「あなたが島の出身だから」私が患者会活動をする理由

接種後、4日目。他になんの症状もないのですが、ひたすら怠さが抜けません。
これは接種の副反応ではなく、私のメンタルの問題なんじゃないかと受け止めています。
昨年来の状況下、私は義母を守り抜くことが私の役目なのだと思ってきました。
義母の2回接種が無事に終わり、自分も初回接種にたどり着いた。
張りつめていたものがプチっと解けたんでしょうね。

義母は鹿児島県の離島、甑島(こしきじま)の出身です
Dr.コトー診療所のモデルになった島であり、今では串木野から高速フェリーが出ていますが、海が荒れれば物資が届かなくなるし、医療に関しても天候が荒れれば届かなくなる中で義母は育ってきました。
90歳近い、私たちの親の年代は戦争を経験しています。さらに兄弟が多い場合も多く、義母は家系を助けるために、島を離れたのだそうです。
縁があり、東京に出てきて、義父と出会い今に至ります。
夫の姉となる第一子を生後1年で心臓病により亡くしています。
その時、「島の人だから栄養がよくなかった」という言葉を多くの人から言われたそうです。
淡々と話していますが、それが、どんなに酷であったかは想像に難くありません。

その後、配偶者である義父を肝細胞癌(胃がん、膀胱がんも経験したのち)で2011年に見送りました。その時に医療者から提言されたことが『終末期鎮静』
1週間、家族で悩み続け、最後に決断したのは義母でした。

そんな義母に、その後、息子である夫がスキルス胃がん、それも進行した状態であることを、私と夫は告げられなかったのです。
状況を見ていれば、ただ事ではないことはわかっていたと思いますが、旅立つ少し前に
夫から義母に真実を告げました。
義母は「自分が島の出身だから」と言いました。
それは違う。絶対に違う。
そんなこともあり、夫が旅立つ最後に残した言葉は「あなたの子どもで幸せでした。ありがとう」という義母への言葉であり、科学的に解明されることを願って、自ら『剖検』という病理解剖を病院に願い出ました。

私は両親を既に亡くしており、義母がたった一人の親です。
結婚以来、私は義家族によって嫌な想いをすることは一度もなく暮らしています。
私が、希望の会の理事長をすることも、義母にとっては複雑であるのだと思います。
いつも『あなたが頑張ってきた幼稚園の先生を辞めなくてはならなかったことが申し訳ない。自分の人生を大切に、体を壊さないでほしい』と言ってくれる一方で
なんらかのがんに対する進歩のニュースを知ると『哲也の命は無駄ではなかったのよね。
いつか、がんが怖くない病気になる日がくるのよねと』言うのです。

これは、私が出来る限り、自分が出来ることをやっていこうと思う原点であり、正直、子どもの頃からの夢であった幼稚園の先生を辞したことを後悔しない人生を歩むことも
親孝行であると思い続けています。

6月、私にとって初めての国際舞台でのスピーチの機会がありました。
5月に誕生日を迎えて、還暦となることを意識し、今後の人生をどう生きるか、いつになく考え、今までだったら選ばなかったであろう幾つかの選択もしました。
同時に、この感染から義母を守りたいと思い続けてきました。

これは、私の事例ですが、きっと、重症化の恐れがある身近な人がいる、そしてご本人は大きな緊張状態でずっと過ごしていると思うのです。
私は、居住地やさまざまな条件で接種に至っていますが、ワクチン接種を願っても、接種券が届いていないなどの理由で、未だに接種の見通しがたっていない方々が大勢います。

私は、生まれ育った、そして今、居住している場所により、医療、情報の格差が起きてしまうことの解消を心から願っています。
地域によっては、自治体に届いた声により、動いていくこともあります。
でも、それも地域差の解消にはつながりません。
もちろん、接種券の発送や接種場所、人員の確保などで、対応する側の方々の疲弊も理解できます。
だからといって、重症化の可能性がある方に必要な医療が届かないことを我慢するというのは違うのではないかと思うのです。誰かの責任とか、責めることからは何も生まれないと思っており、協力していく方法があるのではないかと思っています。

接種を体験して私が思うことは、これは、ただの風邪なんかじゃないということです。
接種が終わったら、もう感染しないと思ってしまい、気持ちが緩むことも怖いです。
甑島は、言葉にできないくらい美しい島です。
天候がよく、旅人として訪れれば、帰りたくなくなる時間が流れています。
でも、そこに暮らしていく日々には、厳しい現実もあります。
日本全国に、そのような場所があると思っています。

多様性を理解し、好事例を共有し、必要なことを地域差なく届けていく。
あのまま、私が教員でいたら、このことの重みに気づかないまま、自分が「出来ている」ような気持ちになっていたかもしれないなと思うことがあります。
まだ、怠さがあるのは、休みが必要なのだと受け止め、ちょっと休んで
また、出来ることを考えていこうと思っている雨の朝です。

※写真は夫のがんがわかってから、たぶん最後になると思いつつ、家族で甑島に向かうフェリーで撮ったもの。きれいな海です。

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全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。