なところにすんでいた。

 でもあんまり生活事態は春日部にすんでいた頃と変わらなかったと思う。そのかわり、やっぱり家賃はめちゃくちゃ高かった。正直、身の丈にあってなかった。

 なぜその地に住んだかというと、その頃アクセサリー作家として投資してくれるパトロン(笑)も見つかったのであまり考えずにファッションで独立するなら代官山かなって決めた。相変わらず軽い(笑)
 
あのときの人生に対するノリの軽さなんだったんだろ、今なら絶対に選ばない。高い家賃…ランニングコストかかりすぎ。

 だから案の定独立したにも関わらず、生活費もままならなかったので近所のラウンジでバイトを始めた。いわゆる水商売ってやつですかね。

 ファッションで独立した自分がまさか水商売をするとは思ってなかったけど、家賃や生活費を稼ぐために始めたこと。でも実はいまだに天職だったのではと思うくらい楽しかったし面白く学ぶことが多かった。

 お水もいろんな形があってわたしは自分が美人とは思わないけど、トークには自信があって、起こった出来事をネタ的に面白おかしく話すことが得意だったし、お客さんに心を込めて接しているっていうことで、信頼してもらうことは得意だったと思う。というか、その辺は鍛えられた。

 そして、めちゃくちゃ飲んだしね。あの頃そりゃもうめちゃくちゃ(笑)

 そうやってわたしは本業ではない水商売で高い家賃も稼げたしお客さんに一流の美味しいものを食べさせて貰えた。物をおねだりして貰うことはなかったけど、お店の女の子とおきゃくさんと4人位でとてもいい宿に旅行にいったこともあった。

 もう自分がファッションで独立したデザイナーなのか、ラウンジのチーママなのかどっちが本職か分かんなくなるほどだった。

 あのままやってたら本当にあの界隈でママになってたな、って思う。でもきっとあのままなら人生うまくいかなかっただろう。適当に生きすぎた(笑)
 いずれにせよ、後にわたしは改革=リセットされることとなった。それがいつかは必要だったのだ。その話はまた必ず書くと約束して話を戻す。

 渋谷のラウンジって、銀座や六本木のグラブとも違う少しファッショナブルでカジュアルな感じ。ママが文化服装学院出身だったから、ドレスがマルタンマルジェラとかなんかモード系だった。ちなみにそのお店のママは実業家でもあったし、お酒を一切飲まない人だった。

 内装もお洒落だったし、音楽も最終的にはわたしが友達に頼んでめちゃくちゃかっこいいmixCDを作ってもらって持ち込んだので、おグラブではなく、お洒落なclubの雰囲気だった。ママの雰囲気でファッション系のお客さんがたくさん来た。

そのなかで故意にしてくださってたお客さんで思い出深いひとがいる。静かな謎の人(笑)

 いつもかっちりスーツでお堅い感じのたたずまいで、自分のことはしゃべらなくて、でも大阪出身で東大卒ってことは話してくれた。自分はドイツビールをいつも飲んで好きなお酒を飲ませてくれて、ただただわたしの話を聞くだけだった。時間が来るとスッと帰っていく。静かな謎の時間だったけど、ほぼ毎日来てくれて指名してくれた。

 そのときわたしはお店で【ハワイさん】っていうあだ名がついているくらい賑やかでお笑い担当、ハワイの花みたいな佇まいだった。私服もめちゃくちゃ派手で、いわゆる【アパレル系だし夜のひと】って感じだった。
 今思うと、感覚がもう個性を求めてド派手だったから、一般的な昼間の生活やそういう人びびとが選ぶもの好きなものっていったいどんなものか想像がつかない位くらいになっていた。

 誤解をされないために追記すると、人は夜の生活が中心になると独特の夜に映える服やメイク、思考(下ネタや際どい話題好き)になっていくと言う。わたしも持っているものにプラスされて例外なくそうなった。普段のメイクをして昼間外に出るととてつもなく濃いメイクになり、昼はメイク事態が出来なくなる。塩梅が分からなくなるのだ。人間の適応能力のひとつなのかもしれない。

 バレンタインにはお客さんにプレゼントを準備するものだけど、良くしてくれているお客さんにはわたしも準備した。先程の静かなお客さんにはネクタイでもあげたら?とママからのアドバイスで購入しておいた。

 お分かりだとは思うけれど、その静かなお客さんと私は立場も感性も全く正反対の人間だった。最後まで知れなかったけどきっと本当にお堅いお仕事だったのだと思う。それなのに、わたしがセレクトしたのは【ピンク】のクロエのネクタイ。私的には【薄いピンクだから】いいかなと思って購入したのだった。○○さん地味だし!ぜひ華やかになってほしいと、言う気持ちもあった。

 するとなんと、あんなに毎日来て指名してくれたのにバレンタイン以降ぱったりと来なくなってしまったのだ。

 ママには『ちょっと~何かやらかしたんでしょ~』と冗談混じりで言われるも自分では良く分からなかった。

 今になって思うのは私のあげたピンクのネクタイがその人の日常には馴染まなかったのだと思う。だからお店につけて行くこともない、私に申し訳なく思ったのかもしれない。本当にそんな些細なことで、そのうちに行くタイミングを逃して、お店が遠のいてしまったのだと思う。その人の優しさ、義理がたさも知っていたから、本当に人って繊細な生き物だなと思う。

 昼間に私の片割れを身に付けることは出来なかった、やはり夜の世界は儚い。華やかで夢幻の虚構の世界なのだ。

 そんなうちに程なくしてわたしはお店をやめた。昼と夜の二重生活は、想像以上に体力を使うものだった。

わたしは今になってはもう二度とあの夜の世界に飛び込むことはないと思うけれど、すごくいい経験だった。ファッションの業界にいたけれど夜の世界もまたファッションの業界に通じているものがたくさんあった。

娘がもしこれと同じ仕事をしたいと言い出したら、必ずしも反対はしない。もし素敵なママがいたのなら、いいかな。社会勉強になるから好きにしなさいと言うかもしれない。

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