最期の時くらい

フォーラムの一番大きなテーマは『最期を生きる』であったと思います。
踏み込み、挑んだという覚悟を主催者側に感じました。

このテーマがあるから、私にパネリストの声がかかったのだとも思っています。

昨年末、人生会議のポスターに対して意見書を送り、渦中に入った時、私には、『寛容になれ』という意見も届きました。

このテーマに発言することは、私には覚悟も必要でした。

【もしバナゲーム】

もしバナ


フォーラムは、テーマごとにVTRを観た後、パネルディスカッションをする形式でした。

もしもの時に大切にしたいことを書いたカードで、だんだんカードの枚数を減らしていくゲーム。もしバナゲーム。

家族をはじめ、近しい人だからこそ、『死』や『人生』について語り合うことは日常には少ないように思いますから、ゲームを通じて見つめていくことも、一つの大切な方法だと思います。

もしバナゲームは医師が考案したもので、VTRでは、介護に携わる方々が、もしバナゲームをしている光景が流れました。
「患者さんとのACPに役立つ」というような感想もありました。

『役立つ』

う〜ん…と思ってしまいました。
『有効』
私は、このカードで人の気持ちがわかるということに違和感を感じてしまいました。
ゲームをして見えてくるのは、自分の気持ちなんじゃないかなとも思いました。

想定できなかったことも起こります。

人の気持ちは揺らぎます。

その度に、選ぶカードは違ってくるんじゃないかな。
ゲームとしてやる中では、触れられたくない気持ちを人には見せないかもしれない。

一回ゲームをして話し合ったから、その人の意志がわかるということじゃないと思うので、『ツールとして有効』という視点に不安を感じたのかもしれません。

意見を求められた私は、このような内容を話しました。

発言しながら、『寛容になれ』と言われた時に感じた気持ちと

発信者としての自分とが闘っていました。

【最期まで耳は聴こえているから】


フォーラム最終のVTRには、ある男性の旅立ちに向き合う家族の姿が映されていました。

フォーラムの打ち合わせ段階から、この映像には様々な意見がありました。
生々しい光景がそこにはありました。

1,000人に及ぶ参加者の多くは、がんと向き合う当事者だと思います。
辛さを突き付けてしまわないか。

映像への賛否がある中で、踏み込むため、映像は、そのまま流すことになりました。

すすり泣く音があちらこちらから聴こえましたが、会場を後にする人はほとんどなく、会場も共に考えている空気を感じました。

私は、この映像が辛かったです。

いろいろ思うことはありましたが、映像の中の
「最期まで耳は聴こえるから、話しかけてあげてください」という言葉を聴いた時、胸が重くなりました。

両親、義父、夫。家族の旅立ちのたびに医療者から言われた言葉でした。
『話しかけてあげてください』

その言葉に突き動かされるように、VTRの中でも家族が語り続けます。
『あげてください』だから。

夫の最期の時がはっきりと蘇りました。
あの時、駆けつけた親族が、口々に語り続けていた。
VTRを観ながら、私は
あの時、ひたすら手を握り、体温を感じ、繋がっていたかったという自分の気持ちに気づきました。

そうか。

私は、がん患者と家族という枠にはめられて、自分たちの日常が変わっていくことが辛かったのかもしれません。

叫びたい気持ちに蓋をして、がん患者家族として「すべき」ことを必死で頑張っていたことが辛かったんだと思いました。

病気になることは、日常が形を変えていくこと。
崩れたバランスを埋めるべく、もがいていきました。
どうやったら欠けたものを埋めていけるのかを、必死で頑張っていました。

直視できない弱さも許して欲しい。

本当は泣き叫びたかった。

最後まで耳が聴こえるからと言われたから、彼を不安にしないように泣き叫ばなかった。

医療者が話しているのは、「意識がないように見えても、最期まで耳は聴こえるから、言いたいことがあったら話せますよ」という意味なのだと思います。

でも、「○○してください」と言われたことを、必死に頑張っていました。

それが辛かったのですね。

【今の私を支えているもの】

今回、フォーラムの登壇で得たことがありました。覚悟を持って、自分と夫のあの時を見つめたからこそ気づけたのだと思います。

それは、私の中に、夫の言葉、感覚が、確かに存在しているということです。


私は今も夫に支えられていると感じ、やっと私は、夫の全てが消えたのではないと思えました。

共に過ごした感触や、語り合ってきた言葉…。

最期の瞬間に立ち会ったとか、何の言葉を遺したかではなく、彼と過ごした日常の思い出が私を支えているのだと感じました。

今回、旅立ちを前に、家族の時間への取材を受けたご家族の覚悟の尊さを思います。

その覚悟を感じ、私も自分の深いところを見つめることができたのだと思います。

夫がいなくなった今の私の日常は、夫と共に過ごした日常とは変わっています。

3年半が経ち、私は笑い、行動もしています。

それは強いからではないし、成長したのでもないし、乗り越えたのでもない。

今を生きている。

それでいいんだと思えました。



全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。