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メディアはどこに向かうのかpart.2

もう間もなく平成が終わろうとしている。

先日Eテレで『平成ネット史(仮)』という特番がやっていた。平成とインターネットはまさに蜜月の仲として、良くも悪くも共に歩みを進めてきたことがよくわかった。いや、「歩み」ではなく「走り」、「爆走」と言ってもよいかもしれない。

インターネットによって人々は膨大な量の情報に触れやすくなった。そして情報を人々に届ける役割として、同じくらい膨大な量の「メディア」が増えた。

これからのメディアに求められる役割はなんだろう。

noteを始めた頃、その当時思っていた個人メディアについて思っていたことを書いた

あれから約1年経ったので改めて思考の棚卸をする。個人メディア、しいてはメディアについて、思うことをつらつら書く。

・「あの人に伝えたい!」ために情報を得る

相変わらず、情報収集の方法はTwitter、Facebook、Instagramが中心で、仕事の関連で定期的に見るニュースメディア・オウンドメディアがいくつかあるくらい。それで困ることがあるかというと、今のところは特に無い。

情報を得る上で特に意識していることは、「あ、この情報◯◯さんに教えてあげよう」だ。転職ネタだったらこの人、教育関係ならこの人、ITサービスはこの人、ネタ系はこの人、と。LINEですぐに共有することもあれば、会った時に「そういえば・・・」と話だすこともある。

どちらにせよ、今の情報取得のモチベーションが「誰かのためになる情報を見つけたい」になったのはここ1年くらいの変化かもしれない。

・情報を咀嚼するための「閉じた空間」

なぜ「誰かのためになる情報を見つけたい」という考えになったのだろう。もしかしたら、情報通に見られたいとか、自尊心を磨きたいとか、認めてもらいたいとか、そういう気持ちも最初の頃はあったかもしれない。

ただ今の理由は「あの人の意見を知りたい」「自分はこう思ってるけどどう?」ということだ。速すぎる、多すぎる情報社会において、情報を得ることは簡単で、回すことも簡単だ。だからこそ、知っている人の意見を聞き、逆に自分の意見を伝えないと、情報を咀嚼する時間がない。

そのために情報を閉じたLINEの中で共有し、意見をもらい、意見を言う。その繰り返しの中で「情報を咀嚼する力」を身につけている。

・閉じた空間を複数もつ

こうした「閉じた意見交換空間」は一つでは駄目だと思う。空間を複数もって、その中で情報を回して咀嚼し合う。

ひとつのコミュニティに依存してしまうと、得られる情報や考え方が偏ってしまう。場合によっては誤った咀嚼をそのまま飲み込んでしまうかもしれない。だからこそ複数の閉じた空間を持って、バランスを取ることが大事。

・閉じた空間をメディアが担う

今後は「閉じた空間」をメディアが担うようになると思う。昨年あたりから大流行した「オンラインサロン」はその分かりやすい例ではあるが、その他のニュースメディアやオウンドメディアも「閉じた空間」とした新しいカタチが出てくるかもしれない。

細分化される切り口としては、地域性、趣味嗜好性、ライフステージなどが考えられる。これまでは人数が多くないとなりたたなかったメディアも、少人数でも成り立つようになるかもしれない。

・一次情報が鍵

それだけ細分化された場合に、メディアの成否を分けるのは、た少人数でも情熱を傾けてくれる「ファンのような存在」を得られるかだろう。それには「どんな一次情報を得られるか」どうかだと思う。

「これこれ、この情報が欲しかった!」は情報の受け手側が自覚出来ていないことが多い。その情報をどれだけ発信できるか。

受け手側ですら自覚できていない情報を見つけてこれるメディアになるためには、①受け手を把握することと、②まだ世に出ていない情報にアクセスする力だと思う。

①についてはSNSのおかげで把握しやすくなったと思う。

問題なのは②。繋がりやすい分、一次情報にアクセスすることが「コスパが悪い」と言われるようになってしまったと思う。それでも盛り上がっているメディアを見ると、めちゃくちゃコスパ悪そうな情報がたくさんあって、でも結局それが面白かったりする。

ただそう思えるのって「WEBメディア好き」の人間だけなんだろうな、と先日テレビ大好きな友人と話していて思った。

***

とここまで、思いつくままいっちょ前にメディアについて思うこと述べた。
ただ結局は「超閉鎖的な、友人にしか伝わらないし届かない情報メディア」に近づいているのだはないろうかと思う。

さて、論じるのはこれくらいにして、今年はもっとカタチにしていきたい。

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