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一度死んだから言えること


◉そこに愛はある!

実は、リハビリ病院に行ってから、それも退院間近になった頃に、二度しか面会が出来てなかったのです。

最初の病院は完全に無理でしたが、こちらの病院へ転院した際の約束では、一週間に一度くらいは会えるはずだったのです。

しかしながら病院内のスタッフが、P〇R検査によって数名引っかかってしまった事から「感染者が出た!」となり、外部から訪問は無理となりました。

地味にすごくショックでした!あるかどうかもわかんないウィルスで、何でもかんでも引っかかると言われる検査を受けて、それで感染したからと言い、全てがストップする。

2〜3日の発熱なんて、風邪かインフルエンザと同等程度です。死なない。

私の様になってこそ、そうだよねと言われるものです。それだってずっと曖昧なまま、結局は対処療法でしか無くて、その実態は誰も何にも説明が無いままです。

まぁ今更愚痴を言っても仕方ないですけどね(笑)それが仕掛けた支配者のやり方ですからね。

つまり11月に入院してから、転院の際に息子たちと手を取り合って以来、すでに3ヶ月も家族と面会はありませんでした。

5月になって規制が緩み、ようやく面会が出来ました。それも病室の入り口とベッドという4メートルは離れた関係で。

まぁ直に会えたから嬉しくて堪らなかったのですが、二度目は担当のPT気を利かせてくれて、リハビリをわざと入り口近くでしてくれて、おかげですごい近くで面会が出来たのです。

ちなみに病室を変わった事で窓側になり、自力で立ち上がれる様になってからは、窓越しに電話で話をしていたので、すごく有り難かったし、そのおかげで寂しくもありませんでした。

そういえば2つ隣のベッドのおじさんは、意識が無かった人なのですが、そこの奥さんが面会に入り口から呼び掛けると、言葉にならない呻き声を出して、一生懸命答えておられました。

「〇〇さーん」「〇〇子です!聞こえますか?会いに来ましたよ」と下の名前で、何度も呼び掛けたのです。下手なドラマより泣けました。

「お父さん!」では無く、名前で呼び合う夫婦の絆みたいなものがそこにはあって、奥さんはご主人の事が本当に好きだった、いや今も好きなんでしょうね。

まるで若い恋人同士の様な、呼び掛けと必死に応答している姿に、感動を覚えずにはいられなかったのです。

私だって、妻のゆあんさんが私を待っています。側に居たい人たちのもとへと戻らねば、本当の意味で病気を克服したとは言えません。

改めて「早くに帰らなば!」と強く思いました。


続く


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