原住民は原住民なりの誇りを、漂流者は漂流者なりの矜持を
写真は先日食べたセルフ陣中見舞いです。なんで食べたか忘れたけど、たぶん疲れたからです。おいしかったです。
さて、私は現居住区で産まれたわけではない者なので、だいたい主に面接や初対面の人との無駄会話ラリーの場で、
どうして来たの?
と、もうお約束のように訊かれるわけですが、もういい加減にして欲しい。今日も訊かれた。多分もう両手足の指では数えられない数に達した。
「あんだよ、うっぜぇー!」
なんてゲンナリしていた時に、ふと、これは一定以上の規模の都市では訊かれることないよねえ、と気づいたのです。
そう、例えば東京で暮らしていて、
「なんで東京来たの?」
と訊かれることは、滅多に無いと思う。
東京の人口のどれくらいかわかんないけど、おそらく80%くらいは地方から来た人だと思うし、その内の3%くらいは異世界から来ているかもしれない。
大阪でも訊かれることは無いだろうし、京都や北海道や沖縄もないんじゃないかなー。横浜、名古屋、博多、この辺も無いと思う。
仙台とか前橋とか大津なら、多分間違いなく訊かれると思う。
じゃあ、この「なんで来た?」を訊かれるか否かの境目はなにかというと、その都市の経済力とか人口とか、あとは若干卑屈なアイデンティティーとかそういうものだと思う。
なぜならこの「なんで来た?」を正確に記すと、
なんで(首都圏でも大都市圏でも観光代表地でもなく、こんな地方都市に)来た?
だからだもの。
もっというと、
地元に残らないのはさておき、だったらなんで東京とか大阪とかじゃないの?
なのだ。
知らないのだ!
別にみんながみんな大都市に住みたいわけじゃないのだ!
ずんだもんなのだ!
※ずんだもんではないです、くれぐれも
というわけで、私は別に大都市に住みたいわけでもないし、住めば都で地方都市も結構気に入ってるので、原住民は卑屈にならずに原住民なりの誇りを胸に抱いて、なんで来たの、とか訊かないで欲しい。
私も漂流者としての矜持で、治安が悪いとか本の入荷が遅いとかディスりつつも生活してやっからさあ。