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「うちの子になったね」

私が出産した病院は母子別室だったため、入院している間は、親といえども、我が子に気軽に会いに行くことはできなかった。
母である私が息子に会えるのは、3時間おきに設定されている授乳時間のとき、新生児室でだけ(ちなみに父親は完全予約制の「ふれあいタイム」で、1日30分しかふれあいが許されない)だった。

入院していた5日間を思い出すとき、いつも最初に目に浮かぶのは、薄手のおくるみでみのむしのようにくるまれながら眠る息子の姿だ。
母としての私の仕事は、彼に巻かれたおくるみをはがし、おむつが濡れているかどうかを確認することから始まる。
私はそれをしながら、なんだか情けない気持ちで、いつも考えていた。

「この子はもしかしたら、こんな風に上手におくるみを巻いてくれた人のことを、母親だと思っているのではないかしら」

***

「母親だということに、あぐらをかいてはいけない」

私より1日退院が遅れた息子を迎えに行ったそのとき、私は誓った。

妊娠中に用意した肌着とベビー服、義母が縫ってくれたおくるみに包まれた息子は、なんだか戸惑った表情を浮かべているように見えた。

「え、あなたなの?」
「ぼくを連れていくのは、あなたなの?」

息子が生まれたのは、あと数日で1年も終わるという年の瀬のこと。年末年始は緊急のお産以外予約を受け付けていないという病院の新生児室からは、次々と赤ん坊の姿が消えていった。もちろん、みんな家へと「帰った」という意味でである。
退院日、看護師さんたちが「今日は赤ちゃんが8人しかいない(それなのに看護師さんたちはいつも通りの人数勤務している)」とぼやいていたのを覚えている。
最後から8番目だった息子は、もしかしたら自分が迎えに来てもらうのを、今か今かと待ちわびていたかもしれない。いったい誰が自分を連れて行ってくれるのだろうかとワクワクしていたかもしれない。

だからこそ、自分を抱き上げたのが「私」だったことに、衝撃を受けたのではないかと思ってしまったのだ。

新生児室の看護師さんたちは、みんなプロフェッショナルだ。
生後0日から5日までのふにゃふにゃした生き物を、なんとも上手に扱って見せる。
その立ち居振る舞いたるや、自分から生まれた子どもすらこわごわとしか抱っこできず、ろくに泣き止ませることもできない新米母に比べ、なんと堂々とした母っぷりだろう。

「私よりも息子を心地良く抱っこしてくれて、上手にあやしてくれて、おくるみをきっちりと巻いてくれて、安心して眠らせてくれる人が、この部屋にはたくさんいる」
「それなのに、息子を連れて帰るのは私だ」

当たり前のことだけれど、当たり前だと考えるには時間も自信もなさすぎた。

慣れ親しんだ自宅だって、私や夫にとっては連れて「帰る」だけれど、この病院で生まれた彼にとっては、初めて連れて「行かれる」場所だ。
しかも、温度的にも湿度的にも健康維持的な観点においても、新生児室より快適な場所などないだろう。

「努力しなくてはいけない」

と、私は身構えた。
息子にとって大切なのは、血のつながりとか、お腹の中にいた十月十日という時間の尊さとか、そんな目に見えないぼんやりとしたものではない。
息子が生まれてから退院の日まで、「ママといると嬉しいわね」「ママに抱っこされると安心するね」なんて言葉を看護師さんたちから何度も何度もかけられてきたけれど、そのたびに「いや、そうじゃなくない?」と心の中で叫んでた。たぶんこの子、あなた方に抱っこされてる方が、嬉しいだろうし安心すると思います。こんなに不安定な抱き方をして、上手に哺乳瓶をくわえさせられない人とずっといるの嫌だなあ、くらいに思っているんじゃないでしょうか(たぶん、そう思う理由の一つに、母乳ではなくミルクで育てているから、というのがあるのだろうけれど、この話はまた別途)。

勝負(なんの勝負かは知らないけれど)はきっと、これからだ。
私は母親になったのではない。今からなるのだ。なってゆくのだ。


***

生後4か月を迎えた息子は、首が座り、感情による笑顔を浮かべられるようになり、人の顔を識別できるようになった。
無表情でプラスチックケースの中に横たわっていたときと比べると、人間としてびっくりするくらいの進化を遂げている。

彼は最近、私といると夫の顔を眺め、夫といると私の顔を眺めるようになった。そして3人が近くに寄り添い合って固まっている時、もっとも嬉しそうな笑顔を浮かべてくれている(そう信じている)。

また、出先から家に帰った時の反応も顕著だ。
家の中での彼の居場所であるベッドやハイローチェア(つい、「いちくんの巣」などと言ってしまうけれど……)に置かれた時、彼はそれまでの緊張感から解放され、突然あうあうと声を上げだしたり、にこにこ笑顔を浮かべたり、手足をバタバタ動かし始めたりする。

100日と少しの時間をかけて、彼はようやく、私と夫に「あなたたちがお母さん、お父さんでいいよ」と許してくれたような気がする。

そして私はしみじみと、「ようやくうちの子になってくれたね」と語り掛けるのだ。

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