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風邪をひいたサンタクロース

「風邪をひいたサンタクロース」

どうして誰もこの事に気がつかなかったのだろう。

とっても寒い12月の真夜中。知らない国の深い深い雪山を黒い4両編成の汽車でゆっくりと進みながら、僕はまた、一人でそんな事を考えていた。

去年のクリスマスの前の日、僕はお母さんにこんな風に言ってみたんだ。

「ねぇ、クリスマスプレゼントは要らないから、サンタクロースさんに会いたい。ってあのカードに書いからどうなるのかなぁ?」

お母さんは最初ちょっと驚いたみたいだった。だって僕はその時までずっと新しいサッカーボールが欲しいって、お母さんに言っていたからだ。

少しだけ考えた後、お母さんはこう言った。
「さぁねぇ。分からないけど、あなたが気になるんだったら、そう書いてみるのもいいんじゃない? サッカーボールならいつか私が買ってあげるから。」

だから僕はその日の夜、新しい縞模様の靴下に、『サンタさんに会いたいです。』と書いたカードを入れて寝た。とってもドキドキしたけど、疲れていたからなんだかすぐに眠ってしまった。

次の日、つまりクリスマスの朝。驚くべき事が起きた。

目が覚めて、靴下の中を確かめると、カードの代わりに白い便箋が入っていた。

サンタクロースがぼくに手紙を書いておいてくれたんだ。

全部英語だったから、すぐには読めなくって、急いでお母さんのいる病院に行った(もう冬休みに入っていたから、朝の9時に)。

お母さんはとても驚いていた。何度も「本当に?」と僕に聞いてきた。僕は何度も「本当だよ」と答えなくちゃいけなかった。

少ししてからお母さんは、いつもの眼鏡をかけて、手紙を訳しながら読んでくれた。

『親愛なる さとし 君へ
こんにちは。さとし君。
こんな私で良ければ是非とも君に会いたい。
来年の12月、我が家へ来るといい。
おいしいスープを作って待っているよ。
サンタクロース』

その時僕は11歳で、今日で12歳になった。12月23日、それが僕の誕生日だった。

少しだけ曇った窓ガラスを指でこすって汽車の窓から外を眺めた。ビルに埋まった東京とはまるで違う、真っ白に染まった雪山が何処までも続いていた。

汽車の中は暖房がきいていて少し暑いくらいだった。外の景色と比べるとここだけ魔法がかかっているみたいだった。

その手紙の後に届いた切符で僕はココまで一人でやって来た。新しい便箋に入っていた切符は一枚だけで、真っ黄色の紙に黒いインクで幾つかの英語(だと思う)が書かれていた。

その一枚の切符で、僕の住んでいる街の駅の改札から、電車に乗り、飛行機に乗り、この汽車に乗ることが出来た。僕は初めて見る切符だったんだけど、駅の人も空港の人も誰もすこしも驚く事もなく、何も言われなかった。

汽車には僕の他にも沢山の乗客達がいた。それぞれに国や言葉や着ている服もバラバラだった
。でも、みんな家族や友達と来ていて、たった一人で居るのは僕だけのように思えた。

どれくらい汽車に乗っていたんだろう。僕はいつの間にか眠っていて、起きたらすぐに汽笛がなった。外はすっかり朝になっていた。12月24日、クリスマスイブの朝だ。
気がつくと、眠る前まであんなに沢山いたこの汽車の乗客が、今は僕たった一人になっていた。

やがて、汽車は鳴き声みたいに大きな音を立てながら、その駅に止まった。僕はお母さんに言われた通りに、荷物の確認をしっかりやって、分厚いジャンパーのファスナーを上までちゃんと閉めて、ゆっくり駅に降りた。その途端、深い深い雪山を通り抜けた冷たい風が、びゅうっと吹いた。僕は黄色い切符が飛ばされてしまわないように強く握りしめた。

その駅はとても小さな駅だった。屋根もホームも駅舎も全てが木で出来ていた。駅の名前らしい物は何も書いてなかった。駅員さんも次の汽車を待つ人もいなかった。ただ、誰にでも分かるサンタクロースを描いた大きな絵だけが壁に掛けられていた。

「さて。」
汽車の中では誰とも話をしなかったから、言葉を発する事がずいぶんと久しぶりに感じた。

駅に着いたのはいいのだけれど僕はこの後、どこをどう行けばいいのか全くわかっていなかった。駅舎を出るとまだ雪はゆっくりと降り続いていた。近くには建物は他に何もなく、ただ白い山々が連なっているだけだった。

僕はすーっと冷たい空気を吸い込んで、「おーい」と声を出してみた。なぜか、そうすれば誰かが迎えに来てくれるような気がしたからだ。だけど、予想以上に大きな声を出す事が難しかった。喉の周りの筋肉が寒さで縮こまっているみたいだった。

僕にも、誰も居ない雪山でそんな事をするのはとても無意味な事のように思えた。でも、他にできる事もなかったし、僕は何度もそれを繰り返した。

「おーい」
「さとしです」
「東京から来ました」

次第に息が切れてきた。声を出すだけで息が切れるなんて初めてだった。

少し休もうかと思ったその時、遠くで小さな音が聴こえたような気がした。

最初は気のせいかとも思ったけど、耳をすましているうちに、その音はだんだん大きくなって、その内に確かなものになった。そしてそれは、どうやらこっちの方へ向かって来ているみたいだった。ソリの音なんて聞いた事もなかったけど、なぜかその時の僕にはハッキリとソリの音だと分かった。

音のする方へ目を凝らしていると、やがて微かに揺れるような影が見えて、それはソリの音と一緒にまた大きくなっていった。

「あっ、トナカイのソリだ」上がった息で、僕は小さく叫んでいた。
昔、ウチにある絵本で見た様な、木の車をつけた二頭のトナカイが、僕に向かって一直線に走っていた。

その姿を見つけたのも束の間、見ているうちに彼らは僕らの間の長い距離を一気に駆け抜けて、やがて、静かに僕の目の前で止まった。ちょっととんでもないスピードだった。

その二頭は息を切らす事もなく、ただ僕を揃って4つの目で見つめていた。ホンモノのトナカイを見るのも僕は初めてだった。茶色と白の入り混じった毛色がツヤツヤと輝いて、とても綺麗だった。太い枝の様に分かれた大きなツノに僕は圧倒された。他のトナカイを僕は知らないけれど、彼らはきっと特別なトナカイであるに違いなかった。

「こ、こんにちわ。東京から来ました。さとしです。」
さすがにちょっとうわずってしまったけれど、なんとか僕は彼らに話しかけてみた。挨拶もなしに、いきなりソリに乗るのはなんだか気が引けた。

すると、僕の言葉がわかったかのように、右側のトナカイが僕の方へ一度頭を下げた。
「やあ、さとし君。僕はトナカイのルイ、隣にいるのが弟のマークだ。今日は遠くからどうもありがとう」
なんと驚いた事に彼らは言葉を話すことが出来た。しかもバッチリ日本語だった。二頭のトナカイのうち、右に居るのがルイ、左にいるのがマーク。らしい。
「さあ、後ろに乗ってくれ。サンタクロースが君を待ってる。」今度はマークが言った。

もちろん心の何処かで期待はしていたけれど、まさかこんなに早く、あのトナカイのソリに乗ることが出来るなんて思っていなかった。

遠くで見たときはわからなかったソリの美しさにまた感動しながら、僕はそれに乗り込んだ。真新しいような木の台車に薄いオレンジ色の皮を張ったソファがあった。台車の側面は赤く染められ、金色の筆で鮮やかな装飾が施されていた。その全てが隅から隅まで塵一つなく磨きこまれていて、ピカピカと光っていた。

ソファに腰掛けたその瞬間、どこか薄い膜がかかったように僕の周りから寒さが消え、暖かな空気に包まれた。なるほど、これならサンタクロースが夜中走っていても寒くない。

僕は荷台の後ろにリュックをおろし、黄色の切符をジャンパーの内ポケットにしまった。前を向くと「じゃあ行くよ。落ちることはないと思うけど、しっかり捕まっていてくれ」振り返ったルイがそう言って右目で軽くウィンクをして、もう一度前を見た。彼はトナカイの世界ではきっと女子達にモテまくっていると思う。

小さく声を上げて、二頭の兄弟は雪のなかを走り出した。確かに少しも揺れはなく、安心して乗っていることが出来た。けれど、過ぎて行く景色を見る限り、電車に負けないくらいかなりのスピードが出ていることは想像できた。

次々と起こる不思議な出来事を、僕はその時なぜかイチイチ振り返ることもなかった。ただただ、自分の周りに広がる美しい世界に見惚れていたかったし、サンタクロースに会ってきちんと話せるように、言葉を準備して置く事で頭がいっぱいだった。

太陽はすっかり雲に隠れて、時間が流れている感覚すらなくなっていった。
相変わらず猛スピードで、美しいトナカイ達が僕を知らない山の奥へと運んでいった。

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ソリに乗って、その雪山の天辺近くまで来た頃、一件の小屋が見えて来た。

ルイとマークはゆっくりとスピードを落として、やがてその小屋の前で止まった。最初から最後まで全くソリは揺れなかった。

「さとし、着いたぞ」ルイが言った。

「ありがとう」僕は二頭にお礼を言って、ソリを降りた。いつの間にか、雪は止んでいた。

その小屋はやはり木で出来ていた。多分、駅舎やソリと同じ木だった。屋根から突き出た煙突から、白い煙が上がっている。ついに、僕はサンタクロースの家までやって来たんだ。胸が踊るように高鳴るのを自分でも感じた。

玄関にかかった少し古びた金色のベルを、音量に気をつけながら鳴らした。
「こんにちわ。さとしと言います。東京から、サンタクロースさんに会いに来ました」
ルイ達を呼んだ時よりずっと大きな声で僕は言うことが出来た。

すると、
「うーん。さとし君、来たか。待っておった。悪いが、そのまま入ってくれ。鍵は、開いとる」年老いた男の人の声がドアの向こうから聞こえた。
初めてきくサンタクロースの声はどこか僕のおじいさんの声に似ているような気がした。そのおかげで、心の中の緊張が少し解けるのを感じた。
僕は「はい。失礼します」と言って、そのドアを開け、小屋の中へ足を踏み入れた。振り返るとルイとマークは行儀よく並んで立ち、僕をとても穏やかな目で見つめていた。

小屋の中は思ったよりも広かった。とは言ってもうちのリビングよりも少し広いくらいだけど。

正面に大きな本棚があった。その隣に扉。奥からは包丁の音が聞こえて来た。右側の壁には出窓があり、その横に暖炉があった。左側の壁にも一つ扉があり、別の部屋へ繋がっているみたいだった。

そして、とにかく僕は驚いたんだけど、なんだか、とても言いづらいぐらいに部屋が散らかっていた。正面にある立派な本棚に並べられるべきであろう本が何冊も床に散らばっていたし、手紙や新聞なんかもそこら中に落ちていた。ちょっとだけ僕はショックを受けた。

部屋の端っこにあるベッドで、さっきの声の主らしき人が横たわっていた。想像通りのサンタクロース、ではなく、短い白髪の老人で、ヒゲは無精髭程度にしか生えていなかった。

「こんにちわ。」この旅で初めて、想像を下回る状況に、僕は少なからずうろたえていた。でも、そのことをなるべく悟られないように、明るめのトーンを意識して僕は声をかけた。彼がサンタクロースだとはまだ決まったわけではないことを僕は思い出していた。

「おお。君か。寝顔は子供そのものじゃったが、なかなか賢そうな顔をしておるのう。まあまあ、よく来てくれた。会えて嬉しいよ。わしがサンタクロースじゃ。」
僕はなぜか自分を少し励ましていた。
「あ、どうも。ありがとうございます。その、お家に呼んでくれて。僕の方こそ、すごく、嬉しいです。」多分この平凡な12年と1日の人生史上、最高の作り笑顔で僕は応えた。

でもそれはすぐに、とても失礼な事だと気がついた。このくたびれたおじいさん、に見えるサンタクロースは、僕のお願いをきいて、東京からここまでわざわざ招待してくれたわけだし(お母さんにお金を貰っていたけど、今の所まだ一円も使っていなかった)、サンタクロースの外見的なイメージを勝手に決めつけていたのは僕の方だった。

サンタクロースは、ただ壁際で立っているだけの僕に
「さあ、荷物はそこの棚に置いて。その隣のハンガーに上着をかけるといい。あと、暖炉の前の椅子に座って。どうだろう、お腹は空いているかな?」と気にかけてくれた。

「あ、ありがとうございます。そうですね。あの、実は今朝からまだ何も食べていなくて。お腹はペコペコなんです。」僕はそう素直にこたえた。荷物を置くように指さされた棚にはもうすでに誰かの荷物が置かれていたけど、それを少しだけ横にずらして、僕はリュックをおろし、暖炉の前の二人がけの木椅子に座った。暖炉には静かに火が灯っていた。

「おお、そうじゃろ、そうじゃろ。」また少し嬉しそうに言うと、サンタクロースは部屋の奥側の扉へ向かって、「おーい、ムッタ。ずっと話していたさとし君が来てくれたんだ。早速朝ごはんを持ってきてくれないか。」と大きめの声で言った。

「はい、かしこまりました。」間をあけず、すぐに若い男の人の声が聞こえ、その奥側の扉が開いた。

そこには、痩せ型で長身、30歳ぐらいで色白な男の人が手に大きな丸いトレイを持って立っていた。

「さとし様。初めまして。私は、こちらでユークリア様のお手伝いをさせていただいております、ムッタと申します。さとし様がこちらにいらっしゃる間、お世話をさせていただきますので、なんなりとお申し付けくださいませ。」
ムッタさんはそう言うと、トレイを水平に保ったまま、深々と90度のお辞儀をした。「さとしです。ありがとうございます、よろしくお願いします。」僕がそうこたえてから、ムッタさんは頭を上げた。ずいぶん律儀な人のようだった。トレイはもちろん水平なままだった。

「ユークリアって?」僕が言うと
「わしの名前じゃ。サンタクロースにも名前くらいある。」咳払いをしてから、ユークリアは少し恥ずかしそうに言った。

この辺りの人の名前の事は何も知らないけれど、なんだか女の子みたいな、ずいぶんと洒落た名前だと思った。

ムッタは僕の前のテーブルに、二つのお皿をおいてくれた。一つにはパン、もう一つの方はコーンスープだった。

「すまんな。本当はもっとご馳走を用意してあげたかったんだが、少し事情が変わってな。実はとても急いでおるんじゃ。食べながらでいいから、わしの話を聞いておくれ。」ユークリアはいかにも申し訳無さそうに僕に言った。

確かにとてもシンプルな朝食に見えたけれど、そんな事はまるで気にならなかった。これまでの、電車や飛行機や汽車の車内食が信じられないくらい豪華だったので、僕はむしろ安心していた。それに、コーンスープは僕の大好物だった。

「とんでもないです。ありがとうございます。いただきます。」僕は手を合わせてパンをかじり、スープを飲んだ。

そしてそれは、まるで夢のような美味しさだった。パンは甘く、コーンスープはとても暖かかった。スープに溶け込んだジャガイモやミルクがとてもしっかり下拵えされているのがわかった。

「こんなに美味しいコーンスープは初めてです。」僕は正直に感想を伝えた。お母さんにはわるいんだけど。
「ありがとうございます。」僕が食べるのをじっと見ていたムッタさんがとても嬉しそうに言った。ムッタさんはかなりの料理上手のようだった。

僕は夢中でパンを食べ、コーンスープを飲んだ。ユークリアは結局、僕が食べ終わり、「ごちそうさま」を言い、満足そうなムッタさんが空のお皿を下げて部屋を出るまで待ってから話し始めた。

「さとし君。これから話す事にはいくつか、ワシと君だけの秘密にしてもらいたいことがある。いきなりで申し訳ないんじゃが、まずは今日の事を最初から最後まで誰にも話さないと約束してほしい。」

「ありがとう。ワシはさっきも言った通り、本物のサンタクロースじゃ。しかし、実はサンタクロースは一人ではない。はっはっは。そりゃそうじゃ。世界中の子供達にたった一晩でプレゼントを置いてまわらなければならぬのじゃぞ。一人では到底回りきれん。」

「今現在、ワシを含めてサンタクロースは全部で5人おる。みんなこの近くに住んでいる昔からの古い友達じゃ。ワシら5人でそれぞれに地域を分担してプレゼントを子供達に配っておるのじゃ。」

「だがの。これはなかなかの重労働じゃ。五人で分担しているとはいえど、なにせ時間は一晩しかないし、回る家の数も100や200ではない。中にはワシらの姿を見ようと夜遅くまで起きて待っている子供もおる。あれは本当にいかんな。」

「そしての。ここからが本題なんじゃが。」

「ワシは困った事に今年は風邪をひいてしまったんじゃ。」

「いやいや、風邪といってももしかしたらもっとひどい病気かもしれない。とにかく、熱が続いてもう3日も下がらないし、体中の関節が痛いんじゃ。こんな事は今までなかったんじゃよ。」

「今年はとても働けそうにない。休みたい。」

ユークリアはなんとも悲しげに視線を落とし、肩を小さくした。
それは少し芝居がかっているようにも思えた。

ユークリアの体調が良くないのは一目見たときから気がついていたけど、正直そこまでわるい状態には見えなかったし、これだけ散らかった部屋をそのままにしていたら、具合が良くなるわけもなかった。

「それで、僕はどうしたらいいんですか?」

「うん、どうしたら。いいんじゃろうな。」

「え?」

ユークリアはモジモジし始めた。

僕はちょっとイヤな予感もしたし、このまま黙っていても良かったのだけれど、目の前にいるのは紛れもなくサンタクロースであり、今日に限っては世界で一番忙しい人なはずだった。そんな人の時間を1秒でも無駄に過ごさせてしまうのは、世界中の沢山の人に迷惑をかけてしまうことのように思えた。

「手伝いますか?」
小さなため息を堪えながら僕は言った。

するとすかさず
「え、いいの?」
と、白々しくユークリアは言った。
すごく笑顔になっていた。

僕は軽く息をついた。でも、ここまで招待してもらっている事や、美味しい食事をごちそうしてもらった事が、いわゆるキセイジジツ
として僕を後押ししていた。

「分かりました。でも、その前に一つだけ。」

「ん?なんじゃい?」

堪らず僕は言った。
「この部屋を掃除させてください。」

ユークリアは満面の笑みを浮かべて頷いた。

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「子供たちが欲しがるプレゼントはモノばかりとは限らない。というより、別に欲しがっているモノを配れるとも限らない。という方が正しいかな。いろんな環境の子供たちがいるし、ワシらに何か特別な事が出来るわけではないからな。」

手伝う約束を交わした後、急いで部屋を片付ける汗だくの僕を眺めながら、コーヒー片手にユークリアは言った。

そして、今回の段取りを話し始めた。当初の彼の計画では、僕一人で今夜のプレゼントを配って回る事になっていたが、それは不安過ぎると僕はことわった。
ユークリアは最後まで「今年ぐらい働きたくない」とか「身体が動かない」とか言っていたが、ルイとマークとムッタも一緒に説得して、最終的には毛布でぐるぐる巻きにして、ソリに乗せた。ムッタさんが嫌がるユークリアになんとか、長い白髪のカツラと、同じく長くて白いつけヒゲをつけた。その頃になると、ユークリアも漸く観念したみたいだった。

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遠く散り散りになっていた雲に、今は思いっきり手を伸ばせば届きそうなくらい僕らは空高く舞い上がっていた。

足元には、星灯りのような夜景が広がっていた。

マークとルイのソリはユークリアと僕を乗せ、静かに(しかし相変わらずのすごい速さで)空を駆け上がり、森を抜け、月が眩しく照らす街へ向かっていた。

少し遠くの方には大きな旅客機が飛んでいるのが見えた。やはり不思議な事に全く怖くなかった。

「さあ、ここから10時間。一気に行くぞい。」
ユークリアが言った。さっきまでの姿とは打って変わってとても頼り甲斐のある、凛々しい横顔だった。

ソリがいきなり右側へ急下降を始めた。相変わらず揺れる事は無かったけど、さすがにちょっとだけ目眩がした。

街にある家家の沢山の屋根達がすぐそばまで近づいた所で、ソリは水平飛行にかわった。

「さとし君、一度だけ見せるからの。次は君がやるんじゃぞ」
僕を見てユークリアは言うと、荷台にぶら下げた大きな布袋から手の平程度のボール玉を一つ取り出した。

キラキラと光る銀色のボール玉だった。ユークリアはそれをためらう事なく、
「ほいっ」
と上空へ思いっきり放り投げると、
「いけ」
と囁いた。

すると、そのボールが一度大きく輝いて、次の瞬間、いくつもの光に分かれて、屋根の中へ吸い込まれるように飛んで消えていった。

「すごい」
僕は思わず感嘆の声をもらした。
どうやら今の光がプレゼントとして配られている種のようなものらしかった。

「ほれ、やってみい。」
ユークリアは新しいボールを僕に渡した。
「これが、皆んなのプレゼントになるんですね。」
「いいから早よせい。時間がないぞ。」
「はいっ」
僕は光るボールを真上の空に向かって思いっきり投げ、
「いけ」
と小さな声で言った(あまり大きな声だと子供が起きてしまうことがあるらしかった)。
光が幾筋にも広がって、遠くまで飛んで行く。

「そう。出来るじゃないか、さとし君。
どんどん行くぞ。ほれ。ほれ。ほれ。」

僕たちは高速のソリに乗りながら、次々と光のボールを投げ、光の束を遠くの屋根へと飛ばして行った。
気がつくと、ユークリアは僕の隣で気持ちよさそうに眠っていた。

そういえば小屋を出発する前、
「クリスマス以外もワシらは遊んでいるわけではないんじゃ。子供達はどんどん生まれてくるし、彼らのプレゼントを一つ一つリサーチしなくてはならないからな。むしろ、とても忙しい。そりゃあ部屋も散らかるし、風邪もひくわな。」
言い訳でもするかのようにユークリアはそう言っていたけれど、確かにこれだけの量を毎年配るのはとてもハードワークな事だと、今の僕には理解できた。

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袋からボールを全て配り終えるころ、遠くの空が少し明るくなり始めている事に気がついた。

「ふう。なんとか、間に合ったの。お疲れさん。ご苦労さん。」
ユークリアはいつの間にか目を覚ましていた。
僕もなんとか責任を果たせてホッとしていた。

「ところで。」
ユークリアは言った。

「そう。君の今年のプレゼントは何だね。いくら調べてもようわからんかった。」

「僕はプレゼント、要らないんです。」

「またかい。お母さんの病気を治してくれ、とか言うのかと思っておったけど。」

「出来るんですか?」

「出来ない。サンタクロースにそんな力があれば誰も苦労しない。」

「そうですよね。それは分かっているんです。だから、一つだけ教えてほしい事があります。」

「なんじゃろ。ちょっとドキドキするな。」

「ユークリアさん。この世界には、治らない病というのがありますよね。」

「うん、ある」

「しかも、それが生まれつきだったりするひともいますよね。」

「そうだね。」

「なぜですか。」

「うーん。」

「ユークリアさんのように、布団を蹴飛ばして寝るから風邪をひいたり、きちんと歯を磨かずに寝るから虫歯になったり。そういうのは分かる。あっていいと思うんです。本人の問題だし、気をつければ治す事ができる。」

「虫歯、ばれてたか。ふむ。」

「でも、本人の不摂生とか怠慢とか、全く関係のないところで、病になって、どんなに努力しても治らない事ってあるでしょう。」

「ふむ、あるよね。」

「なぜですか。どうしてそんなひどい事が起こるんですか。世の中に必要ありますか。」

「分からん。」

「そうですよね。僕にはずっとそれが疑問なんです。神様がもしいるなら、僕はその事を抗議したいし、万が一、なにか理由があるなら、それが知りたい。今の僕には一番のプレゼントだったんです。それだけです。その為にここまで来た。」

「そうか。答えてやれんですまんの。」

「いえ。」

「ただ。君くらい賢ければ、答えがない事は知っていたね。」

「いや、そんな。」確かに僕は知っていたと思う。「賢くはありませんが。聞いても仕方のない事だとは思っていました。でも、どうしても、理解というか、納得が出来ないんです。」

僕が言うと、ユークリアはもう何も答えなかった。それでいいと僕も思っていた。

ルイとマークはスピードを落とし、ゆっくりと朝焼けの空を駆けていた。何も言わず、静かに僕らの話に耳を傾けていたようだった。

僕は学校の友達にも、先生にも、ましてやお母さんにも聞けずに、心の中に溜めていたモノを全てはきだしたような気持ちになっていた。具合のすぐれない老人に対して、自分勝手な事をしてしまったと少し後悔もしていた。

でも、12歳になったばかりの僕にも、徹底的に分かりやすく、この世界は端から端まで不公平なのは確かだった。

「ひとつ、君より先に生まれた人生の先輩として伝えておこうかな。」
少し間を空けてからユークリアは言った。

「はい。なんでしょう。」

ユークリアは僕の目をしっかりと見た。
「この世界がどうあろうと、君には関係のない事なんだ。君は君の事をやるしかないし、君自身の人生をきちんと生きていかなくちゃいけないんだよ。というか、それ以外の事はできない。」

「どういうことですか?」

「君は今、自分以外の世界を気にしすぎている。確かに、君のお母さんのように、治らない病を抱えている人はいる。我々にはどうする事も出来ない。しかし、それと同時に、そのどうしようもなさを、お母さんの一番近くにいる君が思い煩っていても何にもならないし、お母さんを救う事なんて出来ない。それどころか、悲しませるばかりで、逆効果だよ。」

「それは、分かっています。」「でも、考えてしまうんですよ。」

「うむ。さとし君、悪いが、それは君の甘えだよ。」

「甘え?」

「じゃあ君は、その事を解決しようと何か努力したか。勉強でもしたか。本の一つでも読んだのか。医者や親戚の話を聞いて、ただ、世界の不条理を嘆いているだけじゃないのか。」

僕は答えることが出来なかった。

「なあ、さとし君。君が向き合うべきなのは、他の誰かや、周りの世界ではないんだよ。今日の君が向き合うべきなのは、君自身。昨日までの君自身だよ。誰かを羨ましがったり、世界を恨んだり、そんな事をしてはいけない。時間の無駄なんだよ。」

「昨日までの自分、ですか」

「今日の君は、昨日の君より前に進んでおるか。勉強でも遊びでもなんでもいいから、好きな事、自分が得意だと思えることを思いきり一生懸命に頑張るんだ。人の意見なんて気にしなくていいから。君の事を真剣に考えている人間なんていないんだよ。」

「ユークリアさん、ありがとうございます。でも僕は誰よりもサッカーが好きで誰よりも練習をしていますが、僕より上手い人は沢山います。」

「君は、時間が有限か無限か分かるか。」

「時間、ですか。有限じゃないんですか。」

「うむ。確かに、いつかは終わるという意味では時間は有限といえる。しかし、その中で何度でもやり直していけるという意味ではやはり時間は無限なんだよ。」

「何度もやり直すかぎり、無限。」

「そう。なんでも最初から上手くいく事はないし、失敗もある。それでも何度でも立ち上がる事が大切なんじゃよ。それが出来れば、大概の事は可能になる。」
ユークリアは一度目を閉じた。
毛布にくるまっていたとはいえ、さすがに熱が上がってしまったのかも知れない。

「ユークリアさん、僕にそこまで出来るでしょうか。正直、あまり自信がありません。」
僕がこぼすように言うと、ユークリアはいきなり目を開けた。
「そんな事では、君の世界はずっと変わらん。公平に不公平なままじゃ。」

「公平に、不公平。」
僕は繰り返した。

「人生や、世界を変えようと思うなら、とにかく昨日の自分を超え続けること。何度でも立ち上がること。それが、君が君の人生を生きるという事だし、君の大切な人を幸せにする唯一の方法なんじゃよ。」

いつの間にか、ソリはユークリアの小屋のすぐそばまで来ていた。
マークとルイはずっと黙ったままだった。

やがて小屋の前に着くと、ユークリアと僕は一緒にソリから降りた。
僕は前を歩く老人の背中に、
「ユークリアさん、今回は本当にありがとうございました」
と言った。

朝の光のを浴びて明るく輝きだした森の中で、ユークリアは、静かに僕の方を振り返った。
そして、いきなりニコッと笑って、突然手を鳴らした。
驚いた僕の顔を見て、ユークリアが
「パチン」
と言った。

その次の瞬間、いきなり世界が真っ暗になった。

僕は意識がすっと遠くなっていくのを感じた。

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目がさめると、そこは、僕の家のベッドだった。見慣れたいつもの部屋がそこにあった。

時計を見ると朝8時半を指していた。
日付は12/25と表示されている。

僕はボンヤリとする頭を抱えながら身を起こした。

ベッドの横のハンガーには僕の青いジャンパーがかけてあった。あの森の中で気を失ったきりだから、自分で服を脱いだ記憶などなかった。

僕はゆっくりとジャンパーに手を伸ばし、内ポケットを確かめた。

そこにあるはずだった、黄色い切符はいくら探しても入っていなかった。

雪で汚れたはずの靴も、下着も、全ていつも通り綺麗にしまわれていた。

まるで、ユークリア達との事が全てなかった事のように、僕の周りの世界はこれまでと同じように僕を包んでいた。

夢、だった。ということだろうか。
そう考えると、僕は少しだけ泣きそうな気分になっていた。

でも、泣く必要なんてなかった。だって僕は、ユークリアの言葉を一つ一つ、ハッキリと思い出す事が出来た。

ユークリアの、時間は有限の中で無限、という言葉が僕の心にしっかりと刻まれていた。

この旅が、夢だったのかどうかは今はもうどちらでもいい事のように思えた。

早く着替えて、歯を磨いて、お母さんに会いに行こう。そして、この旅の話をしよう。

その後は、本屋に行って、沢山本を買って来よう。

僕は今までにないくらいの早さでベッドを飛び出した。昨日までの自分を追い越してしまう為に。


#小説

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