見出し画像

一度死んだから言えること!

◎回復することで起こった死ぬ思い3

痰とは、気管の杯細胞が要らなくなったものを排泄する”ゴミ”と言ったものだと前回も書きましたが、健常態であれば、軽い咳払いで胃に落ちて気づきもしません。だが私は肺が3分の2もやられたので、肺を総取っかえするように咳をガンガンしてゴミ出しをしなければなりません。

だからその量が半端ないだけでなく、タチが悪い事に鼻水程度を普通とするなら、私の場合はドロッとして大きくて、吸引をしてもカテーテルに吸い込まれないのです。まさに青痰というような緑色のスライムのような奴(笑)

看護師「あなたの場合はドロドロして吸い込んでも詰まるのよ」
   「時々石みたいに固くなってカニューレにこびりつき大変なの」

そんなことを度々言われるのですが、肺の空気事吸い出される私にとって、何の慰めにもならず、吸引してもしなくても窒息が起こるのです。そしてその時に見苦しいくらいに身体はバタバタとベッドの上で動きます。

だから毎度涙を流して苦しむのですが、それが夜中に酷くなる時期が年末から年始に掛けてでして、取っても取っても咳が止まらずどんどんと出てくるのです。そのたびに先ほどの事を言われるのです。

時には前述したようにカニューレに固まってへばりついたものを、カテーテルを使ってこすり落とすようにして吸引するので、そのこと自体がカニューレを動かす事になり、切開部分とこすれて痛くてたまらない上に、その間は私の肺の酸素は奪われ続け死ぬ思いをするのです。

そう言えばこの頃の私は、”ナースコール”の存在が分からなかったと以前書きましたが、この頃はそれを教えられたものの、そのボタンすら押す指の力が無く、手のひらで押せるような大きなものを用意してくれました。

看護師「このボタンだと手のひらで押せるからね。何かあったら呼んでね」

と言われても、実は頭を起こす力もないのでそのナースコールの所在が分からないので、何とか手を動かして暇があれば確認して、喀痰になった時に速やかに押せるように手元に置いてもらったのです。

でもね体位変換をするたびに何かと移動してしまうのです。担当看護師でない介護士さんが来たときなど、手元に置いとくのは邪魔とばかりに、私の届かないところへと置かれてしまうのです。そんなことの繰り返しです(笑)

も~泣きたい!( ノД`)シクシク…

このように大したことでない事でも、私には窒息の危険が頻繁に起こるので必死です。声が出ないのでこちらの状態を伝えられず、そんな中で喀痰が怒涛のように押し寄せてくることがあったのです。

ある時に、私の吸引に必死に向き合ってくれた看護師さんがいらして、夜中に咳が止まらなくなって喀痰が酷かった時に、「今夜は徹底的に度吸引しましょう!」と言ってくれました。

それは熱心というのか意地というのかはここでは書きませんが、咳をするたびに出てくる痰を、片っ端から吸うのです。私も何度もやるのも苦しいのでやめて欲しいのですが、それをしないと死ぬので、「がんばって!」と言われながら耐えていました。結局2時間に渡って吸引してくれましたが、まるで拷問のような2時間でもあったのです(´;ω;`)ウゥゥ

ちなみにこの人はそれを間を開けて2回行い、「とっても大きいのが取れましたよ!もうこれで大丈夫」と喜んでいました。ですがそれがどれだけの時間もったのか?と言えば、しなかったよりは良かった程度で、私にとってはあの悪魔のPTを思い出すほど、嫌な出来事として今も記憶しています。

このように治る過程で仕方ない事ですが、あんぽんたんになっている私には、自分の事の状況が分からず、なぜこのように辛い思いをするのかの説明もないまま、最もつらい大晦日への3日間が訪れたのです。

続く








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?