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「断る勇気」をもつこと

こんばんは、今日もお疲れさまです。

仕事についていろいろと考えているのですが
心身の不調による休職を再発せず
心のゆとりをもって働きたいと考えています。

そのためには、なぜ今の仕事を辞めたいと思ったのか?
という事を整理しないといけないと思いました。

過去の投稿にも、適応障害に至った原因や仕事を辞めたい
を思った理由など、気持ちを整理して気づいたことを
つづっているのですが、

それらをもう一度見つめなおして気づいたのが、
「断る勇気」を持つことが必要なのかもしれない
ということでした。

※これは、あくまでも私の場合であり、独自に編み出した考えです。
一個人の偏った考え方かもしれないので、その点をご理解の上で読んで
いただけると幸いです。

私は自分で自分を追い込みました。

今の仕事を辞めたいと思うくらい
自分を追い込んだのは
自分では処理しきれない量の仕事を無理して頑張り続けたから
ということにあると考えました。

無理して頑張り続けたのは、
簡単に言うと「断る勇気がなかった」からです。

もし、仕事が増えそうなら断ればよかったし
自分が困っていることを同僚や上司に相談したり
協力をお願いすれば解決できたはず。
それなのに
断れずに仕事が増えるし
素直に助けを求めることができなかったから
自分の時間を削って処理できるように頑張るしかなかった。

これから同じようなことを繰り返さないためには
・自分の容量がいっぱいになるまで仕事を引き受けない
・難しい時は、難しいという
・不安要素を声に出す(心の声を言葉に出す)

断ることを適切に使うことで
無理して頑張ることから自分を守ることになり
心身の不調による休職のリスクを軽減し
心のゆとりをもって働くために必要なのではないかと考えました。

内面的な要因は、職場を変えたとしても繰り返す可能性があるので、
そうならないために、自分なりの解決策を持つことは必要だと思います。

断ることが苦手な人って遠慮したり我慢することにも慣れていて、ちょっとしたモヤモヤや不安を受け流す傾向があると思います。私がそうなので。
だけど、そういった心の声を無視しないで、声に出すことも大事なことなんじゃないかなと思いました。

振り返ってみて
自分の時間を削って頑張った結果得られるものは、疲労や空虚感でした。
何か得るものがある頑張りとは異なり
自分が削られてる頑張り
だから自分を犠牲にしているような感覚なんだと思います。

自分で自分をいじめすぎた結果
今の職場で再生が不可能だと判断し辞めることを決意しました。


断ることやできないということに抵抗があるのは

小学校1年生の頃、先生から集中的に怒られたり頭をたたかれたり、
算数の問題をなかなか理解できず、父に激しく怒られた記憶が
あるのですが

その怒られ方によって
私という人格、価値そのものが否定されたような気分でした。

よって「怒られる」というのは最も恐れる行為で
「ものわかりがわるいと怒られる」
「だから、怒られないようにしないと」
「できないと言うことは恥だ」
と考えるようになったのかもしれません。

それらしい理由は、見つけようと思えば出てきます。
過去に辛いできごとがあっても
今これからの人生に何ら関係はないはず。
変わる勇気を持って行動していきたいと思います。

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