なぜ反対派になっちゃうんだろう

前回、がん教育について書きました。

危惧していることを発信すると、大抵

『○○が嫌い』『反対派』と言われてしまう。

キャンサーギフトの時も、人生会議についてもそうでした。

好き嫌いを言っているのではないのです。

【教育の重み】


最初からうまくなんかいかない。

まずは始めること。

やっていることに意義があり、そこから成長していく。

そのこと自体は、そうだと思いますが、

それって、目の前の子どものこと、考えているのかな。

その子にとっては、やり直しがきかない時間なのです。

教育に完璧はありません。

何年やっても、これでいいということはない。

だからこそ、その時、いろいろな角度から考え、気づいていなかったことを

次に活かしていく。

どんなことにもスタートはあります。

踏み出すことがまず大事です。

そこに『こんな感じで、まずはいいよね』

という甘えが入ってしまったら、ぬるま湯を作ってしまう。

甘えを許してしまうのは、仲間意識なんじゃないかなと思っているのです。

高め合う仲間って、時に、厳しいこともあるんじゃないかな。

『頑張った』『やった』ということを褒め合う空気は

結局はお互いを成長させないので、同じ勤務年数の同僚とつるむなと

教員時代に言われました。

これも、もう、古い考え方なんでしょうね。

【私が見たこと】

なにを危惧しているのか。やはり、具体的に書かないと伝わらないと思うので、書こうと思いました。

このことは、今までも、会議の席でも意見として話してきたことです。

私が最初にがん教育の授業を観たのは、夫の生前で、夫と一緒に参観をしました。

教室に入ったとたんに感じたこと。

このクラスは荒れている…

校長や、教頭が、生徒たちににらみを利かせていました。

なぜか。

参観だからです。

それは授業中も同じでした。

たぶん先生たちは授業を聞いていない。

この授業が、何事もなく終わることに神経を向けているように感じられてしまいました。

授業中、外部講師のお話に、こどもたちが心を動かしていく空気が感じられました。

もぞもぞしていた子たちが、全員、前を向き始めたのです。

それを台無しにしたのは、教師だと、私は思いました。

授業の最後に、担任が

「だから、私はあなたたちのことが大切なんです」と泣きました。

へっ?

今、話していたのは、そんな話じゃないでしょ…
でも、一緒に教室内にいた、校長も教頭も、それにうなづいたのです。

子どもたちの心が、すっと離れていくのを感じました。

授業が終わると、外部講師の側に行こうとする子どもたちもいました。

それが視界に入っていたかはわかりませんが、外部講師を校長先生たちは

別室に誘導しました。

授業を聴いて、心が動いたから、言葉にできないけれど、身体が動いた。

それこそが、大切なことなのに、そこで区切られてしまったのです。

【感想文】

子どもたちには、外部講師の方に、感想文を送ることが課せられました。

ああ、ダメだなと思いました。

学校は、感想文が好きです。

なぜか。

やったという成果が形で残るからです。

そして、たぶん、この学校からは授業への賛美しか届かない。

提出前に、先生の検閲が入るからです。

文章にすることが宿題になった時点で、子どもたちの真の心の動きが止まります。

私は、とても残念に思いました。

【生きているだけで】

がん教育の中で、決まり文句のように使っている人がいるフレーズ。

『生きているだけで金メダル』『生きていることが金メダル』

『今日は、誰かが生きられなかった明日』

この言葉を授業の中で聴いた時、夫が涙を流したことは、前回、書きました。

命の大切さを伝える。

ちょっとくらい苦しいことがあっても、命を無駄にしないように。

きっと、そこに気づかせるために言っている言葉なんですよね。

美しい言葉かもしれません。

ただ、旅立っていく人にとっては、刺さります。

生きていることが金メダルなんだったら、自分たちはなんなのか。

例え、誰かが、このフレーズを授業で話したとしても、それが流行りのように

黄門さまの印籠のように使われることに、私は違和感を感じてしまうのです。

これって、過敏なんでしょうか

【願えば叶うという授業】

別の授業では、がんで進行した状況で見つかった人が

闘病中、両親に「あなたがいてくれるだけで」と言われ

生きたいと思った。

そして、自分の明るい未来を想像した。

あの時、存在を認められ、未来を思ったから、自分の今がある。

だから、どんな時も諦めちゃいけないという話をしていました。

この方は、多くの学校でがん教育の授業をしています。

そこから思うのは、学校側が、外部講師を「知り合い」「紹介」

「自薦」で選んでいるのではないかということです。

もし、がん教育の本質を理解していたら、こういう内容をどう思ったのか。

その授業を受けた子どもたちには、これが「がん」への理解になるのです。

【ふたりにひとりだからジャンケン】

別の授業では、

国民ふたりにひとりががんになるということを伝えるために

子どもたちを二人組にして、ジャンケンをさせていました。

絶句しました。

がんになった人は、負けたという印象を植え付けていないか…。

このような経験を通じて、私はがん教育への危惧を抱くようになったのです。

こういうことを言うと、小さいことにこだわりすぎると言われてしまうのが常ですが、これ、小さいことなのかな。
がんの本質を理解し、自他の健康への意識、行動変容に繋げ、

それぞれの生きる力を育むのが、がん教育の目的なのです。

命を、病を、感動で終わらせず、理解に繋げるって、とても尊いことだと

私は思っています。

【授業にこなくていいと言われるこどもたち】

子どもたちの中には、身近な人を、がんで亡くした人もいます。

また、自らが小児がんと向き合っている子どももいます。

がん教育での注意点として、いろいろな背景があることを考え

最大限の配慮をするということがあります。

配慮

上記の体験をもつ子どもたちの中には、

今日はがん教育があるから、学校に来なくていいと言われているケースがあることを知りました。

これが配慮だと思っている場合もあるということです

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がん教育がきっかけで不登校になるケースも実際にあるのだと知りました。

その実態を、がん教育に携わる外部講師、学校が、真っすぐに受け止めることが、がん教育を、本来の意味で深めていくのではないでしょうか。

【真実】

医学は進歩しています。

以前と比べ、がんになっても、=死ではなくなってきています。

だから、がんを過度に怖がらなくていいと伝えることは大切なことです。

でも、全部のがんが治るわけではなく

旅立っていく人がいるのも事実。

いつか、がんが、誰にとっても不安にならない病気になるように

研究が真剣に行われている。

そして、自分たちに出来ることは、もし自分だったら

自分の周りにいる人ががんだったらと考えていくことなんじゃないかという

心の動きに繋がると良いなと願っているのです

がん教育を、誠実に、真剣に考え、携わている方々が多いことも知っています。


私は、がん教育の反対派ではありません。

しっかりした内容のE-learninngにも安心しました。

素晴らしいと思いました。

だからこそ、一部の人の言動が、心配なのだと伝えたかったのです。




全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。