自分の仕舞い方

明日から5月。
今年は、誕生日を迎えるって幸せだなと思えています。
夫が55歳の誕生日を目前に旅立ったので、自分が55歳になる時には罪悪感に似た気持ちも抱きました。
誕生日が来るたびに、なんで生きているのが私なのかという気持ちが沸き上がりました。だから、今年の変化は嬉しいです。

今年で59歳になります。
希望の会に対して考える時がやってきたという想いも強くしています。

夫が患者会を立ち上げる時、正直、私は反対でした。
死が概念ではなく現実のものになってしまった日々だからこそ、その日々を自分自身のために精一杯生きてほしいと思いました。
しかし、夫は頑として意見を変えませんでした。

その後、夫と同様、厳しい状況にありながら、自分と同じような状況にある人、さらには自分には届かなくても、未来の医療、社会がより良いものになることを願って行動する方々に出会ってきました。
心がついていかないまま理事長を引き継いで5年。
いくつかの出会いが、自分の未熟さに気づき、社会に生きるということの意味を考える機会を与えてくれました。
痛い想いを重ねましたが、今、素直に、自分を豊かにしてくれた日々だったと思っています。

希望の会には、毎日、複数の電話、メールが届きます。
継続に向けての基盤を作ってから去ることが、私に課せられたことなのだと思います。
ただ、継続してほしいと簡単には言えません。
知識も覚悟も責任も求められるうえ、活動はボランティア。仕事ではないのです。想いがないと難しい、厳しいことだと思っています。
想いがあるということは、当事者でもあるわけです。
自身の感情が源にあることを、個人の感情で終わらせず、社会に少しでも届くように発信するためには、個人ではいられない厳しさが問われているとも感じています。

運営も綱渡りです。
治療を求めて遠方に通院する患者さんが少なくないことや、厳しい状況で職を失い、経済的な厳しさがあることも知っていた夫は、希望の会は入会金も会費も取らないと決めました。
希望の会は、私たち夫婦を知る人や、患者家族、遺族からの500円からの寄付を基に運営してきました。
開催するセミナーに登壇してくださる医療者のみなさまも、その状況を知り、手弁当で支えてくださいました。移動に必要な経費は、自腹。
情報発信の場として大きなフォーラムに参加するには、会から二桁を超える万円の費用を拠出する必要があります。
このままで去るのはあまりにも無責任です。
がむしゃらだけが取り柄?で生きてきてしまった私が、これからの日々で向き合うべきテーマが『自分の仕舞い方』なんだなと思っています。

SNSで繋がりを持ってくださる方が多いからか、私のもとには、クラウドファンディングのお知らせや、シェアの依頼がいくつも届きます。
納得できる内容のものは、自分でも可能な限りの協力をしていますが、
正直なところ、なんだろなと思ってしまうこともあります。

病に向き合っている人の日々、未来が少しでも良くなること、命に繋がることを願っての活動こそ、多くの人の未来を変えていく。
その活動は形として見えにくいのかもしれません。

病に関連した活動をしているからか、なんとなく、お金の話と距離をもってしまう気持ちがありましたが、そんな自分を変えていかないと、私のような昭和なやり方は通じなくなっていくのだろうと思う誕生日目前なのでした。

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全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。