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ぼくが音楽を再開した理由。

こんにちは。

フジイ サダモリです。

今日は、プロブロガーとして著名なイケダハヤトさんの主催する『ブロガーズギルド』内のネットラジオに出演するという機会をいただき、30分話をしてきました。

パーソナリティーを務めてくださっているCOKOさんが、とっても上手に聞き出してくれるので、調子に乗ってベラベラと喋ってしまいました。とても楽しい時間でした。


本当にあっという間の30分。最初うまく接続できなかったけど、待ってくれたCOKOさんや、ブロギルの皆さんありがとうございました。(原因はiPadで通話しようとしたせいっぽいです。。スマホにした途端、うまくいったので。。)

そのラジオの終わり間際、COKOさんがおっしゃった『会社員をしていて、どのような経緯でまた音楽の道に戻ってきたのか』という言葉。ぼくが一つのテーマで喋りすぎたせいで、これについては話せなかったのですが、ラジオが終わった後、その事について考えていたら色々と思い出してきたので、忘備録ではないけれどここに記しておきたいと思います。

ラジオ内で『高音はトレーニングである程度出せるようになる』という話があったのですが、実はぼくもボイストレーニングに通っていた過去があるんですよね。

2003年から2008年までの5年間(22ー27歳まで)、音楽スクールに入ってプロのジャズシンガーの方について頂いてマンツーマンで歌や発声方法を習っていました。

はじめの4年間は山田先生という女性の方で、この方が僕と嫁さんのキューピッドなんですが、それはまた別の話ですね。とても優しい方で、大変お世話になりました。

残りの一年間は、関先生という男性の方で普段はラテンジャズを演奏している凄腕の人でした。頭はモヒカンで、いつも『おーいお茶』の濃い味の方を飲んでいたのを覚えています。

その山田先生と関先生、共に口を揃えていっていたのは

『きみは無理して高い声を出さなくていい。自分に合ったキーに下げて歌えばいいんだよ。』

という事でした。そう、まさに同じ事を10年経った今日もCOKOさんに言われているわけです。これは、今であれば心から素直に頷けるのですが、当時のぼくは違っていました。

『いや、ぼくは原キーで歌いたいんです。(そしてむしろ、ジャズじゃなくてミスチル歌えるようになりたんです)』

なので、レッスン中はKey=Cで練習した曲もライブではKey=Dで歌ったり。あんまり素直な生徒ではなかったんですよね。

そのうち、いつまで経っても上達しない『歌』に見切りをつけて、レッスンを辞め、しまいには音楽も作らなくなり、練習もやめてしまいました。

それから時が流れて、2013年。ぼくは結婚し、就職し、子供を二人抱えるパパになっていました。

ギターはケースに入ったまま。何年も弦だってかえてない。毎日朝から晩まで働いて、仕事帰りに缶ビールを飲む。酔っ払った頭で、スマホにイヤホンを差し込み、好きな曲を爆音で聞いて帰るくらいしか、音楽との関わりは無くなっていました。

そんな時、いつものように開いたFacebookで関先生が亡くなった事を知りました。肝臓がん。58歳というあまりにも早いお別れでした。

嫁さんと結婚する前のデートで、何度か関先生のコンサートに行ったことがあったのですが、そこで披露される豪快かつ繊細なラテンジャズ。それをとても楽しそうに演奏する姿からは、とても想像できない突然の『死』でした。

それからしばらくして、部屋を整理していたときのこと。

洋服用の箪笥から、小さなSONY製のボイスレコーダーが出てきました。

『なつかしいなぁ』

何でそんなところにしまったのか。自分でも意味不明でしたが、どうやらまだ動くようだったので、ぼくはイヤホンをつなぎ聴いてみる事にしたのです。

そこに入っていたのは、日々誰よりも練習し上手くなろうと格闘する自分の声でした。

当然、関先生とのレッスンもそこに録音されていました。

もっと喉を開いて。顎を下げて歌うんだよ。その方が君はいい声が出てるよ。

先生の言葉を思い出しました。

そして、

もうどこにいっても関先生には会えないのか。

そう考えると、寂しさと悲しさに心が覆われました。

『もう一度音楽を作ってみようかな。』

いつも間にかぼくはそう想うようになりました。

今度は、自分の声に合った音楽。

無理をして喉を締め付けなくても、歌えるような曲。

ぼくだからこそ作れる音楽があるのではないか。

そしてそれは、もしかしたら多くの人が求めている音楽なのではないか。

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会社を辞め、noteに曲をアップするようになるのはそれからもう少し後ですが、その出来事があって、ぼくの心にもう一度音楽の火が灯ったのは間違いありません。

関先生、本当にありがとうございました。遅くなりましたが、先生のご指導を大切に音楽をこれからも続けていきます。

いつかまたお会い出来る日まで。

(この音源はそのボイスレコーダーから拾ったものです。よければ聴いてみてください。)


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