先頭を走るということ

夫とは、大学のスキーサークルで出会いました。
何台かの車を連ねて合宿に行くとき、夫はよく先頭を走っていました。

後ろからくる車が何台か、信号の変わり目、まわりの状況を見て、全体の走行速度を調整し
休憩のタイミングも考えていました。
夫は運転が大好きだし、見た目にもパンチがあり(?)、よく『トドが先頭走ってくれよ』と言われ、
『いいよ』と引き受けていたので、先頭を走るのが好きなのかなと思っていたのですが、一緒に乗ってみると、めちゃくちゃ気を張っているのがわかりました。
先頭を走るとは、そういうことなのかと思いました。

様々な啓発、プロジェクトに参加するとき、その牽引役になる人の憔悴を目にすることがあります。
その立場の人は、ただ突き進んでいるわけではなく、全体の足並みが揃うように、細やかな神経を使っていることを感じます。
先頭を走るように、周りの人から推されるということは、その人の経験、力、人柄などへの信頼なのだと思います。
それに相応しい人だからこそ、どこに向かうのかを見失わず、そのために何が必要なのかに常に気を配ることもできてしまいます。
自分ひとりが走っていく何倍もの神経を使っているのでしょう。

先日、ある先頭を走っている人が、目的地にやっと着くかどうかの時に
『次も❢』と口々に言われ、力なく微笑む姿を見て、なんだか胸が締め付けられました。
たぶん断らないでしょう。目的の大切さを誰よりも知っているからです。

どこかに向かうことが、誰かの憔悴の上に成り立っていたら続かないと思っています。
目的地で、みんなが笑顔で会えるのが嬉しいこと。
人のポジションを決めることや、どの道がいいとか悪いとかじゃなくて、
どこを走るのか、違う道を行くのか、今回は共に行動しないのか。
目的のために、自分はどうするのか。
まず、そこを考えることが大切なんじゃないかなと思っています。

再び、大学生のあの時に思いを馳せてみると、後ろから走っていた人たちも、前後の車のことを考え、どこへ向かっているのかを共有し、ただついてきているだけではなかったように思うのです。
何かが起きた時に、それぞれ臨機応変に対応ができていました。
携帯もない時代だったので、お互いの車が連絡を取ることは難しく、それぞれが他の人を想像して走っていたのだと思います。
一緒にいて、くだらないことも含めていろいろ話していた時間が長かったので、相手が考えそうなことがわかったのかもしれません。

街中から公衆電話が消えるというニュースを見ました。
ダイヤルを回す黒い電話の時代から、メール、スマホと移っていく中で、今はお食事時かな?とか
相手の生活時間を想像することが少なくなってきたと感じています。
コインを握りしめ、時計を確かめ、ドキドキしながら電話ボックスに入ったことなどを思い出し
そのうち、トシちゃんの歌の歌詞も、「なんですか、テレフォンボックスって?」になるのかなと思ったのでした。

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全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。