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短編小説「ランタンの灯」

その日は、冬にはまだ早い季節にしては朝から凍えるような寒さだった。空を分厚い雲が覆い、早とちりな雪を降らせてくる。
最初こそ物珍しさで家族みんなで空を眺めていたが、雪は次第に多く大きくなり、やがて吹雪となり、窓の外を真っ白な銀世界へと変えた。銀世界は翌日には空と大地を分断する巨大な蓋となり、3階の窓から見下ろす世界はなにもかも押し潰されたかのようだった。

雪は残酷にもすべてを奪いながら手を休めることなく、飢えと寒さと雪に支配された人類は、新天地を求めて故郷を捨てて、誇りを捨てて、栄光を捨てて、ひたすら石炭をくべながら鉄の塊を走らせた。

友を失い、恋人を失い、子を失い、親を失い、それでも進み続けた我々は、放浪の末に一基のジェネレーターを見つけた。

石炭を掘り、木を集め、鉄を鍛え、生き残った人間を探し、新しく町を作った。ジェネレーターから漏れる温かさに涙を流しながら、炎と蒸気に感謝の祈りを捧げ、新たなる神として崇め奉り、人類の拠り所となる宗教【炎の祈り】を生み出した。
そして限られた資源と食糧を無駄にしないため、ひと時も気を休めることのできない過酷な極寒を生きるために、みんなで力を合わせて強固な階層式社会を築いた。
寒さや事故で手足を失い、飢えと疲れで力尽きた脆弱な人間に代わる、忠実な働き者の隣人【オートマトン】も。

最初は思いのほか順調だった。
町は故郷のように少しずつ発展し、捜索隊を照らす灯りとして郊外に打ち上げた観測気球【ビーコン】は、徐々に新しい住人を呼び込むことに成功した。
新しい家族の訪問に喜び、スープの量が減ることよりも仲間が増えることに涙を流した。

それでも寒さと飢えに頭から爪先まで蝕まれた我々は、人類が幾度となく繰り返してきた争いの果てに、貴重な知恵と技術を喪失し、次こそ失敗すまいと新天地を求めた。体力のある大人たちは捜索隊を結成し、残された老人・病人・女子供は帰りを待ち続けた。
待ち人を照らすはずのビーコンの光が空しく空を漂い、獣もいなくなった誰も帰ってこない町で、我々は人間としての最後の尊厳まで失った。

「私たちはヒトを食べてしまった。もはや希望の光はない……」


手記は何回読んでも、そこで終わっている。
なんの変哲もない名も残らないような労働者の書いた手記は、雪に閉ざされた町では貴重な娯楽だ。こんな辛気臭いものを娯楽にするなんて世も末だけど、そもそも世界は終末みたいなものだ。凍死の危険を冒してまで町の外を走り回るような、そんな命知らずな娯楽に興じるつもりはないし、町が賑わっていた頃にあった殴り合いに身を任せるつもりもない。
陰鬱な手記くらいが丁度いいのだ。

「ベルカ、またその手記読んでるの?」
「他に時間を潰すものもないからね」
私は呆れた顔をしているストレルカに、そっけなく答えた。
ストレルカは同年代の、いわゆる少女として扱われる年齢で、貴重な生存者のひとりだ。信仰深くて、朝晩と昼間の決まった時間には必ず祈りを捧げている。

祈るのは神にではない。町の中央で炎と蒸気を吐き出し続けるジェネレーターだ。町の人たちは救いの手を差し伸べてくれない神よりも、世界を覆う雪と寒さに唯一対抗できる熱と機械を拠り所にしていた。
ストレルカもそんな信仰心の下僕だ。

ケトルでコーヒーを湧かすストレルカの腕は、どちらも肘から先が機械だ。
熱と機械への崇拝は人間の奥底にある機械化願望を刺激して、信仰の深さは自らの四肢を差し出すにまで至った。
彼女は両の腕だけでなく、自らを立たせる足までも祈りに捧げた。
なにがそこまでさせるのか私にはさっぱりわからないけど、別に彼女が特別珍しいわけではない。そんなことをする奴は町にいくらでもいた。

まあ、今は彼女と私、たったふたりの生存者しかいないけど。

この手記を書いた人も、すでにこの世にはいない。
私は閉じた手記を机の上に放り投げて、自分の忌々しい機械の左腕を見下ろした。
この世界は徹底して人間に優しくしたりしない。なにもかも不足した未熟な医療は、ちょっとした事故でも煉獄に引き込む死神の腕を振りほどくことも出来ず、あっさりと私の潰れた腕を差し出させた。
まったく、実に忌々しい世界だ。

私の名前はベルカ。いわゆる少女と呼ばれる年齢で、今の悩みは食糧がいよいよ無くなりそうってことだ。


――――――


町のどこを探しても食糧なんてほとんど残っていない。
あるのは炎と蒸気を吐き出し続ける巨大な塔のようなジェネレーターと、それに群がるように建てられた居住区。かつては賑わいを見せた闘技場や処刑台、それから礼拝堂や炊事場。郊外には石炭の採掘場や鉄工所、製材所、無数の怪我人が運ばれた遺体安置所。
そして今日も各所で働き続けるオートマトンたち。

オートマトン、別名:忠実な働き者の隣人。
彼ら、彼女らは人間が製造した熱と蒸気で動く機械労働力だ。バケツ形の頭に筒のような胴体と短い手足で懸命に働き、労働だけでなく外敵の排除や貴重な“肉”の確保までやってくれる。
私たちが手を下すのに躊躇することを代わりにやってくれるのだ。人間よりもずっと善き隣人というやつだ。
欠点は今の私たちでは新たに製造できないことくらい。
簡単な修理くらいなら出来るけど……ストレルカが。

「タイチョー、食糧手に入らない?」
町の中を見回るオートマトンの衛兵たち、その中で少し背の高い、といっても子どもくらいの背丈の衛兵隊長に話しかける。
彼はタイチョー。サボりがちなヘータイたちと比べて仕事熱心で、人間がほとんどいなくなったのに真面目に働いている。
もしかしたら私たちがいなくなった後でも、それまで通りに無人の町を守り続けるのかもしれない。

「タイチョー、居住区に食べ物残ってない?」
タイチョーは首を振るように体を左右に揺らして、持っているバックラーとソードをぶんぶんと上下させる。
やはり食糧は底を尽きかけていて、数日前に遺体処理係のブッチャーに手配してもらった“肉”が最後の食べ物らしい。

「タイチョー、外に熊かアザラシでもいない?」
タイチョーが再び左右に体を揺らす。それもそうだ、都合よく獣が近づいてくるわけもない。
町の外はマイナス60度の極寒の世界。ジェネレーターから漏れる熱がなければ、私たちなんてあっという間に凍え死んでしまう。
それは毛皮と皮下脂肪に分厚い覆われた動物でも違いないだろう。


つまりそれって、このままここに留まっても飢え死にするしか未来がない、ということだ。


「ストレルカ、いよいよ決断の時が来た。この町を廃棄して新天地を探すか、せめて温かい場所で腹を減らせて死ぬか。前者は生存確率はごくわずか、もしかしたら地上のどこにも新天地なんて残ってないかもしれない。でも後者は生存確率ゼロパーセント、合理的に考えたら行くしかないと思う」
コンマ何パーセントとゼロを比べるのが合理的かどうかはわからないけど、人間は水だけでは3週間くらいしかもたない、と聞いたことがある。
「寒いのは嫌だけど、死ぬのはもっと嫌だなあ」
ストレルカは仕方ないといった顔で白い息を吐いて、町の外に降り続ける吹雪に目を向ける。
「この町、なんだかんだで好きだったんだけどなあ」

雪に覆われた世界はなによりも美しいほど白く、どこまでも埋め尽くすほどに残酷だ。


――――――


ランタン、ナイフ、ライフル、火打石、油、“食糧”、塩、包帯、アルコール、コーヒー、テント、寝袋、毛布、燃料、紙、薪、石炭……それとオートマトンが数体。
衛兵隊長のタイチョーと、いざとなったら背中に背負ったバリケードで盾にもなってくれるヘータイが何体か、そして外敵退治の切り札であるセンパイ。
センパイは胴体内部に小型の大砲を内蔵したタレット型のオートマトンだ。どこかの国では先制攻撃をする輩と書いてセンパイと読むらしいから、私たちもそう呼んでる。

荷造りを終えた私とストレルカは、リュックにランタンをぶら提げて、ブーツの上から移動用のカンジキを履く。
「外気温マイナス45度、天気は晴天。絶好の捜索日和だ」
そんなことはない。マイナス45度など人類が出歩いていい気温ではない。丸一日は熱を発し続けてくれる特別製のランタンがなければ、あっという間だろう。
ちなみにこれの製造技術も暴動で失われた。オートマトンも機械義肢の作り方もだ。

要するに私たちは、人類の知識と技術の遺産を食い潰して生き永らえているのだ。
当たり前だ。私たちを何だと思ってるんだ、ただの運よく生き延びれただけの少女だぞ。

「とりあえず捜索隊が過去に進んだルートに沿って移動しよう。もしかしたら缶詰のひとつでも残ってるかもしれない」
運任せの希望的観測だ。でも、未知のルートを闇雲に進むよりは生存率が多少は高いと思う。それがコンマ1パーセントでも私たちはマシな方を選ばなければならないのだ。
それに……


「もしかしたら凍死した捜索隊がいるかもしれない」


嫌な言葉を発しようとすると、喉の奥で何かがつっかえるような感触が残り続ける。

【私たちはヒトを食べてしまった。もはや希望の光はない……】

手記に記されていた最後の文章が、頭の中にこびりついて離れてくれない。
もう何杯も塩と野菜くずで味付けした“スープ”を飲んだのに、いつまでも罪悪感が消えない。熊やアザラシを食べても後ろめたい気持ちになんてならないのに、どうしてなんだろう。

「もし見つけたら、大事にいただこうね」
ストレルカが祈りの言葉でも囁くように呟いた。
信仰心で四肢を捧げただけあって、腹の据わり方が違う。人間は体を機械化すればするほど大切なものを失っていく、と以前大人に聞いたことがあったけど、両手足を機械化したストレルカの人間性はどれくらい残ってるのだろうか。
少なくとも私よりは、ずっとたくさん失われていそうだ。

ストレルカの穏やかな横顔をちらっと見て、振り返って長く過ごしてきた町の姿を目に焼き付ける。
真っ白い雪の中でジェネレーターから吐き出される炎と、郊外にそびえ立つビーコンのオレンジ色の灯りが目に眩しい。
思わず目を細めて、つらく凍える思い出もわずかばかりの喜びも溢れそうな量の嘆きも脳に焼きつけて、手に持てるだけの荷物を持って足を1歩また1歩と踏み出した。

ジェネレーターの炎と蒸気は、もう私たちを守ってくれない。
守ってくれるのは、ちっぽけなランタンと小さなオートマトンと頼りない自分自身だけだ。


――――――


歩き続けて夜になり、身を寄せ合って朝まで凌ぐ。
ヘータイたちを並べてバリケードにして、岩や残骸の間にテントを張って、ランタンの熱でどうにかやり過ごす。
並んだヘータイの頭に昼間働かせたランタンを差し込み、夜のうちに熱を溜めておく。仕組みはわからないけど、そういうことが出来る。オートマトンは労働力だけでなく、同時に資源でもある。本当に忠実な働き者の隣人だ。
こうやって複数のランタンを使い分けて、移動する距離を伸ばしていく。
吹雪の中を帰ってきた捜索隊のリーダーから前に教えてもらった重要な生き残りの術だ。

「そうか。捜索隊が連れていたオートマトンがいるかもしれない」
私はふっと目を開き、同じ寝袋の中でしがみついてくるストレルカのひんやりとした手足と生身の部分の温度差を肌で感じながら、ありもしない希望を無理矢理に作っては頭の中で反芻させた。
そして時折、自分たちに都合のいい妄想の景色を浮かべたりもした。

悲しくもないのに涙がこぼれる。
人間は心細くても泣くんだなって改めて思い知り、ストレルカに顔をうずめて夜をやり過ごす。


ストレルカとは姉妹同然に育った。お互いにはっきりとした年齢はわからない。自分たちの誕生日も知らないし、お互いの境遇もよく知らない。私のほうが背が頭ひとつ低いから妹、ストレルカのほうが落ち着いているから姉。漠然とそんな風に扱われていた。

私たちは過去を語らない。故郷を懐かしむのは懐古主義者だと見做され、異端者として排除されたからだ。故郷を懐かしみ帰郷を願うのは、極寒の地においては紛れもない悪とされ、酷い時は処刑台に登らされたのだ。
だから私たちは過去を持たない。

それでも少しだけ昔話を語るとすれば、私はビーコンの灯りに誘われた難民で、ストレルカは町を作った人たちの中にいた。
私たちはたまたま同じ宿泊小屋をあてがわれ、猟師で銃の技術者だった父と看護婦だったストレルカの母はすぐにそういう関係になった。別に珍しいことでもない、他の家族でもそうなるつがいは多かった。
だけど、間もなくして父は遺体となって猟から帰ってきて、義母は狂ったように炎の祈りへと傾倒していった。親の背を見て育つように、ストレルカも祈りを深めていった。
やがて私も些細な事故で左腕を機械の装具に取り換えて、ストレルカと本当の姉妹になった。

そして暴動が起きて、義母も失った。友達も、生身の隣人も、頼れる相手も。

私たちは幸運にも、本当は幸運以外の後ろ暗いこともあるけど、それでも幸運にも生き延びて、今もこうやって身を寄せ合って朝を迎えている。


「ベルカ、おはよう」
「……ほんとだ。生きててよかった」
私たちは質素な、“肉”が少しだけ入ったスープに塩をひとつまみだけ入れて、最低限の食事を摂った。
そしてコーヒーを飲んでテントを畳み、リュックを背負って歩を進める。
この日は機械の残骸とずいぶん古い焚き火の後を見つけたけど、これ以上は目ぼしいものは発見できなかった。

その翌日も、見つけたのは半ば朽ちかけた猟師小屋ひとつだけ。
それでも風除けには役に立つから、鉄と木に感謝してテントの中で眠った。

4日目。町からおおよそ120km地点。
私たちはついに白熊を発見した。
私は気づかれないように雪の上に腹這いになって、ライフルを構えて狙いを定める。
当てやすいのは腹だけど、腹を撃っても1発では仕留められない。手足はもっとダメだ、撃つ意味がない。
狙うのは頭、出来れば脳髄を貫ける距離で撃てたら最良だ。

「いいかい、ベルカ。中途半端が一番苦しむんだ。相手のためを思うなら1発で仕留めなきゃ駄目だ」
まだ世界が雪で覆われる前、ヘラジカを狩りに連れていってくれた父がそう教えてくれた。
思い出の中の父はいつでも優しくて、銃を抱えて引き金に指をかける時はいつでも厳しかった。

照準器の向こうで白熊がゆっくりと動いている。
距離500m、まだ気づかれていない。
白熊がゆっくりと近づいてくる。まだ気づかれていない、走る様子がない。
距離400m、まだ遠い。私のライフルだと、もう少し懐に潜り込みたい。
静かに息を吸い込む。ここはまだ我慢比べの時間だ。
距離300m、有効射程だ。でも一撃で仕留めるには懐が深い。もう少し、もう50mでいい。来い。

白熊が眼前の雪の中に潜む気配に気がついて、唸り声を上げながら体勢を前に傾ける。
そして前足を大きく突き出した瞬間、引き金にかけた指に力を込める。

タァン……!

雪の上に鮮血が飛び散り、眉間を貫かれた白熊が体勢を崩して斜め前方に転がる。
私は念のため弾を込め、まだ息があるかどうかわからない白熊の頭に再び弾丸を撃ち込む。
野生の獣と対峙した緊張で、こんな寒さなのに額からじわりと汗が噴き出て、荒くなった呼吸を慌てて鎮める。
(うまくいった……よかった……!)
私は周囲を見渡して、片手を振り上げて後方に待機していたストレルカとオートマトンたちに合図する。

久しぶりに真っ当な肉が手に入ったぞ、と。


熊を捌くのはタイチョーとヘータイたちの役目だ。
強靭な毛と弾力のある皮に厚い皮下脂肪、これは私たちの腕力では無理だ。鉈のように太いソードで叩き切られる白熊だった肉を眺めながら、私たちは火を起こし、切り出された端から焼き、茹でて、いつぶりかも定かではない真っ当な食事を満喫した。それはもう腹がはち切れそうなほどに。

5日目。再び機械の残骸を見つける。オートマトンらしき筒状の鉄の抜け殻、おそらく以前ここを通った捜索隊が熱を確保するために分解したのだろう。もしくは他の町の生存者に襲われたとか。
どこまで考えても想像の域を出ないので、警戒を強めながら歩を進める。

6日目。雪の中に潜んでいたオートマトンの襲撃を受ける。
そのオートマトンは小型のものを改造して、蜘蛛のような機械の足の先にブレードを備えた物騒なやつで、あっという間にヘータイの頭を刺し貫いて、タイチョーに足を1本切り払われて、センパイの胴体から放たれた砲弾を数発受けて足を数本失って雪の上に転がった。
その頭をタイチョーが飛びかかって叩き割り、ようやく襲撃者はその動きを止めた。

「ストレルカ、ヘータイは? 直りそう?」
ストレルカが頭を割られたヘータイの様子を伺い、ゆっくりと首を横に振る。
「無理かな。手足が取れたくらいなら修理できるかもだけど、頭を割られたら専用の設備でもないと。それに私たちには、オートマトンがどうやって動いてるのか根っこのところでわからないから」
ストレルカは動かなくなったオートマトンの背中からバリケードを外し、他のヘータイに担がせて、胴体に内蔵された動力炉を取り出した。
動力炉はオートマトンを動かすエンジンのようなものだ。もし新しい町に辿り着けたら、もしそこに人がいて交渉が可能なら、石炭や熊肉以上の取引材料にもなりうる。

人間もオートマトンも、死してもなお助けになってくれる。
私たちは今日も命を繋いでいく。幾分か先の命までも。

7日目。昨日から道中にオートマトンの残骸をちらほらと見かける。
もしかしたら捜索隊同士の、或いは内輪での争いが起きたのかもしれない。
昨日の襲撃者は人間を襲えと命じられていたのだろう。命じた人間は雪の中をどこに向かったのか、今頃どうなっているのか、考えても答えは出ない。

8日目。地平線の向こうの空にオレンジ色の光が見える。太陽の光とは違うビーコンの灯り。私たちは町を発見した。


――――――


塔のようにそびえ立つジェネレーターを囲む町は、私たちの住んでいた町とよく似ていた。当たり前だけど似たその町には、同じように居住区があり、ふかふかとは言えないけどベッドが残されていて、だけど食糧も生存者も残っていない。
道端には少ないけれど遺体が散乱していて、立ち並ぶ宿泊小屋の壁はところどころ赤黒く染まっていた。
この町は、かつての私たちの町と同じように争いが起こり、共倒れになって滅びたのだろう。
もしかしたら生き残りがいたのかもしれない。もしかしたら私たちと同じように、新天地を求めて雪の中を彷徨っているのかもしれない。あるいは雪の中で深い眠りについているのか。


「ベルカ、やっぱりどこにも食糧がない。それに」
「それに?」
ストレルカが言い淀んだので、思わず言葉をオウム返ししてしまう。

「オートマトンが放棄されてない。町のどこにも、1体も残ってないのよ」

確かに不思議だ。仮に大規模な捜索隊が組まれたとして、労働用のオートマトンまで連れていくとは思えない。帰る場所を捨てるほどの決死の覚悟があったのかもしれないけど、それでも吹雪や病気で捜索を断念して引き返す可能性が消えない以上、ジェネレーターを停止させるのは暴挙に等しい。

大規模な争いで人間が全滅したとしたら、残されたオートマトンはどうなった。勝手に意思を持って、別の町へと繰り出した。
そんな機能があるなんて聞いたこともない。彼らは忠実な働き者の隣人だ。どこまでも人間と共にある。

となると――

根拠のない希望的観測と、考えたくもない最悪な状況を同時に思い浮かべる。

もし前向きに推察するならば、比較的近くに安定した規模の大きい町を見つけて、オートマトンごとそこに移住した。可能性は無くはない、無くはないけれど、そんな都合のいい未来を期待するには極寒の地の生活は過酷過ぎた。

だったら、最悪の状況を思い浮かべるとしたら……

「外から来た何者かに生き残りとオートマトン、ひとり残らず連れて行かれた」
そんな予想が思わず声に出てしまう。

私たちの町は客観的に見ても狂っていた。機械なんかを神の如く崇めて、信仰のために手足を切断して、過去を懐かしんだだけで異端だと容赦なく排除した。処刑台に登らせて、首を落すのを観劇のように眺めていたのだ。
そしてヒトを“肉”として扱ったのだ。死んだ人間は私たちの命を繋ぐ材料でしかなかった。

でも私の食べたヒトだったものは、本当に全部死んでいた?
まだかろうじて息があったヒトもいたんじゃないの?
隣の宿泊小屋で遺体を見つけて、自虐的に運がいいと思ったけど、本当はそのヒトは遺体じゃなかったんじゃないの?

他の町がまともだと誰がなんで保証してくれる?

まともだったとして、ヒトを“食べた”ような連中を受け入れると思う?

新天地が天国だなんて甘ったれた考えだと思わなかった?

頭の中でぐるぐると嫌な予感だけが回っていく。
頭が重い。首が持ち上げられない。前を向けない。足が動かない。

「ベルカ。まだ最悪だなんて決まったわけじゃないよ」
顔が青くなる私を見かねて、ストレルカが後ろからそっと抱きしめてくる。
「もしかしたら今もどこかでまともに機能してる町があって、この町に残った人たちを迎えに来たのかもしれないでしょ。オートマトンは貴重な資源でもあるわけだから、住民と一緒に連れていってもらえた。その人たちは優しい、難民を迎え入れてくれる人たちかもしれないよ、私のお母さんやみんなみたいに。そういう可能性も捨てきれない」

ストレルカが珍しく流暢に、口数多く喋る。まるで私の代わりみたいに。

そうだ、考えるのは私の役割だ。コンマ1パーセントでも生存率を上げるのが私の仕事だ。


「手記を集めよう。もしかしたらオートマトンがどうなったか、記録が残ってるかもしれない」
私は考えるのをやめないことを選択した――



大規模な捜索隊が出発して数日、私たちは何者かの襲撃を受けた。
彼らは軍人だ。
彼らは全員、銃で武装していた。
貴重なオートマトンと動ける人間を連れていった。
傷病者は全員処理された。
食糧は全て奪われた。
ジェネレーターを破壊された。もうおしまいだ。

遺体から剥ぎ取った断片的な手記を並べていく。
状況はどうやら最悪なようだ。この世界にはまだ軍隊が残っていて、だけど彼らは国民や弱者を守るためには動いてなくて、オートマトンと健康な人間を連れ去るために町を襲撃した。
最悪過ぎて笑えない状況だ。だって、これってつまり周辺のどのくらいまでの範囲かわからないけど、生存者なんてどこにもいないってことでしょ。
おまけにジェネレーターまで壊していく徹底ぶり。新天地どころか寒さを凌ぐ場所すらも期待できない。

世界は残酷だ。残酷過ぎて涙も出ない。

「世界がこんなになっても軍隊ってあるんだね。どこの金持ちが運営してんだろうね」
「ほんとだよ。とっとと解体して、その燃料で焚き火でもした方がずっと合理的だ」
ストレルカの呟いた皮肉に、精一杯の強がりで答える。

「帰ろっか。私たちの家へ」

9日目。町への帰還を決断する。


――――――


10日目。雪の中をひたすら歩く。熊肉も“肉”も残り少なくなってきた。

11日目。古びた猟師小屋で夜を耐え凌ぐ。小屋にあった椅子やテーブルは分解して薪にした。

12日目。吹雪による足止め。

13日目。今日も足止め。吹雪が収まる気配がない。

14日目。今日も吹雪による足止め。世界は本当に残酷だ。


18日目。極寒の世界での吹雪は蛇のようにしぶとい。
食糧がついに底を尽きる。



2X日目。ストレルカと身を寄せ合って眠る。
「ねえ、ストレルカ。ランタン、もう消しちゃおっか……」
ランタンの灯りを消せば、小屋を温めるものは私たちの頼りない体温だけだ。
このまま眠ったままでいるのもきっと幸せだ。姉妹同然に育った私たちが、最後まで仲良く一緒に過ごす。父も義母もそれを望んでるんじゃないかな。

「ランタンの灯りは消さないで……寒いのは嫌……」

「そうだね。せめてここくらいは温かくないとね」





……日目。

猟師小屋の外から、見張りをしていたセンパイのタレットを作動させる音が流れてくる。
砲弾が2発、3発? その後で轟音と共に小屋を揺らすような衝撃が伝わり、バケツ頭とバリケードを酷く歪ませたヘータイが壁を突き破って転がってくる。
ここまで衝撃を加えられたら修復不可能だ。ヘータイの頭と胴の繋ぎ目から、見覚えのある色の生々しい物体が流れている。
オートマトンも血のようなものを流すことを、私たちは初めて知った。
壁に開いた穴の向こうでは、センパイが断末魔のような蒸気を上げて崩れ落ちる。
タイチョーが盾を投げつけて囮にしながら大きく跳躍して、暴れまわる機械の塊の頭にソードを突き立てる勇姿を見せる。
その勇敢な働き者の隣人も、すぐに無数の銃弾を受けて倒れてしまうけど。

「Damne vi! La aŭtomato estas detruita!」
「Estas iu en la kabano! Ŝi ankoraŭ estas knabineto!」
「Certiĝu, ke vi ankoraŭ vivas!」

小屋の中に数人、銃を抱えたまま入ってくる。
その中の一人が私たちの息があるのか確かめるため、機械油と返り血にまみれた顔を近づける。
好都合だ。もうライフルを構える力は残ってないけど、腕を伸ばすくらいの力は振り絞れる。
左腕の機械義肢、その中に仕込んだ刃渡り20センチ弱のナイフ。
私の腕を治療する時に、義母が自決用に仕込んでおいてくれたものだ。
『いよいよ最後のひとりになってしまったら、またどうしようもない大怪我を負ってしまったら、その時は仕込んだナイフをそっと優しく頸動脈に当てなさい。動物を捌くよりもずっと簡単に逝けるから』


さあ、手を伸ばせ。
忠実で働き者の隣人の仇を取れ。
ひとりでも多くの敵を道連れにしろ。
そのまま合理性なんて投げ捨ててしまえ。


私は近づいてくる汚れた顔に手を伸ばした。

「ストレルカを助けて」

私はこの期に及んで、コンマ1パーセントの生存率に掛けたのだった。


――――――


それからどれくらいの時間が経ったのか。遠い町から雪の中を進んできた捜索隊が、冷え切った体を休めるために朽ちかけた猟師小屋を訪れると、全てが終わった後の残骸まみれの部屋にはメモが1枚、それと短い短い手記が残されていた。

【好きな結末を選びなさい。だけどそれは、おそらくあなたの望みを満たしてはくれないだろうけど】


この世界にも神は残っている。そしてそれは母親のように少女たちに優しい。
▢▢▢▢▢▢


この世界にもはや神はいない。そして世界はどこまでも残酷だ。
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短編を書きました。
どっちの結末にしていいかわからない時はマルチエンディングにしてもいいのよ、と教えてくれたのは村のお婆さんだった気がします。そんなお婆さんはいないんですけど。

寒いとろくでもない話を書きたくなりますね。全部寒いのが原因です。温かくなったらハートフルな話を書くでしょう。春が待ち遠しいです。


余話

世界観はフロストパンクに参考を受けています。
かといって2次創作というわけでもない距離感なので、こういうジャンルはオマージュにカテゴライズされるのかどうなのか。
あっちは信仰のために手を切り落としたりなんてしないし、オートマトンは純粋な機械です。でも厳しさはあっちの方が酷いよねとか思ったりします。

雪の滅多に降らない地域に住んでるので、このままずっと降らないで、とか思っています。できれば冬も来ないで欲しいですが、数日後には最低気温が氷点下になるみたいなので、じゃあ雪が降らないの損なのでは!?とか思ったりもします。

おでんが食べたいです。