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感受性を磨く。成長や拡大ではなく、ミクロな方向への進み方。

(前のブログからつづいております。)

本当の感情や感性を押し殺すことで、システマチックに生産をして、必要もない消費を促すことに精を出してきた社会が、終焉に向かいつつある。というか、早く終わってくれ。

ものは溢れているし、もうこれ以上便利にならなくていいし、寿命も伸ばさなくていい。というか、そのうち勝手にAIは進化するし、人間のDNAに刻まれた探求本能よって科学も医療も発展する。

このままの社会を発展させることを怠ったところで、不幸になるようなことは、そんなにない。

まだ貧困の人もいるし、病気の人もいる、と言う人もいるかもしれないけれど、このまま資本主義社会が発展したところで、その人たちが救われて幸福になるわけでもないような気がしている。


最近、拡大や成長という言葉に、ものすごく違和感がある。

私たちの島は、もう人が減っているのだから、ものは少なくなっていっていいはずだし、これ以上便利になることに、幸せがくっついてくるのだろうか。

そんな局面にもう来ていると思う。

人口が減り始めてから、地球が壊れ始めてから、サステナビリティなんていう議論をはじめる、妙なパラドクス。なにをしたって、全体として、日本という国の人間は減っていく。地球の資源は減っていく。伸びしろのない土壌で、持続的な拡大とかできるはずもないのだ。

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代わりに、めちゃめちゃ伸びしろのある部分がある。

それが「感受性」だ。

世界と比べても、やたらと幸福度の低い日本は、高度経済成長を経てなお、ほぼ横ばいの幸福度。過去、日本の経済成長と幸福度のグラフに相関関係がなかったのだから、今後もないだろう。

むしろ、モノが溢れるにつれ、いろんなことへの感動や感覚がどんどん鈍っている。ある程度のおしゃれは安く簡単にできるし、500円出せばタピオカを買って友達と自撮りしてインスタに載せていいねがもらえる。洗濯も食器洗いも掃除も、機械に任せられるのが当たり前になったし、音楽や映像は手元で簡単に見れる。世界の絶景を見に行っても、よく見る写真と同じだな、なんて思う。だいたいのものはブランド名で良し悪しが分かるから、いちいち自分が味わったり匂ったり触ったりして判断する必要もない。

感動のハードルはどんどん上がって、そして野生の本能や五感の感度は少しずつ下がっている。それは、不可逆的な人類の進化にも見えるけれど、退化なのかもしれない。


自分にとって心地がいいとか、なんでかは説明できないけど素敵だと感じるとか、どうしてもこれは嫌だ許せないとか、そういった感受性は、磨けば磨くほど、自分を幸せにする力に変わっていくと思っている。

みんなが並ぶからつい買ってしまうタピオカに感じる刹那的な幸せは、あまりにも虚しい。ということに気づかないくらいには、感受性が鈍ってるのだから、本当に伸びしろはすごい。


というか、幼いころはみんなもっと感受性が爆発していた。不思議な絵を描き、ごっこ遊びで世界を創り、小さな生き物に目を凝らして、見えないものにわくわくしていた。

「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ」

茨木のり子の詩が耳にこびりついているのは、私だけではないはずだ。

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じゃあ、感受性って、どうやって守るんだ?というか、取り戻すんだ?ということを、ずっと考えている。

ひとつは、教育というか、何かを体験するときの設計、つまり体験デザインが、大事な役目を果たしそうだ。

例えば、小中学校の音楽の授業を思い出してみた。リコーダーを楽譜通りに吹くことは、まあ一つの基礎練習にはなるかもしれないけれど、その通りにできるまで矯正する「リコーダーテスト」なるものがあって、それに合格することがあたかもこの世の正解だ、とするのはどうなんだろうと今なら思う。
感受性を育てるなら、もっとグルーヴとかリズムとかパッションを感じながら、その場で太鼓でもなんでもいいから複数人で音を合わせることの楽しさを知ることが最初である方がいいのかもしれない。または、ひとつの楽器の音の中に、沢山の音が混じり合っている、つまり音は波なのだということを体験するとか、音を聴いてどんな気分になるかを感じるとか。

(幸いにして、私は幼い頃からピアノを習わせてもらっていたし、お寺の幼稚園に通っていたので毎週座禅をしながら鐘の音の複雑さに耳をすませていた。だからいろんな音楽を聴くことが好きだし、楽器も続けられたのかも。)


料理も、今やいくらでも動画で教えてもらえるのだから、料理教室なら、レシピ通りに作るとか綺麗に盛るとかいうことより大事なことを教えてほしい。
野菜や魚の旬、ハーブやスパイスの味や効能、出汁や発酵の奥深さ、その味が自分にとってどうなのか、掛け合わせてみるとどうなるのか、ということを実際に五感を使って研ぎ澄ませる方がよっぽど大事だと思ったりする。

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いま世界から注目されている、瞑想や禅や、花道茶道のような日本的精神性は、その極地。だから本当は日本人にとって、チャンスなのだと思う。研ぎ澄まされた感覚によって、少ないものの中に美しさや心地よさを見つけるということは、DNAに刻み込まれているはずなのだ。

すでにあるものや、いつも触れているものに対して、ひとりの人間として受け止められるセンサーを広げる、つまりどんどんミクロ方向にヒダを増やすイメージ。


そうやって感覚の解像度を高めることで、素直な感情や感性も取り戻していけるのでは、とか考えている。

まずは自分から、いろんなことを試してみようと。そう思って、小学生の時からずっとしまい込んでいた絵の具を出して絵を描いてみたり、自然の音をサンプリングしてiPhoneで音楽を作ってみたり、いろんなスパイスやハーブのことを知ってみたり、旬の野菜を愛でてみたり、しています。楽しいです。一緒にやりませんか。

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つづく。



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