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わたしは古文漢文を無駄にした

先日、SNSで「古文や漢文は大人になっても使わないから、学校で勉強するのは無駄」といったニュアンスの投稿を見かけました。
このような、「学校で○○を勉強するのは無駄」という話題を見かける度にいつも思うことがあります。

「勉強することが無駄」ではなく、
「勉強したことを無駄にしている」のではないか。

古文漢文に限ったことではありません。
サインコサイン、微分積分、日本史、世界史など、挙げ始めるとキリがありません。

可能性が無限大にある子供に、さまざまな学問に広く浅く触れさせるには、学校という施設は非常に効率的だと思います。
そして、勉強したそれらを無駄に する / しない もひとそれぞれです。
ちなみに、わたしは、古文漢文を始めとし、日本史、世界史、地理などの文系科目を無駄にしています。
仮に、勉強したことすべてを無駄にしていても、おそらく問題ないでしょう。
学校の勉強していることが、すべてではないのだから。


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