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本音を言えたからこそ生まれた、「ありがとう」

こんばんは、Keiです。
今日は月が綺麗だなぁと、そんな小さな幸せに
気付くことができて嬉しい日です。

今日は大事な友人との会話で得た気付きをシェアしたいと思います。

私は産後うつと闘いながら、こうしてブログやnoteに自分を想いを綴っています。

そして、同じように躁鬱病と闘いながら小説を書いている友人、haruちゃんがいます。

haruちゃんは大好きな映画について語っているブログと、短編小説を書いているnoteを運営している女の子です。

彼女は私が空港で働いていたときの同期です。
昨日、彼女がnoteに公開した短編小説を読みました。
正直、とてつもない文才と私には到底書けないような素晴らしい小説を紡いでいました。
大事な友人だけれど正直、悔しかった。私にはあんな小説は書けない。と。


……でも、私って小説が書きたいのだろうか?いや、違う。私は自分の想いを綴りたい。
小説家になりたいわけじゃない…と。

そもそもharuちゃんと私は書きたいものの方向が違うのに、何を嫉妬する必要があるのか。そんなことに気付きました。

でも、この悔しいという気持ちをharuちゃんに伝えたくもなりました。
悔しいほどの文才があることを伝えたかったからです。

正直、怖かった。

でも、haruちゃんとは本音で話をしたかったので
「私ね、haruちゃんの小説を読んであんな小説書けないよって思ったんだ」
そう正直に伝えました。

するとharuちゃんは

「実は私もkeiちゃんのブログがめっちゃ成長してるのを見てすごい嬉しい気持ちと同時に届かないなってなんか悔しい気持ちもあって」

まさか、haruちゃんも同じことを想っていたのです。


でもそこから生まれた気付きがあって
お互い、競いたい訳ではなくてそもそも方向性が小説と自分の想いを綴りたい、というので違うから競うにも値しない。お互いに刺激し合う関係がいいよね、と。
そこでお互い「本音を言えてよかった、ありがとう」と言い合いました。
本音を言うのは、とても勇気のいること、怖いこと。

でも、本音で話せるからこそ本当の友人なんじゃないのか。

本音で話しても、「ありがとう」と言い合える関係性。

なんて素敵な友人を持ったのだろう、私。

とてもとても、素敵なあったかい気持ちになりました。

ありがとう、haruちゃん。

そんな今日の気付きでした。

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