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ジャッジせず、自らの心に平安を


人間関係が楽しくなくなる一つの原因は、
 
自分の大切にしている価値観もそうだし
相手が何に価値を置き、大切にしているのか、
 
それを見ないことにあるのかも、しれません。
 
だいたい、人間関係のいざこざは、
 
自分が大切にしていない価値観を
他で軽視する傾向にある、ということ。
 
 
「なぜあの人は動いてくれないの?」
「なぜあの人は自分勝手なの?」
「なんて理不尽な人なの?」
「○○さえなければ完璧なのに」
 
  
良い面というのは、
あなたの価値観に合致したものをいい、
 
悪い面というのは、
あなたの価値観に合致しないものをいいます。
 

つまり、自分の物差しでしか
人を見ることができなくなった時、
 
また、「絶対」という正しさが
介入した時だけ、
 
「あんな人だとは思わなかった」が生まれます。
 
 
その物差しと、絶対、これが消えたら??
 

ただ、その人はそうであった、そう思い、そう感じたんだな〜、というジャッジする必要のない事実だけがそこにあるのだと思います。
 
 
恋愛でも家族でも友人との関係でも、また会社での関係性も、まあ、旬な話題なら政治もですね。笑
 

特に政治においては、当然ながら信念が人一倍あるでしょうし、映画ではなくリアルな世界のそれは、賛否両論あるものだと思います。
 
ただ、知ろうとしないより、一歩、自分の物差しから抜けて、「絶対」を抜けて、相手のその信念がどうして生まれたのか、その人が言わんとしていることはなんなのか。大事にしている価値観はなんであるのか。"想像(思いやる)"することはできます。
 

そうすると、戦っていたのは、自分の中の正しさであり、また、その人ではなく「特性」に反応しただけ、ということに気付けたりします。
 
 
そしてそれは自分のものだということがわかります。そういう時は、ただ「認めて」いいのだと思うのです。
 
あ、自分にもそういうところあったな、って。そか〜って。それ、認めたくらいで、死にはしません。笑
 
むしろ、認めたことで、嫌だな〜って思っていた人への解釈が変わっていく。関係性の変容が起きていきます。過去の延長線上ではないソレは、もはや全く新しいフィールド上で起きていることです。
 
 
良い面も悪い面もどちらも、あって良い。そう思えたら、あなたの心が平和で安心です。


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