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「万引き家族」はデジタルネイチャーと幸福な全体主義が救う|映画【万引き家族】

6月8日から上映中の是枝監督最新作「万引き家族」
パルムドールの追い風もあってか、映画館は超満員。老若男女、様々な方が見に来ていた。

事前に既に映画を見た人のレビューはそれとなくチェックしていた。
「家族ってなんだろう。考えさせられた」
「人と人のつながりってなんだろう」

是枝監督はこれまでも「誰も知らない」「そして父になる」など、難しい角度から家族をテーマにした映画を撮られてきた。

今回は「犯罪にまみれた家族」ということで、どのような家族の切り取り方をされているのか楽しみだった。

映画を観るまでかなり時間があったので、6月15日に発売したばかりの落合陽一氏著「デジタルネイチャー」を読んで時間を潰していた。

偶然お披露目時期が重なったこの2作だが、併せて見ると面白い。


「近代的な家族」観と「脱家族」観

「万引き家族」のあらすじをざっくりと。

高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である初枝の年金だ。足りない生活費は、万引きで稼いでいた。社会という海の底を這うような家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。 冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子を、見かねた治が家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。(Fikmarksより)

生きるために万引きをするだけでなく、窃盗、ゆすり、JKリフレ…etc
あらゆる犯罪行為をしながら、しかも誘拐した他人と一緒に暮らす家族。

倫理的な観点からは完全に逸脱した家族であるのだが、
彼らの食卓が、日本の原風景ともいえるような暖かな家族団らんで、観ているこっちまで気持ちが和む。

しかし後半、この家族が全面的に否定される。
「子どもには母親が必要です」
「本当の家族なら、そんなことはしないでしょう」

「家族とはかくあるべき」という近代的な倫理観を一方的に押し付け、万引き家族は社会から抹殺されてしまう。

このストーリー展開に、近代的価値観と脱近代化された価値観の対立が見える。
そして結果は、近代的な価値観の勝利となった。

決して犯罪行為が許されるわけではないが、家族という概念に対しても倫理性を求められてしまう世の中は、どうなのだろう。
家族のあるべき姿なんて本来はないのではないか。

そういう自分も、彼らの食卓風景に懐かしさを覚えてしまうあたりで、相当「家族とはかくあるべき」を規定されてしまっている・・・と悲しくなる。


「脱倫理性」による可能性

「デジタルネイチャー~生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂」は主にテクノロジーによる次代の可能性、メディアアートに関して深く考察された本であるが、
注目したいのは、テクノロジーが進んだ未来では、「一元的なイデオロギーが支配する社会から見た「脱倫理性」という新しい構造を生み出しつつある」という部分だ。

個別の価値観が多様なのにもかかわらず一つのイデオロギーが成立する状況では、社会全体の持つ多様さは脱倫理性に見えるからだ。(デジタルネイチャーより)

「家族とはかくあるべき」という考えも一元的なイデオロギーにすぎない。
しかしそのことに捉われすぎて、異質な家族に出会った時に過剰な拒否反応を起こしてしまう。

人間の頭で考えられる限界は、せいぜい2個に分けるくらいのもの。
「普通」「普通じゃない」に分けることはできても、「普通じゃない」を全て事細かに設定することは出来ない。

「普通じゃない」万引き家族が抱える問題は、頭で考えても最適な解決策は見いだせない。


「万引き家族」と「デジタルネイチャー」

本の中では非倫理性が持つ命題として「フォアグラを食べる行為に倫理的問題は存在しないが、フォアグラが食材として作られる過程は非倫理的である」というものを取り上げている。

万引き家族も「家族観に倫理的問題は存在しないが、家族として暮らすための過程は非倫理的(というか犯罪)である」

この問題についての解決策を次のように述べている。

既存の言語的なロジックでの解決ではなく、全体最適化を考えた時に何が問題なのかという個別の具体例、そして、解決の具体的な事例、つまり現象ベースでの解決を図るべきだ。そして、これまで人間的な問題とされてきた倫理性が、人間的な領域を離れた不可知的な部分で処理されるようになること(デジタルネイチャーより)

なるほど、そうしたらじゅりは凛として生きる未来もあったかもしれない…!

そしておそらく、こと「家族観」という問題においては、価値観の柔軟性が重要になると思うが、それもテクノロジーによって変化するだろう。

少し前であれば、同じ家にながら親子がLINEでやり取りするなんてことは、ありえないと思われていただろうし、
家族で食事をしながら各々がスマホを見ているなんてことは倫理観から外れていたかもしれない。
しかし今では、多くの家族で行われている。

万引き家族を救うのは、社会制度やベーシックインカムよりなによりも、デジタルネイチャーによる幸福な全体主義だ。



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