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あたたかな縁側でボンヤリ

日毎に新緑が増えてきました如何お過ごしでしょうか?
年を経てくるともう一度読み直したい本だとか聞き直したい歌だとか出てきます
また予期せず聞こえてくるあのころの歌なんかに聞き入ってしまう事があります
偶然に何度か聞い「五輪真弓」さんの「少女」この歌最初に聞いた時わたしも少女だった!余り気にとめず心に響かなかった
響かなからったというより嫌いだったかもしれない。気分良くはなれなかった歌という印象がある。
改めて聞くとあの時の自分と重ねるこてができる
10代の私は忙しかった今とは違う忙しさだ。シャーロック・ホームズの続き読みたかったし、少年ドラマシリーズも気になったしマンガも読まなきゃ!SFにも嵌まったしまった、今ほど情報得る事なかったのに、出会えるものすべてにに勤しんだ、勉学もしたはず
その時の知識の片鱗が私の基礎だから

10代の女の子は何考えてた?
暖かい縁側の垣根の向こう側では
時は過ぎていき留まらないこと
いつか垣根の向こうに出て行く日が来る、それは必然的で青虫が蝶になることを頭ではなく躰ごと解っいてさなぎの中で変態していくように細胞の端で感じていた。
感じていたけど手放したら二度と戻らないほどの哀惜はなかった
なぜ?未知の世界はワクワクさせるものだったから、哀惜は後から湧いてくるものなのでしょうか
貴重な少女時代が終わってゆくことがどんなに切ないか感じるひまもなかった、そう若い刻は忙しい
のだ。
暖かい縁側は今の時代でも必要はず、いつかは出て行くからこそどんな時でも保護されてすこやかになれる場所陽だまりがあることで
あの時が一番幸せだったと思い出せる「少女」という歌で思い出せる


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