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「レンタル彼女」が教えてくれた働くことの意味

「サナエ、どんな仕事でもいい。あなたにしかできないことをしなさい。そして、あなたを本当に必要としている人のために尽くすのよ」
私の母がかつてよく言ってくれた言葉だ。

私を産んでから、母は数年後に離婚し、それから女手一つで私を育ててくれた。
母は看護師だった。人に尽くすことのできる看護師という職業に誇りを持っていた。

そんな母の背中を見て育ったが、母の仕事の大変さを見ていたので、看護師を目指す気にはなれなかった。
私は短大を卒業後、ある建設会社に就職し、営業事務として働くことになった。
母は私の選択に対して、特に賛成も反対もなかった。

「あなたにしかできない仕事で、人に尽くせれば、それでいいのよ」
母はほほえみながら、そう言ってくれた。

ただ、私は特に目的意識もなく、短大の就職課から推薦された会社に応募し、その内定した会社に就職したに過ぎなかった。
「自分にしかできないことって何だろう? 人に尽くす? いまいちよくわかんない」

おそらく、今の会社で仕事をしながら、いずれ好きな人と出会って、その人と付き合って、そして結婚するんだろうな……
これからの人生を、そんな風に思い描いていた。
しかし、想定しない事態が発生してしまった。


母が勤務中に急病で倒れてしまった。
過労によるもので、診断の結果、脳梗塞の疑いがあり手術が必要になるとのことだった。
その費用を一旦病院に支払わなければならず、かなり高額で、家計を直撃してしまった。
しかも、手術した後も、しばらくは入院し、見舞いにも時々行かなければならない。

「どうしよう。これじゃ、生活していけないよ……」
私は本業に加え、副業もせざるを得ない状況になっていることを自覚した。
しかし、私にはこれといったスキルがあるわけではなかった。

「平日の夜間や休日に働くことができて、かなり時給が高くて、日払いがOKな仕事ってないかな?」
真っ先に思い浮かんだのが、水商売やそれこそ風俗系だったが、さすがに抵抗があった。

そんな中、休日の買い物で、渋谷のスクランブル交差点で信号を待っていたら、目の前に一組のカップルが目についた。
40代のさえない男性と、20代のかなり美人の女性が手をつないでいた。
「ん? 何か不自然だな。今どき援助交際じゃないよね?」
心の中で詮索していたら、会話が聞こえてきた。

「リナちゃんがレンタル彼女じゃなくて、本当の彼女だったら、すごく幸せなんだけどなぁ」
「なーに、言ってんのぉ、デートを楽しまなきゃねぇ」

「え?? レンタル彼女?」
そんな言葉を初めて聞いた。
後でネットで検索してみたら、確かにそういうサービスのサイトがいくつか出てきた。
男性がネットで気に入った女性を選んで、払う料金に応じた時間だけ、一緒にデートできるサービスらしい。大体1時間5,000円からで、2時間以上のデートで受け付けるらしい。

そのネットの隅っこに「レンタル彼女の求人募集中」という言葉が目についた。
私は思わずクリックしてみた。
「お客様と一緒に楽しい時間を過ごして、夢を与える仕事です」というキャッチコピーに惹かれた。
さすがに男性と手をつないだり、腕を組んだりしなければならないが、それ以上は求められないらしい。
メール等の連絡先の交換も禁止で、仕事以外ではお客さんと関係をもつ必要もない。
時給も「2,000円〜5,000円、実績により昇給あり」と書いてあって、うまくいけば、かなり稼げるようだ。

「うーん、仕事とはいえ、見ず知らずの男性と一緒の時間を過ごすのって苦痛だなぁ」
元々保守的な性格で、最初はさすがに拒否反応があった。

ただ、現実を見ると、母の手術代を払い、かつ入院費もかさんで、貯金が底をつきつつあった。
「背に腹は変えられない。お金をもらいながら、男性の心理を学べると思えば、何とかやれるかも……」
私はやむにやまれぬ気持ちで、レンタル彼女の求人に応募したのだった。


「あなたは、見た目や雰囲気からして、癒し系の妹キャラで、お客さんがかなりつきそうですね」
面接担当者からそう言われたが、私はいわば童顔で、短大を卒業して1年経った今でも、制服を着たら高校生に見られる自信があった。

即日採用され、プロフィールでは「清楚でピュアな妹系」をアピールすることにした。
プロフィール写真を撮影した時は、衣装も用意してくれて、モデルのような心境だった。
そして、仕事上の名前を「山北ミユ」に決定し、平日の夜または土日限定の「レンタル彼女」として働くことになった。


「山北ミユ」は、最初からそれなりの指名があった。
お客さんは30代から40代の男性がメインで、女性と付き合ったことのない、または女性との接し方がわからない層がほとんどだった。

私自身がかなりの人見知りで、だからこそ最初はレンタル彼女の仕事をためらったのだが、その懸念は無用であることがわかった。

仕事を始める前に、お客さんとの接し方やマナーに関する研修があったのだが、
「会話はキャッチボール。お客さんに質問をして、話を引き出し、盛り上げ役に徹しなさい」との指導があった。
それを実践してみると、お客さんは気兼ねなく話してくれた。

お客さんにとって、私は臆することなく自然体で接することができる女性と思われているようだった。
「ミユちゃんといると、一緒にいるだけで心地いいんだよね」とお客さんから言われたこともある。

デートコースについては、会う前から何度かメールのやりとりをして決める。
行き先も色々で、典型的なデートコースである映画館や遊園地、水族館、テーマパークとかを廻った後に、一緒に食事をしてから、別れるというパターンが多かった。

会社の仕事や、母の見舞いの合間を縫って、レンタル彼女の仕事をしていたが、徐々に「山北ミユ」の認知度もアップし、リピーターも少しずつ増えてきた。

しかし、仕事に勢いづいてきた矢先、まさかという出来事が起きた。

ある日曜の午後に指名があり、新宿のアルタ前で待ち合わせることとなった。
仕事では、いつも約束の時間の15分前には現地に到着するようにしていた。
今回のお客さんは40代後半の薄毛が目立ち始めた人だった。

そのお客さんと会って、挨拶をして、手をつなぎながら歩いて数歩もしないうちに、ふと声をかけられた。

「あれ!? もしかして、サナエじゃないの!?」
私の前に現れたのは、短大時代の親友の2人だった。

や、やばっ……
見られたくないものを、見られてしまった。

「い、いえ、人違いじゃないでしょうか……」と何とかごまかそうとしたが、無駄だった。
「何言ってんの!? アンタの声とか、右目の下のホクロとか、紛れもなくサナエでしょ!
こんなところで何やってんの!? 横にいるのは……」

思わず恥ずかしさがこみ上げてきて、何も言わず、お客さんから手を離して、その場から逃げ出してしまった。
頭の中がパニックになってしまい、ひたすら走った。
気がつけば、見知らぬ通りに来てしまっていた。

「あぁ、お客さんを置いてきぼりにしてしまった……」
どうすればよいか迷っていたら、事務所からの電話があった。
どうやら、さっきのお客さんからのクレームが事務所宛にあったようだ。
「会っていきなり、お客さんから逃げ出したそうだね。何やってんの」

その後、事務所から厳重注意を受け、お金はお客さんに返金されることとなった。
それからというものの、レンタル彼女という仕事に対する疑問が湧くようになった。

母や友達にも言えないこの仕事に、心から誇りを持てないでいた。
私は、かつてないほど自己嫌悪におちいっていた。

しかし、現実的に家計が厳しい状況で、レンタル彼女を簡単にやめるわけにはいかなかった。
それから気持ちを新たにして、サービス精神をより強く持って、仕事に取り組むことにした。
お客さんにそれが伝わったのか、以前より「楽しかったよ、ありがとう」と言われる回数が増えるようになった。

そんな中、一生忘れ得ないお客さんと巡り会うこととなった。


そのお客さんは30代半ばのテツヤという人で、第一印象としては誠実な人柄を感じさせた。
その男性と待ち合わせると、私を見るなり、大きく目を見開いた表情をして、しばらく私から目を離さなかった。

「やはり、ネットで見た写真の通りの方でしたね」
あまりに真剣な目で見つめられて、そう言われたので、思わずドキッとしてしまった。

「あ、はい、それはほめ言葉としてとらえていいですか?」
「もちろんです。さ、デートしましょう」
テツヤから手を握ってきて、無邪気な笑顔を向けられた。
ただ、どこか憂いがあるようにも見えた。
そんな深みのある笑顔に、またドキッとしてしまった。

デートコースはテツヤが全部決めていた。
ある私鉄電車に乗って、埼玉県にほぼ近い、東京の隅っこのある駅で降りた。
駅から降りて、すぐ近くのチェーンのファミレスに一緒に入った。

「ここまで来て普通のファミレス!?」と疑問に思っていると、テツヤが話しかけてきた。
「さ、好きなものを注文してくださいね」
特に理由も言わず、例の無邪気な笑顔を向けてきた。

私としては、希望通りのデートコースで、楽しい時間を過ごしてもらえればそれでよかったので、詮索をすることなく、楽しい会話をすることに徹した。
私も色々質問しながら、それにテツヤが答えるかたちで、会話が途切れることなく続いた。
気がつけば、あっという間に、当初の指定の2時間が過ぎようとしていた。

「ミユさん、本当に楽しい時間をありがとうございました」
最後にまた例の無邪気な笑顔で、ハグをしながら別れた。
「今までのお客さんの中で、一番ドキッとした笑顔だったな」
私は、ちょっとした名残惜しさを感じた。


それから、1ヶ月後に、またテツヤから指名があった。今度も2時間の指定だった。
今回のコースは、横浜のみなとみらいの海沿いの公園を一緒に散歩して、公園内のお店でクレープを買って、一緒に食べるというものだった。

テツヤと待ち合わせると、1ヶ月ぶりの例の無邪気な笑顔を向けてきた。
「ミユさん、お久しぶりです。前回楽しかったので、また指名しちゃいました」
「テツヤさん、再度のご指名ありがとうございます。またお会いできてうれしいです」
「あは、うれしいなぁ。それじゃ、公園内を散歩しましょう」
テツヤから私の手をとってくれて、公園デートが始まった。

前回のデートでも感じたが、テツヤは明るく振舞っているものの、どこか憂いのある雰囲気があった。
そして、今回は口数が少なかった。
しかし、テツヤと手をつなぎながら、海沿いの涼風を感じて散歩していると、特に会話がなくても、不思議と心が満たされる想いがした。

「何か、本当の恋人同士みたい……」
年齢が10歳以上離れている男性に、こんなにドキドキしたのは初めてだった。

しばらく歩くと、目の前に小さなクレープ屋が見えてきた。
「ミユさん、何がいいですか?」
「あ、そしたら、いちご生クリームがいいです」

クレープを注文した後に、海がきれいに見えるベンチに座って一緒に食べることにした。
一緒にクレームを食べながら、しばらくとりとめのない会話をした後に、テツヤは海のはるか遠くを見つめたまま、急に無言になってしまった。
テツヤを横から眺めたが、憂いを帯びた意味ありげな表情をしていた。

「何かあったのかな!?」と心の中で思ったものの、あえて深くは聞かないことにした。
そして、私も海の方をしばらく眺めることにした。

やがて、テツヤは口を開いた。
「ミユさん……」
テツヤの方を見ると、なぜかテツヤは涙を流していた。
「テツヤさん、どうかしましたか!?」
「いえ、ごめんなさい。急に泣いてしまって……」

それから、テツヤは立ち上がった。
「そろそろ駅に戻らないといけないですよね」

それから最寄りの駅まで一緒に歩き、そこで別れることになった。
テツヤから、じっと見つめられた。
どこか、もの悲しげな目だった。
なぜか私の中に「このまま別れたくない……」という気持ちが芽生えてしまった。

「ミユさん、今日は思い出深いデートをありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました。テツヤさん、また、会えますよ、ね?」
テツヤは一瞬ためらった表情をしたが、今度はハグもせず、「それでは」と言って去っていった。
そして、それがテツヤを見た最後でもあった。


それから、3ヶ月が過ぎた。
忙しい日常に追われ、不思議な想いを感じたテツヤのことなど、すっかり忘れてしまっていた。

そんなある日、レンタル彼女の仕事が終わり、事務所に寄った際に、
「そういや、あなた宛の手紙が事務所に届いていたよ」と言われ、その封筒を受け取った。
封筒の裏の差出人の欄に「山田テツヤ」と書いてあったが、住所の記載はなかった。

「あっ、あのテツヤさんかな?」
テツヤの無邪気な笑顔にドキドキした想いが、急によみがえってきた。
自宅に帰って読んでみると、手紙にはこう書いてあった。


「ミユさん、あなたとのデートは一生忘れられないものとなりました。
実は、あなたは、学生時代に出会った頃の僕の妻と瓜二つでした。

ただ、僕は半年前に病気で突然妻を亡くしました。
心から愛した人を失い、ただ絶望しかありませんでした。
会社に休職届けを出し、ずっと自宅にこもりっきりでした。

そんな中、たまたまレンタル彼女というサービスを知り、興味本位でネットを見ていたら、あなたを発見したのです。
ネットの写真であなたを見た時、出会った頃の妻がそこにいるのかと本気で思いました。

実際に出会ったあなたは、表情も、しぐさも、本当に妻にそっくりでした。
最初のデートに行ったファミレスは、当時妻が住んでいたアパートの最寄駅で、20歳の頃、初めて妻と食事をした場所だったのです。

また、2回目のデートの横浜の公園で、一緒にクレープを食べたベンチは、そこでプロポーズをした場所でもありました。

あなたは、変な詮索をせず、僕と自然体に接してくださいました。
おそらく、1回目のデートで「なぜ、こんなところに来たのだろう?」と変に思われたかもしれません。
しかし、あなたは特に理由を聞くことなく、楽しい会話をしようと心がけてくださいましたよね? そんなあなたの思いやりが、とても伝わってきました。

2回目のデートもそうでした。
クレープを食べた後に、無言で海を見つめていても、あなたは何も言わず、ただあたたかく見守ってくださいました。

そんなあなたとのデートで、妻との思い出を回想していたら、妻が亡くなってからの僕の生き様が急に恥ずかしく思えてしまいました。

いつまでも希望を失って生きているわけにはいかない。
こんな生き方をしていたら、妻にも合わせる顔がない。
また、新たな生き方をしていこうと思いました。

それから、会社に復帰し、以前にも増して意欲的に働けるようになりました。
きっと、天国にいる妻もあたたかく見守ってくれていると思います。

これも、あなたとのデートがあったからこそ、このような想いになれました。
本当に感謝してもしきれません。ありがとうございました」


それから数日後、仕事帰りに、母の見舞いで病院に寄った。
「サナエ、いつもお見舞いに来てくれて、ありがとうね」
以前と比べ、母の容態は回復してきているようだ。

「アンタ、仕事ちゃんとやれてる? まだこれからなんだから、しっかりしなさいよ」
「はいはい、わかってるわよ」
「でも、アンタ、前よりキレイになった気がする。目にも自信があふれてるし、もしかして彼氏でもできた?」
「何言ってんのよぉ、全然出会いなんてないんだからぁ」と茶化してみせた。

それは、自分の仕事に誇りを持てるようになって、顔にあらわれているからかな……

本業の他に、レンタル彼女の仕事をしていることは、いまだに母に内緒だ。
でも、自信を持って言えることがある。

お母さん、かつてこう言ってくれたよね?
「どんな仕事でもいい。あなたにしかできないことをしなさい。そして、あなたを本当に必要としている人のために尽くすのよ」

まさしく、今、そんな仕事をしてるんだからね……

私は、これからも「山北ミユ」として、自分を指名してくれた人のために、自分にしかできない仕事を全うするのだ。

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