Kouhei Okuda

カレーが好き。人事や経理、総務の仕事。転職が多いので、いっそフリーランス的に働けないか…

Kouhei Okuda

カレーが好き。人事や経理、総務の仕事。転職が多いので、いっそフリーランス的に働けないかと模索中。

最近の記事

「カレーの学校」…ってなんや?

この記事は、「カレーの学校アドベントカレンダー2019」の第11日目です。 カレーの学校 3期の奥田です。 さて、アドベントカレンダー2019年に手を挙げたものの何を書いてよいかわかりません。。 タイトルは「カレーの学校」に通ってから一番よく聞かれた質問です。 せっかくなので「カレーの学校」ってなんだ?について考えてみます。 ちなみに「カレーの学校アドベントカレンダー2019」の第10日目では発明だと書かれてますね。 カレーの学校に関してちゃんとした案内はコチラ

    • One Team

      昨日敗退した、ラグビー日本代表を見ていると時々目にした言葉 ”One Team” ラグビーはスポーツの中でも特にチームという単位に注目が集まる印象だが、この「チーム」って目に見えるようで見えないものだと思う。 ラグビーで言えば、スタメンだけをさすわけでもないだろう。 控えの選手、ベンチ入りしてない選手、スタッフ、HC、その他関係者・・ どこまでが「チーム」なんだろう?と考えてみても答えはわからない。 同時に「チーム」って色んなシーンに出てくるな・・と 例えば、仕事で

      • 大人扱い

        今日は偶然ではあるが2つの記事を読んだ。 どちらも、働き方に関するものなのだが、 いずれも「大人扱い」をどうするのか?という問いへの答えにも思えた。 手軽に「安心」を手に入れたいがために、サポートするよという顔をしながら、あれこれ要求し束縛する「子供扱い」施策ばかり作らないように気をつけたい。

        • 弱り目に祟り目

          いわゆる負のスパイラルというヤツだ。 色んな物事に因果関係はあるもので、 何をやってもうまくいかないという時はそのように繋がっているのだろう。 よりによってこんな時にと、 直面している時には思うのだけど… こういう局面はきっと大きな流れや変化が起こっているのだろう。 その変化や流れに対応して状況をしっかりと把握し直し、ピンチをチャンスに変えていきたいと思う。

        「カレーの学校」…ってなんや?

          景色の良いところ

          今日読んだ漫画のセリフだ。 初めて食事をするなら景色の良いところで なんて素敵な思いやりなんだろうと思った。 食事の席を用意したりすることはあっても そんなことまで考えたことはなかった。。 自分にもそんな思い出の場所やお店を作っていきたいと思う。

          景色の良いところ

          知らないこと

          何でもよく知っているね・・ ときどき言われるのだけど、そんなわけがないといつも思う。 ほんとうに知っていることを知っているだけなのだ。 もしくは知らないことを知ろうとしているだけなのだ。 知らないことには、目や耳を塞いでしまうことがやはり多い できることならば常に好奇心をもって、知らないことを知りたいと思う。 目や耳を塞いでしまっては、世界は広がらない 小さい壁の中で一生を終えるのは嫌なのです。 壁を超えるには、見聞きし、考える。 地道に這いつくばるしかないのです。

          知らないこと

          成長

          「成長」を感じると楽しい 仕事でも料理でも運動でも何でも良い、少しでも成長があると楽しい 自身の成長もそうだが、他人の「成長」も楽しい 僕には子供はいませんがきっとそう思う そんな「成長」なんだが日常でこれを感じ取るのは意外と難しい 自身のことであれば、感覚的な部分に頼らざるを得ないし、 他人のことであれば、見守り続ける必要があるし、なかなかに大変だ。。 そんな実感しにくい「成長」をもっとわかりやすく、 可視化(?)できるようなモノが本当の成長支援なのではと思う。 い

          安心したい

          許されたいでも良いのかもしれない。 でもそれだと、ちょっと宗教的な感じになるか・・ 少し前に見たSWITCHインタビューでこんな言葉があった。 「言葉にするということは、安心するということ」 表現者として言葉をあつかうプロらしいなと思った。 これを言ったご本人の思惑はさておき、僕はこう思う。 言葉にできた、表現できた、伝えることが出来た、知ってもらえた、 これらが成された時にヒトは安心するのだろうか? また言葉をかけてもらって、伝えてもらうことによって、知ることによ

          安心したい

          必要

          必要とされるかどうか? モノでもヒトでも、能力でも良いのだが、 必要とされるかどうかでその価値は変わる。 でも、誰が必要とするかによっても価値は変わるのか? いずれにせよ、モノやヒトや能力が変わるわけではないのに・・ 必要とされているかどうかで対応が変わるのだ。 そう思うと必要とされたいって、ずいぶん傲慢な考え方なのかもしれない。 それでも誰かに必要とされたいと思ったりはする。 なかなか難しいな・・

          言葉

          「言葉」って便利というかすごいものだと思う。 同時にとっても危険というか、難しいものだと思う。 会社などで「共通言語」ってよくきくけど 慎重に共通の認識を作らないと、違う事を同じ事として話をすることになる。 違うことを認識してお互いが話しているわけだから、本当は噛み合うはずがない。 でも「言葉」として同じなので噛み合っていると信じて会話は終わる。 そうやって終わる会話や議論からは正しい「問い」が生まれていないんじゃないのか? そして、正しい「問い」のないところに正しい

          採用と不採用

          合格と不合格でもよいのかもしれない。 下手をすると人生を左右する境界線だ。 でも、この境界線のあちらとこちらに大きな隔たりはあるのだろうか? ボク個人の経験で言えば、幼少の頃から受験戦争に放り込まれ、 就職氷河期というのに直撃し、何度か転職をしてみた。 この境界線のあちら側もこちら側もたぶん人より多く経験しているし そして今は仕事で人事として、その境界線を決めるようなこともしている。 はたして本当にこの境界線にちゃんとした意味はあるのだろうか? だって境界線が引かれた

          採用と不採用

          アウトプット

          よく仕事の場面で聞くようになった言葉だ 先ほど、1年めの社員も使っていた。 例えば、インプットとアウトプットのバランスが大事だよね・・とか 事業に寄与するアウトプットをしっかりできるか?・・とか そうだよな~と思うこともあるのだけど、 本当にそうなのか?と思うこともしばしばある 要するに、結果をこちら(偉い人だったり上司だったり、会社)のわかりやすいようにしてねって強制したいだけなんじゃないのか?と思う。 アウトプットってそんなにわかりやすいものなのだろうか? その

          アウトプット

          節分

          恵方巻きが好きだ 海苔巻きがすきなだけなんだけども… 季節の行事にまつわる食べ物は全般的に好きだ そもそも好き嫌いがないのでもあるが 行事によって食べる意味が増す それって付加価値を付けてるって事だよね わりと単純にそこに乗っかってしまうタイプなのだな自分は そして、行事などなくても、本当は色んなモノに付加価値はあるはずなのだ 気づかない事が多いだけで、ぞんざいな扱いをしてしまわないようにしたい。 そして色んな事の本当の価値をちゃんと感じながら暮らしたい。

          集中

          静かな環境で集中する 集中しているので周りが気にならない どちらも正しいのだろうが、あまりに周囲がザワザワしていると難しい 物静かで力を発揮できる人になろうと思う

          尊敬するということ

          尊敬:Respect 今日は自分の仕事でもある人事について少し考えてみた。 人事の仕事ってなに?と考えるといろいろあるので、それもまた書きたいのだが、今日は人事視点での尊敬について考えてみる。 尊敬する人は?と問われると、両親だったり、恩師だったり、 歴史上の偉人だったり、スポーツのスターやアーティストなどなど、人それぞれ色んな人を挙げるだろう。 遥かに高い位置にいる人を尊敬の眼差しで見つめる 「尊敬」というワードはそのようにある意味非日常的な体験を指しているのかもし

          尊敬するということ

          思い通り

          仕事に限らず思い通りにならないことばかりだ・・ まぁそれが普通なのだろう はたから見れば思い通りにすごしているように見えても 当の本人は何かを噛み締めて耐えているのかもしれない 思い通りにならず周囲に当たり散らしているように見える人もいる とばっちりを喰らうとこちらも防御本能がはたらいてしまうな。。 そもそも思い描いていたことはどれほど正しく描けていたのだろう? 独りよがりや、過信で描いたものであったのであれば、上手くいかなくて当たり前だ・・ ならば、うまくいかない時

          思い通り