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父の日に父を置いて観に行こう:映画『長いお別れ』

我が家では「父の日」にお祝いをするという文化はなかった。
父の日どころか、父の誕生日を祝うという文化すらなかった。

なぜなら、父の正確な誕生日を知らないから。「生まれてすぐに役所に出生届が出されず、正確な誕生日が分からない」というのはド田舎あるあるらしい。

でもよく考えてみると誕生日どころか、父について知らないことが沢山ある。どんな子供だったのか、どこで母と出会ったのか、何を大切にして生きているのか。



他の家はどうなのだろう。父の日や誕生日をお祝いする家族であっても、実は意外と父のことは知らないのでは?

「父のことは何でも知っているよ」というあなたも、「父のことなんか何も知らんわ」というあなたも、今年の父の日は、父以外の家族で絶賛上映中の『長いお別れ』を見に行ってみてはどうだろう


厳格で博識な元校長先生の父(山崎努)が認知症にかかり、ゆっくりと記憶を失っていく。その父との7年間を通じて、母娘たちが自分自身に向き合い、家族を見つめ直していくお話だ。

母(松原智恵子)と二人の娘(竹内結子・蒼井優)は、なかなか想いが通じない父に悪戦苦闘する。

この家族は決して仲が悪くはない。むしろ良い方だろう。父の誕生日には必ずお揃いのパーティー帽子を被ってお祝いするし、何かあればすぐに電話なり来るなりして、互いを常に想い合っている。それなのに父とは全然繋がらない。

認知症は完治することがないらしい。一度発症したら、ゆっくりゆっくりと脳が縮んでいき記憶を失くしていく。その進行スピードと症状から、英語では「Long goodbye」と呼ぶ。


映画の中では、そんな父に対して母娘たちは怒るでも見放すでもなく、ちょうど良い距離感を保ちながら暮らしていく。

姉は自分の家族があり、妹は自分の夢があり、母は自身の体調がある。それでもなかなか通じない父の考えを知ろうとする彼らを見ていると、映画の動向よりも自分と父の関係を考えてしまう。

誰にとっても家族という存在は大きい。それが良い影響の時もあれば、悪い影響の時もある。その原因を他の家族に押し付けてはいないか、自分自身を見つめなおす必要はないか。

家族は結婚したり、子供が生まれたりしたら「その瞬間になる」ものではなく、何年もかけて「徐々になっていく」ものだと思っている。「家族だから」という言い訳は通用しない。家族であっても互いを知ろうとし、思いやる気持ちが大切なのだと、この映画は語りかけてくる。


ところで、なぜ父を置いて見に行くべきかなのか。

映画に父は出てくるものの、父の考えや意見は出てこない。認知症で上手くコミュニケーションが取れない父が何を考えているのかを、全て周りの人が汲み取ることで話が進む。

彼らのやり取りを観ていると「自分の父はこうだなぁ」と、気がついたら自分の父のことを考えてしまうだろう。もし父と観に行ってしまったら、隣にいる父の意見が気になってしまい、考えることが出来なくなってしまう。

それに「病気で弱っていく父親」なんて、父もわざわざ見たくないだろう。少なくとも自分は、息子の立場から一緒に見たいと思わなかった。だけどそれが却って、父のことを考える良い機会になった。


父の日に、父を置いて『長いお別れ』を見に行ってみよう。
父のいないところで、父について考えることが家族を成していくに違いない。そして帰って父のことをもっと知りたい!となったら良い。

今年の父の日は、祝う日ではなく想う日にしてみてはどうだろうか。

編集:円(えん)

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