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「あの人は、わたしだったかもしれない」支援金を寄付して。

2024年1月1日、東京の実家でくつろいでいた夕刻に、緊急地震速報が流れた。

「いやだね、揺れるね」と言いながら、あれよあれよと揺れが激しくなっていく。

「これは、大きいぞ。」

テレビのチャンネルをNHKに変える。ややあって、震源地は石川、震度7の速報が発表された。

土埃の舞うライブカメラ映像。白波の立つ海岸。私たちは、それを眺めることしかできない。


今わたしにできることは

私は毎月、ユニセフのマンスリーサポート・プログラムに参加している。

この習慣は、コロナ禍から始めた。私の実家はしがない蕎麦屋で、それでも両親は私たちきょうだい3人を大学へやった。

その後、色々あって、実家はたたんだ。今は、母が細々と、別の収入源で暮らしている。

もし、私が学生時代にコロナが流行したら。長女の私は、大学を諦めたかもしれない。そうして同様に、そういう学生が大勢出た。口々に、彼らは語る。そのニュース映像を見る。

私は確信した。あの子は、私だったかもしれない。

それから私は、出身大学へ寄付をし、今は先述の通り、ユニセフへ寄付をしている。

さて、能登半島地震が起こった時、ユニセフからの活動報告の小冊子が、ちょうど手元にあった。そうだ、私にできることが、まだある。寄付だ。


「支援金」と「義援金」の違い

寄付には2種類ある。「支援金」と「義援金」だ。違いは以下の通り。


出典:「支援金と義援金の違い」(日本財団

支援金とは

  • 支援団体を選んで寄付する

  • 寄付された金額で、支援団体が必要だと考える支援を実施する

  • 被災地での救命・復旧活動に使われる


義援金とは

  • 被災者に公平に分配される

  • よって、救命・復旧活動には使われない

  • 被災者に分配するため、配布に時間がかかる


支援金の使い道は?

支援金の使い道をさらっと検索したが、まとまったページは出てこない。なぜなら、支援金は「各支援団体がとりまとめるから」だと、上記を調べてはじめてわかった。

私は続けて、サジェストワードをクリックしていく。赤い羽根募金にあたった。そこに、支援金の使用用途が掲載されていたので、目を通した。


  • 被災地で行われるボランティア活動や、震災の影響を受けてさまざまな課題や困りごとを抱える方々を支える活動を支援新たなコミュニティに移転した方々の孤立・孤独の防止

  • 元々の地域でのコミュニティ維持のための交流会や地域の行事

  • 心のケアや生活支援



私は、2013年5月に、福島県南相馬市へボランティアに行ったことがあった。旧警戒区域で、水道が復旧していなかった。まだ、2年しか経ってないからな。その時はそう感じた。

しかし、その後も復興はまだまだ続いていたのだ。そうだよね、ずっとそこで暮らすと思っていたのに離れざるを得なかった故郷、そして見知らぬ人との生活。孤独にならない訳がない。

マズローの欲求5段階説を思い出した。私たちは、衣食住が足りれば生きていけるのではない。心がなくちゃ。


支援金を寄付しました

そんなこんなで、ほんの少額だが、寄付をした。えばれるほどのものでもない、本当に心ばかりの。それでも、「やらないよりマシ」。私のモットーである。

福祉や社会貢献を考える際、いつも思うことがある。「あの人は、わたしだったかもしれない」。これはいつも根底に眠っている。

とても暗い考えだ。でも私は、考えずにはいられない。だからこそ、私はいつも、社会に関心を持てている。わたしだったかもしれないあの人が、救われますように。


このたび、被災されたみなさまには心からのお見舞いを申し上げます。
また、救援物資を運ぶ予定だった海上保安庁の飛行機に搭乗し、亡くなった方へ、お悔やみ申し上げます。

これからは、悲しいニュースのないように。「わたしだったかもしれないあの人」が発生しませんように。祈りを込めて。


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