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小説「会いたい喋りたい捕食したい」

毎朝同じように鏡の前で顔を洗い、口に水を含んでぶくぶくと液体を流動させて吐き出し、歯を磨きながら眠気を覚ます。
もう何も考えなくても出来てしまうルーティーンだけど、本当に必要なのかと問われれば「いや、まぁ、いるんじゃね?」くらいにしか返事が出来ないくらい、別にこのタイミングじゃなくてもなとも思う。
別に飯を食ってからでもいいし、先にうんことか済ませてもいいし、顔を洗うくらい1回くらいパスしたって死にはしない。歯はちゃんとなるべく丁寧に磨いたほうがいいけれども。

口の中でシャコシャコと歯を磨く音が響く。
めんどくさい、しかし歯だけは磨いておかねばならないのだ。
シャコシャコシャコシャコ。
健康のため? もちろんそうだ。健康は大事だ。健康を軽んじる奴は死んでしまえばいい。
シャコシャコシャコシャコ。
身だしなみ? もちろんそれもある。口の臭い女など誰が好き好むものか、女に限らず男も老人も子どももそうだ。
ガラガラガラガラガラガラガラガラ。
じゃあ礼儀? そう、これは礼儀の話だ。介錯人が首を落とす前に刃を研ぐように、死刑執行人が囚人に最後の晩餐を食べさせるように、私は礼儀として歯を磨く。
ッペェーイ!
口の中いっぱいに溜まった汚れを、水で濯いで吐いて捨てる。

さあ、今日も仕事だ。
顔を洗ったら仕事用のスウェットの上下に着替えて、腰に短剣とやや大振りの鋏を提げて、滑り止めのついた革手を嵌める。
私の仕事はカテゴライズするなら座り仕事の接客業だ。1日12時間の座っているだけの簡単なお仕事、でも場合によっては命を落としかねない危険なお仕事。
ついでに言うと快適とは程遠い、暗くてじめっとした迷路のような場所にあり、おまけに狭くて暗い、幅は両手を開いて余るくらいの、奥行きは片手を伸ばせば十分な、高さは蓋も合わせて身の丈の半分ほどの箱の中。これが職場。どこかの国ではきっと刑罰かなにかだ。
「先輩、交代の時間ですよー」
幾つか並んだ、これ見よがしなわざとらしい宝箱の中の、他とは微妙に、目を凝らし観察し続けてようやく判別できる程度の微細な違いのある箱の側面を蹴って、中にいる夜勤明けの単純作業労働者に声を掛けた。
この箱を蹴るというのは大事な作業で、なんせ箱の中からは外がほとんど見えないから、開けようとする者が敵なのか味方なのかわからない。だから敵じゃないですよー襲わないでくださいねーと予め伝えておく必要があるのだ。
「先輩、鍵開けますね」
宝箱の外側にあるロック部分、正式にはパチン錠と呼ばれる鍵をその名の通りパチンパチンと解錠して、あとは自由意思で内側から開けて出てきてもらう。

「おーう、おつかれさまー」
「おつかれでーす……うわ、くっさ!」
箱の蓋が開いて、ゆっくりと小汚いおっさんが出てくる。職場の先輩を小汚いと称したくはないけれど、杜撰に伸びた髪は汗と脂でべったりと額に貼りついて、無精髭は胡麻塩というよりはヒジキのようで、痩せた体には大量の汗を含んだ毛玉だらけの服が纏わりついている。
そして箱の中から臭ってくる、鼻を突くようなアンモニアのにおい。
最悪だ、このおっさん、やりやがったな。
「ミミッキュ先輩、箱の中でおしっこしたでしょ。勘弁してくださいよ」
「だってよぉ、どうしても我慢できなくてよぉ」
ミミッキュ先輩こと小汚い小便ジジイは、両手に握った杖を器用に動かしながら箱から這い出て、膝から下の欠けた両足を動かしながら湿った股座を上下に振るった。

彼はいわゆる傷痍軍人だ。元々は前線で兵士を率いて戦う武勇名高き将軍だったらしいけど、人間との戦いで両足を失って無職になり、なにもしてない奴に食わせる飯はねえと妻子に追い立てられて、負傷者でも出来るこの仕事を選んだ。
私たちはミミクリー、宝箱の中に潜んで人間を襲う仕事に就いている。
「まぁ、これも職業病ってやつだな」
「お漏らしを職業病って言ったら、閉所恐怖症の方にボロカスに蔑まれますよ」
「そいつはそうだなぁ。今度からおむつ持参で仕事しねえとなぁ」
ミミッキュ先輩はバツが悪そうに髪の毛をガシガシと掻いて、反省してるのかしてないのか指先で鼻を拭って、服に擦り付けた。
まったくもう、デリカシーのない男だ。
「デリカシー死んだんすか?」
「俺に残ってるのはドラゴン様への忠誠心くらいだよ」

この世界はドラゴン様という、簡単にいえば超絶強くて決して怒らせてはいけない動く領土のような巨大生物を頂点に、その下に神とか魔王とか怪獣とか幻獣とか呼ばれる存在がいて、その更に下では、人間とかエルフとかドワーフとかゴブリンとかモンスターとか家畜とか虫けらといった多種多様な種族が有象無象に暮している。
生き物というのは基本的に馬鹿なので、天辺が同じなだけでは仲良く出来ない。私たちドラゴンを崇拝する側は、人間という共通の敵がいてくれることで、辛うじて仲良く上手いことやってみせている。
だから人間対ドラゴン崇拝者の戦争は終わらせてはいけないのだ。
人間と長くだらだらと争い続けることが、唯一絶対の協調への道なのだ。
かといって人間に好き勝手にされ過ぎても、それはそれで種族間の面子とかパワーバランスの問題が発生するので、人間を適度に戦意を失わせない程度に撃退したり進攻させたり、たまに飴をあげたり、本気で鞭でしばいたりしなければならないのだ。
本気パンチ、デコピン、飴ちゃん、鞭、そんな感じの手加減が肝要なわけだ。
なんせ天辺に君臨する生き物は、誇り高くも自由気ままで傲慢不遜、虫の居所が悪ければ地形を変えてしまうような大災害を巻き起こしてしまうドラゴン様。かの方々の前で、人間の身を弁えない振る舞いや底辺の者同士の争いのような、醜悪な目の毒を起こすわけにはいかない。それこそ世界の終わり、私たちみたいなものは地上から跡形もなく一掃されてしまうだろう。

そういう経緯もあって私たちミミクリーは、人間たちが奥深くまで積極的に進攻してくれるように、わざとらしく洞窟やダンジョンや獣道の途中なんかに配置した宝箱に精巧に似せて作った箱に潜んで、そこそこに腕のある人間の侵略者を誘き寄せて始末する仕事に従事している。
正直、消極的で地味で卑怯と後ろ指をさされるクソみたいな仕事だけど、ミミクリーは表を歩けないような屑以下の犯罪者や負傷した戦士の最後の就職先だ。文句を言えるような贅沢者も、俺はもっと出来るんだと逆上せあがる自信家もいない。すいませんねえ、仕事用意してもらって、ぐへへへ、そんな心境で毎日を健やかに、死んだ魚のような目で働いている。
働かざるもの食うべからず、その餌が生気と鋭気たっぷりの元気で健康な人間であれば尚のこと良しだ。

「箱がもうちょっとでかくて、内側から開け閉め自由で、ついでに便所と風呂が付いててくれたら文句ねぇんだけどなぁ」
「それ、もう普通の家じゃないですか、贅沢言ってんじぇねえですよ。じゃ、戸締りよろしくでーす」
「戸締りなんつうと、なおさら家みたいだなぁ」
「極狭クソ物件・オブ・ザ・イヤー、毎年受賞決定じゃないですか」

私は私で全自動清掃機能とかついててくれないかなあ等と思いながら軽口を叩き、箱の中をささっと水洗いして、多少マシになった臭いと一緒に箱詰めされて、外から鍵を掛けてもらって仕事を始めたのだった。


△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼


ひたすら暗くて狭い箱の中で、じっと得物が箱を開けてくれるのを待ち続ける。
仕留め方はそれぞれの流儀に任せていて、例えばミミッキュ先輩は割と一般的なミミクリーの戦法、開けた瞬間に至近距離からの散弾銃でズドンだ。手斧をぶん投げる奴もいるし、毒霧を吹きかける奴もいれば、相手を眠らせたり麻痺させたりする魔法を掛ける奴もいる。割合的に直接攻撃より搦手や関節攻撃を選ぶ奴が多いのは、こっちも箱の中に入っているせいで動きづらいのと、相手の体勢や位置がわからず出たとこ勝負になりがちだからだ。
余程の自信がない限りは銃や手斧を選ぶわけだけど、私は余程の自信がある方なので、即座に手を伸ばして耳や眼窩や髪の毛を掴んで引っ張り込み、関節や骨を折りながら一人と半分しか体積のない箱の中に詰め込む。人間は意外とコンパクトに折り畳めて、血や臓腑を抜かなくとも3分の1くらいまでは体積を減らせる。その箱詰めの上手さから、私はいつしか本名でも犯罪者でも受刑者Aとかでもなく、収納名人という名誉なんだか不名誉なんだかわからない異名で呼ばれている。もう少し恰好のいい自慢しがいのある名前はなかったのか。

「いや、あるわけないんだけど。賤業だし」

職業に貴賤なしとは言うけれど、職業に貴賤はあるし、宝箱に隠れて襲い掛かるのは賤中の賤、賤しい職業ダントツでナンバーワン、そういうものなのだ。だからそれこそ勇者や英雄、人間側の秘密兵器、人の皮を被った人外、そういう類の者を倒さない限りは褒められることはない。別に貶される筋合いもないけど。
かといって、そんな強敵を倒したいわけでもない。自分で言うのもなんだけど、犯罪者なんて法を犯してでも楽して生きてやろうって根本の部分が腐った生き物なのだから、あまり労働意欲を期待されても困る。
だけど私はクソみたいな生き物だから、ほんのりと期待している。

(出来れば私好みのどちゃくそかわいい女の子とかが開けてくれっ……!)

箱の中で膝を抱えた姿勢で座ったまま、両手をぎゅっと握りしめて今日も祈る。
私たちミミクリーの箱には、開けた者に一目惚れに近い好意を抱く呪いが掛けられていて、その好意は相手を食べることでしか満たされない。だから箱を開けられたミミクリーは、絶対に逃がさないように執拗に粘り強く、仮に相手の方が数段強くても襲い掛かるように造られている。
これは罠を知られない為であり、怠け者共を働かせる為でもあり、同時に罪悪感を和らげる為でもある。
食事の為と割り切ったら、昨日まで飼っていた鶏でも美味しく食べれるのと一緒だ。

「宝箱があるな」
「念のため鑑定呪文を使います。勇者様は離れていてください」

おい、待て。勇者なんか来なくていいんだよ。おまけに鑑定呪文だと、ミミクリーの天敵じゃないか。
頼むから鑑定失敗してくれと祈る。私たちミミクリーは自ら鍵を開けられない。罠だと知られてしまったら、外側から火を掛けられたり、蓋ごと叩き壊されたり、鎖で雁字搦めに括られて水の中に沈められたり、何をされるかわかったもんじゃない。私たちミミクリーはその卑怯な戦法ゆえに味方からも蔑まれるだけでなく、人間からは蛇蝎よりも嫌われているせいで、死ぬ時はいつだって惨たらしい。
つい先日も同僚のボックス君が、狼の毛皮を被った頭のおかしい狂戦士に、箱ごと槍で貫かれた上に、そのまま崖下に蹴り落されてバラバラの肉片にされたと聞いた。そんな死に方だけは嫌だ。

(やばい、やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい……!)

箱の中で膝を抱えた姿勢で座ったまま、両手をぎゅっと握りしめて今日も祈る。
頼むから失敗してくれ。もしくは罠と知られてもいいから、このまま放置してくれ。
ガタガタと身を震わせながら祈り続ける。神も悪魔もドラゴンも、こんな時に都合よく助けてくれない。誰か助けて、もう悪いことはしません、とは約束できないから、精一杯頑張って明日明後日くらいは心を入れ替えて過ごしますから。
「……罠はないみたいですね。勇者様、邪魔になるので剣と盾は預かっておきます」
「ああ、よろしく頼むよ」
パチンパチンと箱が解錠される音が響く。
ギィッと木の軋む音を立てながら蓋が開く。
わけがわからないままに箱が開き、思考が纏まらないままに私は手を伸ばし、箱のすぐ前に片膝を付いていた男の右耳と左の眼窩をしっかりと掴み、欲望のままに箱の中へと引き摺り込んで、関節を外したり折ったりしながらベキリベキリと畳み掛けて、無防備なまま飲み込まれたひとりの人間だった肉塊に齧りつく。
がじゅっ。呪いの掛かった私には、見ず知らずの本来なんの琴線にも触れない好みですらない男の肉が、こんなにも美味しく愛おしい。零れ落ちる血の一滴まで啜ってしまいたい程に濃厚で豊潤で、思わず口だけでなく、下半身に収まった捕食器官も牙を剥き出しにして齧りつく。
ああ、こんなもの美味しく召し上がてしまう呪いって、本当に憎たらしいなあ。

もにゅもにゅと何度か咀嚼して飲み込み、ぶはーっと大きな息を吐き出すと、箱から十数歩も離れた位置でニヤニヤと笑みを浮かべる女がひとり。おそらく鑑定呪文を使って勇者とやらに嘘を吐いた女で、人間の年齢は正確にはわからないけど多分私よりは幾らか年上で、透き通るような白い肌とオレンジ色の綺麗な瞳をしていて、髪は細く艶やかな金色で、胸と尻は大きめで腰はしっかりと括れている。冒険者風の格好をしているが、ドレスにでも着替えたらどこの王侯貴族の令嬢だと見紛うような圧倒的なポテンシャルを秘めているのが、泥や雨で汚れた姿からも滲み出ている。きっとこの女を通して流れる雨は、その辺の酒よりも旨いに違いない。
要するにどちゃくそに美人な、私の好みの正中線をドン突きで射貫くために生まれてきたような外見だ。
どうせならこっちに開けて欲しかったなーと額に手を当てながら項垂れる。なんで私に食べられるのがこっちじゃないんだよ、どう考えてもこっちでしょうよ、美味しそうなジューシーなステーキと、なんかその辺の草を千切って煮ただけの汁とだったら、誰だってステーキが食べたいでしょうよ。
私はまったくもうと頭を左右に振りながら箱から出て、手についた野郎の血を振り払って、目の前のどちゃくそ好みの美人の傍に吸い込まれるように近づいてみる。
近くで見ると顔面レベルやばいな、王宮宝物庫に展示決定か? 種族的な見てくれの良さはエルフか妖精だと相場で決まっているが、この顔を出したら市場が崩壊してしまうだろうな。相場師がごめんなさいつって首括るレベルだわ。

「ねえ、あなた」
「はい、結婚しましょう」
「……そんなこと言ってないんだけど?」

なにを言ってるんだ、このどちゃくそ美人は。もう会話したんだから、実質結婚と同じだろうが。なに言ってるかわからない? 私だってわからないに決まってるだろ。

「私と取引しない?」

うん? それは婚姻込みと考えてもよろしいかしら?


▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △


口の中でシャコシャコと歯を磨く音が響く。
今日は労働意欲が爆上がりの日なので、いつもより念入りに歯を磨く。それはもうピッカピカに、いやむしろペッカペカに、いつもより力強く噛めるように、鋭く噛み千切れるように。
シャコシャコシャコシャコ。
私は人間の美女のお姉さんと契約を結んだ。
シャコシャコシャコシャコ。
どうやら思考回路というものは、ドラゴン崇拝者も人間も同じようなものらしい。
シャコシャコシャコシャコ。
要するにマッチポンプというやつだ。人間も見栄と権威を維持するための争いに終止符を打たないように、かといって志願者が途切れないように適度に進攻しつつ、ある程度のところで敵を本気にさせないように有望株をわざと戦死させて、いざ弔い合戦だと士気を高めつつも前線を後退させるという自爆作戦をやってのけているのだ。
ガラガラガラガラガラガラガラガラ。
でも、そんな人間の事情とか超どうでもいい。私は定期的に送られてくる人間の勇者や英雄を捕食して、その報酬としてお姉さんとの時間を過ごす。これはもはや逢瀬と言っても過言ではないし、人間社会でいうところの結婚というのはこういうものではなかろうか、いやきっとそうに違いない。
ッペェーイ!
口の中いっぱいに溜まった汚れを、水で濯いで吐いて捨てて、希望に満ち満ちた朝を迎えるのだ。

「へい、先輩! 交代交代!」
箱をげしげしと蹴って、中にいるミミッキュ先輩にさっさと出るように交代を促す。パチンパチンと鍵を解錠して、うっかりそのまま開けてしまわないように慎重に、でも逸る気持ちを抑えきれずに小躍りなんかしてみたりする。
「おつかれー、おめーは最近妙に元気だなぁ」
「いやー、どうせ働くなら楽しんだ方がいいじゃないですか」
もちろん嘘だ。仕事なんか大嫌いだ、でも過分なご褒美があると嫌いなことだって我慢できるのだ。
「ほらほら、今日も頑張りますよ。じゃあ、戸締りよろしくです」
ミミッキュ先輩を箱の外へと追い出して、そのままスポーンと箱の中に飛び込み、両手で膝を抱えて背中を丸める。
「いや、楽しむのはいいけどよぉ、油断だけはするんじゃねぇぞ」
「りょーかいでーす」
蓋が締まる。ミミッキュ先輩の溜め息が聞こえたような気もするけれど、今の私にはどうでもいい。重要なのは人間のお姉さんと過ごす時間だけだ。
きっとそういうのが、幸せの形というやつに違いない。

箱の中で幸せな時間を回想して暇を潰す。
あれから何度か勇者という餌を罠に嵌めたけど、いちいち顔も覚えちゃいない。むしろお姉さんが普段どんなものを食べてて、どんな生活をしてるのか話したりする方が重要で、そりゃあ私も妻ですから、後々にはそういう行為にも及ぶに違いないけど、今は食べるよりも話す方が楽しいのだ。食欲は餌の方で解消してるからっていうのもあるけど。
それにしてもあんなに退屈で陰鬱だった箱の中での時間が、待ってる間も楽しく過ごせるなんて、あれだな、どいつもこいつも恋とかした方がいいなって思う。

「やったー、宝箱がある!」
「念のため鑑定呪文を使いますね」
「いやー、別にいいけどねー、魔力勿体ない」
「まあまあ、念のためですよ。この辺りは罠も多いですし」

箱の外からお姉さんの声と、もうひとり頭の緩そうな女の声が聞こえる。
おいおい、お姉さん、女を連れてくるのは浮気なんじゃないかね? それとも複数人で楽しむ趣味でもあるのかい? あいにく私はそういう趣味はないんだけど。
などと若干の嫉妬心を芽生えさせつつ、いつものように鑑定呪文を使って、はい大丈夫ですよ開けちゃってくださいの流れを待ちわびていると、
「大丈夫ですね、ただの宝箱みたいです」
「じゃあ、そのまま開けといて。私は敵の襲撃に備えるから」
「え? 私はいいですよ、どうぞどうぞ」
なにやら外でどっちが箱を開けるか揉めているようだ。めんどくさいなあ、とっとと開ければいいんだよ、お姉さんを困らせるんじゃない、馬鹿女が。

しかし困ったことになった。
箱の中からは外がほとんど見えないから、開けるのがお姉さんか連れの女かわからない。私としてはお姉さんを食べるのはやぶさかではないけれど、でもそれは本当に最後の最後のとっておきにしたいのだ。だってその後の生活がずっと空虚で退屈なものになってしまうから。
私の恋はこんな早く終わらせたくない。もっと長く、出来れば年老いるくらいまで続けたい。
箱の中で膝を抱えた姿勢で座ったまま、両手をぎゅっと握りしめて祈る。頼むからお姉さんが開けないでくれって。
「仕方ないですね。じゃあ、私が開けますから」
お姉さんが小声で箱の中に向けて囁く。

私を食べないでよ、と……。

「無茶言うな! 開けた者を食べるようになってんだから!」
思わず箱の外に向けて大声を上げてしまう。もしかしたら私は箱に閉じ込められたまま攻撃されるかもしれない、だけどお姉さんを食べるのは嫌なのだ。まだ別れたくないのだ。他のミミクリーたちにはわからないかしれないけど。うるさい、私にだってわからない、でも叫ばずにはいられなかったのだ。
「へー、やっぱり罠だったんだー。おかしいと思ったんだよね、生き物の気配はしてたから」
連れの女の声が聞こえた、と思ったその瞬間、箱の外から馬鹿みたいに強烈な圧力が加わる。箱はメキメキッと悲鳴のような音を立てて、中にいる私ごと一瞬宙に浮いて、そのまま猛烈な速さで壁へと衝突した。
側面を蹴られたのだ、それも恐ろしく強烈な力で。
箱の中が鉄錆びくさい血で染まる、ぶつかった時に頭を切ってしまったみたい。でもそんな威力が功を奏したのか、鍵が壊れてくれて蓋が内側から開く。
「私とお姉さんの邪魔するな!」
蓋を蹴り開けて外へと飛び出した私の視界に、箱ごと蹴飛ばされて昏倒しているお姉さんと、蹴飛ばした張本人の狼の毛皮を被った女が拳を振り上げる姿が映った。



「……首から上が無くなったかと思った」

頭が痛む。頭蓋骨がズレたのか、どこかしら壊れたのか、ぐわんぐわんと頭の中で音が奇妙に回り続ける。
まだぼんやりとした視界の端には蹴り壊された箱が転がっていて、私の目の前にはミミッキュ先輩を先頭に、他のミミクリーたちが呆れたような顔を並べている。
「だから油断するなって言っただろぉ。この辺まで来るような人間は、どいつもこいつも手練れだからよぉ」
お姉さんと狼の毛皮を被った頭のおかしい狂戦士は姿を消していて、あの後でなにがあったのか全く覚えてないけど、どうやらその手練れとやらは命だけは見逃してくれたらしい。
私が罠だとばらすような無様な姿を晒したからか、それともお姉さんが庇ってくれたのか、単にそういう気分じゃなかったのかわからないけど。

「とりあえずしばらく休みだな」
「俺たちも休んじまおうぜ」
「仕事めんどくせえもんな」

さすが元犯罪者たち、労働意欲が低くて助かる。私も療養という言い訳をしながらのんびり休んでも、なんの負い目も感じずに済む。
ただまあ、お姉さんにしばらく、もしかしたら永久に会えないかもしれないのは、涙が出そうなくらい寂しいけれど。


△ △ △ △ △ △ △ △


口の中でシャコシャコと歯を磨く音が響く。
めんどくさい、しかし歯だけは磨いておかねばならないのだ。
シャコシャコシャコシャコ。
結局私はあれからお姉さんとは再会できてないし、狼毛皮の女を倒したという話も聞こえてこない。
シャコシャコシャコシャコ。
怪我はすっかり治ったけど、今はあまり箱に入る気分にならないので、まだ修理に出していない。
シャコシャコシャコシャコ。
だったら、なんで歯を磨いてるかって?
「ほんあおひんみぇんのまひみひうからみひみゃっへうあみゃいへふか」
「えぇ? なんだって?」
同じく箱が無くて暇をしているミミッキュ先輩が、めんどくさそうに地べたに寝転がったまま問いかけてくる。
暇だからって朝っぱらから私の家に来るんじゃない、デリカシー死んどんのか?
ガラガラガラガラガラガラガラガラ。
ちょっと待ってろ。もうすぐ歯磨き終えるから。
ッペェーイ!
口の中いっぱいに溜まった汚れを、水で濯いで吐き捨てて、それと同時にさっきの質問にも答える。

「そんなの人間の町に行くからに決まってるじゃないですか」

お姉さんが来ないのなら、私から会いにいけばいいのだ。
待つのはもう飽きた。私は箱から出て動こうと決めたのだ。


(おしまい、でも恋はなかなか終わらない)


▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢


へい、まいど! デッポコちゃんです!
これは恋のお話です。多分そうです、だってそのつもりで書いたんだもん!

というわけで、ミミックと人間の恋愛書きたいなーと思って書いたら、なんかこんな感じになりました。
いや、うん、まあ、なんいうか世の中には見さない傑作より見せる駄作、なんて言葉もありますし。いや、駄作とは欠片も思ってないけど、なんか思ってたんと違う感はあるなあと思ってたり、若干。

世界観はちょっと今筆が止まってるモグリール治療院と共通している部分があり、ありというか外伝的な番外編っぽい感じのお話ですね。
そんなわけでゲストでヤミーちゃんも出てます。敵視点で見たヤミーちゃん怖いですね。