ダンナが義足になるまで・その1~蜂窩織炎からの糖尿病発覚。

ダンナの左下肢が義足になって2年を過ぎた。義足になるまで・・・というか、左下肢を切断するまでは結構大変な日々だった。直接の原因は糖尿病による血行障害で左足に壊疽が起こったことなのだが、そこに至るまでにはトラブルがいろいろあったのだ。

忘れないように、改めて記録しておこうと思う。

始まりは2014年の蜂窩織炎

左脚に違和感を感じたのは、2014年の夏の始まり頃。ちょうど高校野球の神奈川県予選の最中だった。「ここ1週間くらい、ずーっと左脚がつってる感じで痛いんだよなー」と言っていたのだが、もともと病院には行きたがらないダンナ(男の人ってだいたい行きたがらないよね)。

大丈夫、大丈夫と言いながら10日ほどが経過。ある日高校野球のテレビ中継を見ていたら突然左脚が腫れてきた。

これはさすがにヤバイと本人も思ったのだろう、自ら「ちょっと病院行く」と午後から近所の総合病院へ。

どこにかかればいいのか受付で聞き、とりあえず整形外科に。血液検査を行った結果、炎症値が高いらしく「蜂窩織炎」と言われたらしい。診察室から松葉杖姿で看護師さんと談笑しながら出てきたダンナ。とりあえず抗生物質を処方してもらい、その日は帰宅。

脚の腫れとしびれが治まらず

しかし、抗生物質の内服薬を処方してもらって飲んでも、なかなか腫れがひかない。まるで象の足のように腫れているし、突然足の裏に激痛が走ることがあるし、しびれと痙攣はあるし。それでも蜂窩織炎という病名がついたので、他の病気を疑うことはなかった。

もう一度受診をし、抗生物質の点滴もしてもらって腫れは少し引いて、象の足から豚足くらいまでにはなったのだが・・・。

今度は脛にまで痛みがくるようになり、腰も痛くなり、右脚も痛くなってきて、思うように動けない、歩けないという日が多くなった。足のしびれと痙攣で歩けない日もあったし、歩いている途中で力が入らなくなって座り込むこともあった。

一日のほとんどをベッドの上で過ごすことも多く「このまま歩けなくなるんじゃないか」という不安とストレスは相当なものだったと思う。

そうこうしているうちに糖尿病判明

7月に病院に行ってから半年近くが経過。足の腫れ、腰痛、坐骨神経痛、しびれと痙攣。いろいろ調べても蜂窩織炎のせいなのか、冷えなのか、ヘルニアなのかまったくわからないのだが、とにかくあまりにも状態が悪いので、もう一度整形外科に行って、今後どうしようか相談しようということに。それが2015年2月末のことであった。

そこで改めて血液検査を行った結果、血糖値が500超ということが判明。「ヘルニアとか言ってる場合じゃない、とにかくすぐに内科に行って!」

半年もの間、脚と腰が痛くてずっとガマンしてきたのに、ここへきての糖尿病宣告・・・。心が折れたのかもしれない。数日間、ほとんど部屋に閉じこもっている状態だった。

今思えば、半年もの間ほとんど動けなかったわけで、楽しみといえば食事くらい。あとは横になっていることが多かったので、そりゃもともと糖尿病だったとしたら悪化するわなあ。

20代の頃は会社を経営していたので、仕事仕事&接待接待で不規則な生活がほぼ365日。もちろん、自分の健康診断なんか一切やってこなかったというダンナ。会社で何度かぶっ倒れたこともあるらしいが、それでも検査や入院は頑なに拒んできた。

そういう20代を送ってきたのだから糖尿病になっていてもおかしくはないのだが、それにしてもこんな形で発覚するとは。

何日かしてやっと気持ちの整理がついたのか、親戚が勤めている大学病院の内分泌内科を受診し、そこでまず血糖値を下げるための薬が処方された。あとは優先順位としてまず眼科にかかるように言われ、検査で腎臓の数値が悪いので腎臓内科にもかかることに。

眼科では、予想どおり糖尿病網膜症であることがわかり、すぐにレーザー治療がスタート。ここから毎週のように病院に通う日々が始まった。

糖尿病の合併症は網膜症・腎症・神経障害。この時点でほぼコンプリートしておる。多分20代の頃に糖尿病自体は発症していて、そこから約20年が経って症状が表れてきたのだろう。

ここから数年間、血糖値のコントロールと腎臓の数値との闘い(でもないけれど)の日々となる。

つづく。








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