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管理職まで経験したのに。仕事を辞めたくない、

退職まで3週間を切った。走り抜けてきた社会人生活に、一区切りをつける。


わたしは一時期、ワーママ管理職だったことがあった。 その時のことは、思い出したくもない。今はまだわたしの「黒歴史」だ。

なにもうまくできなかった。仕事人としても、家庭人としても。すべてがいっぱいいっぱいで、なのに、すべてが中途半端だった。これを残した、という成果を、挙げられた覚えがなかった。

このままだとわたしの家庭が壊れてしまうと思い、自らダウングレードを願い出た。そしてそれからは、ヒッソリと過ごした。夢を見なかった。


第二子出産後、部の顔ぶれや仕事の進め方がまるっきり変わってしまい、別の会社に転職してきたかのようだった。一年ぶりの仕事は、うまくいかなかった。徐々に慣れて、来年からはアクセル踏もうと意気揚々としていた矢先、主人の海外転勤が決まった。

そうしてわたしは、仕事を辞めることになった。





先日、退社面談があった。当社は、退社する社員に外部のキャリアコンサルタントによる面談がある(つくづく、良い会社だなと思う)。

わたしは、完全にプライベートな理由による退職だし、仕事ができないのは能力がないせいだと自覚していたので、面談にそんなに積極的ではなかった。


「会社に対して、もっとこうしてくれたら働きやすかったのに、という思いはありますか?」


その質問に、わたしはありのまま答えた。
特にありません。管理職を継続できなかったのも、その後の目標を持てなかったのも、わたしの実力不足です、と。模範解答だと、自分でも思った。それを見抜いたのか、面談相手は、キッパリとわたしに言う。


「でもそれだと、みなさん自ら退く方向にいってしまいます。優秀な女性の管理職登用は進みません。」


ハッとした。そうだ、わたし、管理職になるとき、どういう想いを持っていたんだっけ? 「ワンオペワーママでもここまでできる」、それを後輩女性に見せたかったのではなかったか。自分が描いた夢に、後輩の夢を重ねてもらいたかったのではなかったか。

だれもいないなら、わたしがなる。そう思って、引き受けたのだ。その夢が破れて、わたしは、ふてくされていただけなのだ。

いま、わたしが変わることで、後輩の未来が変わるのかもしれない。それが大きなうねりとなって、ひいては娘の生きるこれからの社会が変わるのかもしれない。


わたしは、「わたしの能力不足でした」と悦に入っている場合ではなかった。どうして、優秀だと評価された女性が管理職を継続できなかったのか。その後、彼女はなぜ夢や目標を持てず、キャリアを見失うことになったのか。それを考えなければ道はない。黒歴史だと、痛みに蓋をしている場合ではなかったのだ。




わたしは、管理職時代の資料をひっくり返した。その中に、ずっと見返せなかった資料があった。

わたしがいない場で、人事がチームメンバーを集めてわたしの良いところ・直してほしいところをヒアリングしたシートだ。3年ぶりくらいにそれを眺める。

「1on1で、業務の話だけではなく、キャリアの相談に乗ってくれる。」
「話すとポジティブになれて、またがんばろうと思える。」
「やらなければならない仕事を、高圧的な態度ではなく、共感しながら振ってくれる。」
「すごく忙しいので、高咲さんの仕事をもっと引き受けたいと思う。」


ああ、わたしは案外、良い上司だったのかもしれない。





仕事を、辞めたくない。続けたい。どこまでできるか、夢を見たい。ああ、こんな仕事ができるなんて、自分はなんて恵まれた環境にいたんだろう―――。

そんなわたしの逡巡を見透かしたように、尊敬する先輩が言った。


「高咲ちゃんは、まじめ。浪人も留年もせず、育休も最小限だけ取って、ずっと働き続けてきた。3年くらい、夏休みみたいなモン。思いっきり楽しんで、そのあと、戻っておいで。戻ってこられるから。」




わたしは、愛すべき「会社員」の地位を降りる。それは、変えられない現実だ。

でも、未来は? 会社員でなくなったら、無価値?

そんなはずがない。働き続けたい。本帰国しても、まだ30代、まだまだだと、自分でもわかる。

わたし、なにができる。どうなれる。これからは、それを考えて行くフェーズだと定義したい。


望んだ環境でなくても、望んだ未来をたぐりよせる。そうして、今の現状を「これでいい」と思えるような、そんな生き方がしたいと決意する、退職前。




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