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幸せは「ボーッ」とした時間の中に

ちょっと前の話になるが、山口周氏の以下のツイートにドキッとしたことがある。

何も起きない人生……
それはそれで、平穏な人生ってことで、悪くない気もする。
誰もが望んで得られるものじゃない。
平凡で何事もなく過ごせる人生なんて、ある意味ぜいたくとも言えるが、確かに毎日何事もなかったら、退屈極まりなくて、発狂までいかなくともかえってイライラが募って、「平凡すぎる人生」に不満がたまってしまうものなのかもしれない。

誰もが自分の人生に意味を求める。
そこまで意識的に思わなくても、ふと「自分の人生に意味はあるのか?」なんて、そんな想いが頭をよぎることは誰にだってあるだろう。

でも、あまり突き詰めて考えるのもどうかと思う。
ありきたりな言い方をすれば、単純に「今ここに生きてること」そのものに喜びを感じてもいいのじゃないだろうか?
そんな喜びの中に、生きる意味がある気もしているのだ。

そうは言っても、そう人生は単純ではないのも、また事実。
どこか人生に刺激やワクワクを求め、それが満たされないと自分の人生に意味を求め、そレに対する答えが中々得られず悶々とする……
でも、時間がたてばそんなことも忘れて、またワクワクを求める、そんなことの繰り返しなんだろうな、人生って。

そうこうしているうちに、茂木健一郎氏の興味を惹かれる記事に出会ってしまった。

心地良いだけでは、かえって脳みそだけじゃなくて、自分の人生も固まってしまうらしい。
多少は不安やドキドキはあった方がよいみたいで、それってやっぱバランスなんだろうなぁ。

また、「ボーッ」と何も考えないひと時を1日5分から10分は持った方がいいらしい。
そういう時間こそ、思いもしないひらめきや啓示が得られることもあるんだって。

そんな無心に「ボーッ」となれるひとときって、確かに至福だ。
そういう時って、幸せを感じるホルモンのセロトニンが何気なく分泌されているんだろう。

「ボーッ」としてばかりもいけないけど(笑)、1日5分でも、10分でも持ち続けていきたいなと思う今日この頃なのでした。

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