ふと思い出したこと

大学生のころ、教員免許を取るために必要な実習として、社会福祉施設へ5日間お世話になった。

教員に対し熱意があったわけではない。実習についても、深い意味など考えていたわけではなかった。ただ、所謂普通の社会で働くことが困難な大人に同情したし、まじめに取り組まなければという気持ちもあった。

何日か目の昼食が冷やし中華だったことがあった。

理由は思い出せないが、私は一人だけ遅い時間帯に昼食をとった。だけれど困ったことに、冷やし中華が苦手だった。残すわけにもいかないからとちびちび麺をすすっていたら、同じく実習に来ていた同クラスの男子生徒がちょっかいをかけてきた。私が冷やし中華が苦手なことを告げると、こんなうまいのにもったいないと言いながら、残っていた分を平らげてくれた。ぶっきらぼうな親切心に、その時は救われた。

しかししばらく経ってから、実習生を担当する職員の方に呼び出され、要約すると、実習できている身でありながらイチャイチャするなという話だった。足りないなりにまじめに取り組んでいたと思っていたため、非常にショックだった。

今考えれば、同じ大学から来た若い男女が親しげに話していることが周りから見てあらぬ誤解を生むということも十分わかるが、その当時年齢の割に幼稚で、客観的な視野なんて持ち合わせていなかったのだ。

実習中には毎日、日報を書いて提出する決まりがあった。

私は、自分なりに反省して、反省したが落ち込んだ気持ちを日報に書いた。これもまた、本来であれば書くべきことでもなかったのだろうが、恥ずかしいくらい幼く、自己中心的で、傷つきやすかったのだ。

翌日、施設長に呼ばれた。部屋には初日にあいさつを交わしただけの施設長と、私を叱責した担当職員がいた。

私を椅子に座らせると、施設長は丁寧でゆっくりと、優しい口調で聞いた。

「昨日あったことは報告を受けています。しかし、あなたの日報を読んで思いました。こんな文章を書く人が、そんな浅はかなことをするとは思えない。あなたの口からどういうことだったか説明を聞きたい」

私はもう泣きそうで、とにかく驚いてしまった。

口ごもりながら、苦手な食べ物を親切で食べてもらっていたこと、その人が食べ始めてから口をつけていないこと、ただ、話してもらって初めてそれが誤解を受けさせる行為だったと分かったくらい自覚がなかったことなんかを話したと思う。

施設長は相槌を打ちながらゆっくりと私の話を聞き、

「君は話も聞かず彼女を叱ったのか、なぜそんなことをしたんだ」

と、担当職員にきつく言った。

担当職員に対し、ざまあみろなんて感情はなかった。利用者の多くがかなり複雑でデリケートな状況にある中で、余計な刺激で乱されたくなかったのだろうし、職員は実際に見ているわけではなく伝聞で受けた情報だったため、偏りが起きるのは当然だった。

ただただ、施設長の対応に感動してしまったのだ。毎年来る頭の悪いやる気のない考えもなさそうなたくさんの若者の一人である私の書いた文章を読んで、向き合って、忙しい時間を割いて話を聞き、自分の施設の職員を叱るという振る舞いに、泣きそうなくらい感動した。

施設長は、私が幼く、デリケートで、ともすればぺしゃんこになってしまう側の人間だと思ったのかもしれない。けれど、それをフォローする義理は全くなくて、全くないのに、なんでそんなことをしてくれたんだろう。

私はそんな大人に会ったのが初めてだし、それ以降も会ったことがない。

施設の名前も、施設長の名前も思い出せないし、いろいろな脚色が入っているかもしれない。けれど、ふと、思い出したので。



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