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小説「彼女は狼の腹を撫でる~第10話・少女とババアと振り返り~」

動物園は控えめに言っても天国だ。
飼育されている動物はどれもこれもかわいい、働いている飼育員はみんな親切、訪れている家族連れは笑顔で溢れている。
足を踏み入れたその瞬間から幸せな気持ちになり、帰る頃にはいつも胸の奥で寂しさを覚えてしまう。そんな冬の布団の中のような、夏の緩やかな川のような、或いはそれ以上の喜びと別れ難さがあるのが動物園という場所だ。

「帰りたくないなあ……」

空は晴天、仕事は無職同然、そんな天気と環境であれば誰もが動物園を訪れる、その選択肢を選んでしまうだろう。
目の前には虎、背後には狼の檻ともなれば、ずっとその場に留まっていたい、そんな願望が浮かぶのも仕方ないだろう。
実家から決して仲のよくない祖母が訪ねてくる、となったら尚更だ。


そう、今日は実家のばあさんが訪ねてくる。
ばあさんと言っても、あれは普通のばあさんではない。では、異常なばあさんなのかといえば、まあ分類してしまえば確かに異常なばあさんだ。

まず、世間一般のいわゆるおばあさんのイメージとは程遠い。老いてもなお180センチ近い上背、長い間ひたすら鍛え続けた筋力と技術を、その長い手足に乗せて最大限に活かすゴリゴリの打撃巧者。
その上さらに暴力の行使を一切厭わない狂った精神性が、老婆となって今もその強さを支え続けている。

加えて、口が悪魔にでも突然変異してしまったのかと疑いたくなる程、常日頃から暴言と嫌味を壊れた蓄音機のように発し続け、その対象は孫だけに収まらず、ありとあらゆる生き物すべてに向けられる。
あのばあさんと同じ部屋で過ごすくらいなら、工事現場の真横で眠る方が遥かに快適だ。

その2点だけでも憂鬱になる理由としては十分だけど、さらにばあさんは真っ赤に燃え続ける焚き木のような執念を抱いている。


私の実家のブランシェット家は、約300年前に悪くて知恵のある狼の腹を裂いた少女と、彼女と結ばれた狩狼官の末裔だ。
狼は命が途絶える間際、少女に呪いを掛けた。子々孫々まで受け継がれるその呪いは、子どもが生涯1人しか産めず、その子どもは必ず女の子である、というもの。

ブランシェット家の娘は代々狩狼官として育てられ、【狼を繋ぐ紐】、ウルフリードの名を継承して、狼に対抗するための道具を作り続けた。
300年の時を経て、強力な機械に改造された姿を変えた狩狼道具を持ち出したのが、私の母。つまりばあさんの娘だ。

その愚行を恥じたのか、自らの育て方を悔いたのか、ばあさんは幼い私を狩狼官とすべく徹底的に鍛え上げ、16歳の誕生日を迎えた私に命じた。

狩狼官として働け、母親の持ち出した装備を回収しろ、と。


そして私は大陸5大都市のひとつ、自由都市ノルシュトロムに引っ越し、アングルヘリング自警団事務所に狩狼官として登録し、これといった仕事もないまま、ギャンブルや海の家の短期就労で日々を過ごしている。

私の名はウルフリード・ブランシェット。16歳。13代目の当主で、狩狼官。怖いのは実家のばあさんと食中毒。

「ばあさんが耳にしたら、耳まで真っ赤にして激怒しそうだな」

私は目の前の虎に向かって、両手を肩のあたりまで持ち上げて指を開き、頬を左右に張り出して歯をむき出しにする怒り顔の真似をして、背後の狼たちにはくたびれたような諦め顔を真似してみせた。
「きっと今夜は大目玉だよ」
虎も狼も、人間のちっぽけな悩みなんてどうでもいいって様子で、だらっと寝転んだりうろうろと歩き回ったりしている。

ああ、かわいい。出来ることならモフモフしてみたい。


・・・・・・


私が住んでいるのは女子学生向けの下宿で、1階は食堂と共用の風呂にトイレ、それと保護者や教師が来た時にだけ開かれる談話室なる小部屋がある。普段は誰もいない部屋だけど、今はちょうど学生たちの夏休み期間なので、時折身なりのいい御婦人といった女性が腰掛けていたり、幼い妹弟が待ち構えていたりする。
なお今日は、鬼よりも怖いばあさんが扉の外に睨みを利かせているわけなのだけど。

「ばあさん、久しぶり」
「久しぶりじゃないよ、このボンクラは! ちゃんと働いてるんだろうね! あんたに出来ることは、回収と無駄飯を喰らうことだけだからね!」
最近こっちから連絡してなかったからか、ばあさんは早速ご機嫌斜めだ。
「それとも豚みたいに食っちゃ寝ばかりかい? 人間やめるつもりかい!?」
ばあさんは言葉の勢いそのままに立ち上がる。
相変わらず図体のでかい老婆だ。世の中にはいろんな怖いものが存在するけど、幽霊もよりも悪魔よりも悪党よりも、でかい老婆のほうが怖いと思う。

私よりも頭ひとつは大きい長身から振り下ろされる嫌味としゃがれ声は、通り雨よりも鳥の糞よりも不快感でいっぱいだ。

「ところでお前、ちゃんと回収は捗ってるんだろうね?」
「当たり前でしょ。こう見えても私もブランシェット家の当主なんだから」
もちろん嘘だ。そんな自覚はないし、もうしばらく暮らして生活費に困ったら、喫茶店か映画館で働くつもりだ。
なんでと問われたら喫茶店とコーヒーゼリーが好きだからとしか答えようがないし、幼い頃に1度だけ母が見せてくれた、なにも描かれていない部屋の壁に映し出された古い映写機の光、あの光が脳裏に焼き付いてるから、としか答えられない。
ちなみに映画は結構高級な娯楽なので、まだ見に行けていない。

「じゃあ、見せてもらおうかね。すぐ近所に公園があったね、そこで確かめさせてもらうよ」
「ばあさんなら展開しなくてもわかるよね?」
「いちいち形なんて覚えてないよ! 狩狼官やめて何年経ってると思ってるんだい? そんなことも考えつかないなんて、とんでもない薄情者だよ!」

まったく口やかましい婆さんだ。
将来、実家に男でも連れていこうものなら、さぞ細かくてねちっこい姑になることだろう。そんな予定もつもりも相手もいないけど。

そういえば母はなんで子どもなんて作ったんだろう。
そもそも相手はどこの誰なのか?
何度かばあさんに訊いたこともあったけど、なにも知らないの一点張りだった。本当に知らない可能性もあるけど、どうもなにか隠してるような気がする……。

「さて、見せてもらおうかね。ヘナチョコ新米狩狼官の仕事っぷりってやつを」
まったく、いちいち嫌味ったらしいばあさんだ。きっと5分に1回は嫌味や皮肉を言わないと、腰にダメージでも入るに違いない。そのままギックリ腰にでもなってしまえ。
私は嫌味返しでわざとらしく溜息を吐き、回収した道具たちを順々に展開する。

ブランシェット家の狩狼道具は平時は腕輪や籠手くらいのサイズで収納でき、必要に応じて展開させる。理屈は正直わからないけど、ばあさんはその辺りの原理も知っているだろう。
なんせ老婆だ。老婆というのは、昔から余計なことばかり知っているものだと相場が決まっている。


【赤ずきんメイジー】
かつて狼の腹を裂いた鋏を改造した巨大な機械。刀身2メートル近い大型の2本のブレードを、背面ユニットに搭載されたブースターの出力で無理矢理飛ばして、高速の突進を可能にした大型装備。
ブランシェット家の機械を持ち出して世界中にばら撒いた母が、最も得意としていた武器でもある。


これはノルシュトロムのカジノ王ジャック・ポットが所持していたものだ。
その筋が怪しいと睨んだ私が、アングルヘリング自警団事務所の所長、フィッシャー・ヘリングと共に潜入調査を行い、調査目的で臨んだ賭けに大勝ちした私に対して、武力的解決、つまり負け分を踏み倒そうとしたジャック・ポットを返り討ちにして奪還した。
器物損壊等で留置されてしまったけど、この活躍で私は治安維持を司る騎士団直轄の警察隊からも感謝を述べられたのだ。

「本当かい? そんな勘の鋭いようには見えないけどねえ」

もちろん嘘に決まってる。
実際は負け込んでいる時に、胸の薄さを馬鹿にされたので暴れただけだが、馬鹿正直に話しても得などひとつもない。嘘も方便という言葉もある。なんでもかんでも正直であればいいわけではないのだ。

「で、次がこれね」
私は薬の入ったアンプルと収納用のホルダーを展開させる。


【ゾアントロピー】
ブランシェット家当主が開発した獣人化薬のアンプルとホルダー。
体内のエネルギーを身体強化に当てるのが苦手な機械使いでも、騎士や戦士のような身体強化型の連中と同等の強化を可能とする。


これも奪還は大変だった。
闘技場の格闘家イワーシュ・モレションの強化された拳を間一髪で避けながら、どうにかホルダーを蹴り飛ばし、ゾアントロピーを互いに使用しての超強化の打ち合い。先んじて奴の拳と脇腹にダメージを与えてなかったら、地面に転がり天を仰いでいたのは私の方だっただろう。

「あの勝負は大変だったよ。でも、ばあさんが鍛えてくれてたから、最後は鍛錬の質と量がものを言ったね」
ばあさんが疑わしさを隠しもしない目を向けてくる。
もちろん嘘だ。嘘だけど、がんばって作り話をしているんだから、努力に免じて無条件で信じて欲しい。


【ナイトメア】
完全なる自由意思の自動運動を可能とした暴走する黒色の棒人間。現在故障中。


これは私と同じ下宿の女子学生を狙った下衆な男が所持していた。
冴えない中年男に真の愛とは何なのかを説き、改心させ、交渉によって渡してもらった。
なんで壊れてるかって? さあ、なんでだろうね?

「なんでだろうねじゃないよ。お前が壊したんじゃないだろうね? お前は昔から物を大事にしない子だったからね! まったく罰当たりな女だよ!」
「あのねえ、私も16だよ。物も人も慈しむ心くらい持ち合わせてるよ」
そんなものは持ち合わせていない。いや、無駄遣いや雑な扱いはしない主義だけど、場合によっては破壊という選択肢を選ばざるをえない時もある。そういうことなのだ。


【チェインスモーカー】
狼回りと呼ばれる、狼を力尽きるまで走らせ続ける罠を原型に作り上げた、大小二重の円形の檻。入り込んだ標的を閉じ込めた上で、充満させた煙を吸わせて意識を奪うことも出来る。


これは母と旧知の仲にある魔道士、カール・エフライム・グレムナードから譲り受けたものだ。知恵のある毒蛇と契約しており、かつては母と組んで仕事をしていたこともあった男だ。
ちなみにこれは嘘ではないし、彼から渡されたのも本当だ。

「ばあさん、グレムナードって男は知ってる? 40代半ばくらいで目つきの悪い」
「いや、聞いたこともないねえ。もしかしてそいつじゃないのかい? 馬鹿娘をたぶらかした悪い男は!?」

母と再開した後にそういう関係にもなった話は、めんどくさいから黙っておこう。
世の中には言わない方がいいこともあるのだ。

「違うって言ってたよ、お互いに趣味じゃなかったみたい。で、次がこれね」


【剛腕のダッデルドゥ】
かつて悪魔に憑りつかれた山賊の頭目が檻に入れられ、その自由を奪っていた足枷と鉄球を改造した大型の狩狼道具。
破壊力はブランシェット家の抱える武器の中でも3本指に数えられる。

【ワザモノ】
東の大陸で使われている刀と呼ばれる片刃の剣。切れ味鋭く、斬撃だけでなく突きにも対応している。
これは狩狼道具じゃないから、普段は鞘に収めて、その上から布を巻いて隠している。


これはタヌチャッチャ地方という大陸横断鉄道で2日の距離にある内陸の森、その奥にひっそりと隠されていた。
そんな噂を聞き付けた私は、単身汽車に乗り込んで森へと向かい、打ち捨てられていたダッデルドゥを発見。母から譲り受けたという女戦士の最期を看取り、墓を作ってあげて供養し、彼女の持っていた名刀ワザモノと共に持ち帰った。

「しばらく音信不通になっていた時期があったけど、そんなことがあったのかい。私はてっきり馬鹿な孫娘が、ろくでもない男と旅行にでも行ったのかと思ったよ! お前はそういうところは母と似て、アバズレ気質な予感がするからね!」
「まさか。若い男となんて喋ったこともないよ」

色々あって顔見知りとなった元騎士、レイル・ド・ロウンに案内してもらったことは黙っておこう。
別にそういう男女の関係ではないけれど、痛くもない腹を探られるのは気分のいいものではない。実の娘が悪い男にたぶらかされている、と思い込んでいるばあさん相手だと特にだ。


【ペッタンSR】
相手を拘束する円形の筒と、真上から頭を打ち砕くブーストハンマーのセット。

これもタヌチャッチャで手に入れたものだ。
強さを追求した大柄の女戦士の村で、彼女たちと共闘して森の守り神と呼ばれる巨大猪を追い払ったことで、その借りを今すぐ返したいと渡された。
私の勇気が彼女たちの心を動かし、彼女たちの懸命な姿は私に感動を与えてくれた。
そう、私たちは友となったのだ。

ばあさんが眉間に皺を深く刻みながら、完全に怪しむような目をしている。
私にもわかってる。無理があるって言いたいんでしょ。私だってそう思ってるけど、素手の相手に火器を使ったなんて白状したら、絶対怒られるもの。
嘘を吐かせてしまう自分の性格を反省しろ。

「これが最後ね」


【カタスレニア】
不快な叫び声のような音を巨大な音壁と化して放ち、距離によっては相手の鼓膜を破壊する指向性のスピーカー。


これは先日起きた半魚人と呼ばれる陸上を歩く魚たちが起こした怪事件、ウオーリア事件を解決した際に騎士団から渡された押収物だ。本当であれば他にも礼をしたいと申し出てきたけど、ブランシェット家の狩狼道具はないようなので丁重に断りを入れた。欲深いのはみっともないからだ。

「あの事件も大変だったよ。私が機転を利かせて海に誘導しなかったら、町に甚大な被害が出ただろうね」
もちろん全て嘘だというのは言うまでもない。嘘じゃないのは魚と掛けた事件名くらいだ。


「まあ、いいよ。どうにも信じがたい話ばかりだけど、回収は出来てるみたいだからね。お前程度のヘナチョコにしては上出来だよ。これからも馬車馬みたいに真面目に働くことだね!」

ばあさんは自分の中で落としどころを作ったのか、それ以上は追及することもなく、展開された道具を小さく収納して手渡してくる。
どうやら回収した道具は今後も使っていいようだけど、もし無くしたり盗まれたりでもしたら、生きてるのが嫌になるほど怒られるんだろうな。
どうせなら実家に保管してて欲しい。

「だけど調子に乗るには100億年早いよ! お前は歴代当主と比べても、まだまだヘナチョコだからね! ハナタレにはちょうどいいから、マスティフを持たせてあげてるけど、ナリが小さいからお守り代わりでしかないだろうね」


【マスティフA型】
装甲の指先側の先端が犬の口のように開き、噛みついて攻撃する狩狼官の基本装備。装甲は軽量の盾にもなる。


軽くて癖もなく扱いやすいが、間合いも短く、飛び抜けた破壊力や相手をはめる特殊効果もない。
手足が長く筋力に優れていれば、そういうものこそ強力な武器になるのだろうけど、背丈の低い私では護身用程度と認識されても反論しようもない。

「そこでだよ、ご褒美にマスティフを改造してあげるよ。狩狼道具は自分に合わせて改造して、ようやく1人前。今回は特別にやってあげるから、私に感謝することだね!」
ばあさんが親指を立ててニヤリと笑い、さっさと部屋まで案内しろと顎をクイクイと突き出す。

え? もしかして数日泊っていくってこと?

……勘弁してほしい。せっかく自由な暮らしをそれなりに楽しんでいるのに、突然地獄に変えられても困るのだ。

「ばあさん、宿まで案内するよ」
「そんな余裕はないよ! ああ、勿体ない勿体ない! それとも、なにかい!? ババアが同じ部屋だと居心地が悪い、とでも言うつもりかい!」

すでに居心地は最悪だ。
今夜は適当な理由をつけて下宿を抜け出して、自警団の事務所にでも泊めてもらおう。

私はうんざりした顔をしながら空を仰いで、長く細い溜息を吐き出したのだった。


ちなみにばあさんは1週間ほど居座って、その間に嘘は全部ばれてしまったりしたけど、私の名誉のためにも聞かなかったことにして欲しい。



今回の回収物
なし


今回の支給品
・マスティフⅡ型オルトロス
右腕に装備して展開する至近距離で噛みつく牙状の武器。装甲は軽量の盾にもなる。先端部分が二重装甲化し、内側に鎖付きの鉤状のフックを内蔵している。大頭形の蛇に近い形状。色は青。
威力:D 射程:E 速度:A 防御:D 弾数:∞ 追加:―
威力:E 射程:C 速度:B 防御:D 弾数:∞ 追加:捕獲(フック)


(続く)

(U'ᄌ')U'ᄌ')U'ᄌ')

狩狼官の少女のお話、第10話です。
2クールのアニメなんかでよくある総集編みたいな回+装備のパワーアップ回です。せっかくなんで嘘八百並べさせてみました。
どこが嘘じゃないかは、本編を遡って読んでくださいませ。

書いててめちゃくちゃ楽でしたので、次回はもっとちゃんと賢い話を書きますです。